第6話 黒い薔薇のルンバ

ヘッドショットだ。

黒薔薇婦人は何処からか抜いたピストルの一発の銃弾で尻毛の額を撃ち抜いたのだ。


そして黒薔薇婦人はピストルの銃身を上へ向けると、銃口から立ち上る硝煙の香りを楽しんでいるかのような仕草を見せた。

瞬く間の、しかも全く予想も出来なかった出来事に俺は呆気に取られた。

これは現実なのか夢なのか?


「栗栖、これはどういうことなんだ?俺は夢でも見ているのか?それともこれは現実なのか?」


「現実だよ。」


栗栖の発したその一言はごく当然の事であるかのような響きを帯びていた。

だとしたら、これはショーだ。ショーだとしか思えない。


「わかった。これはショーなんだな?」


「ショーじゃないよ。」


「え?尻毛は本当に射殺されたのか?」


「そういうことになるね。」


そう呟いた栗栖は表情一つ変えていない。

尻毛が目の前で射殺されたのに栗栖は何故、平常心でいられるのか?

俺はスマートフォンを取り出し、警察へ通報しようとした時、栗栖は俺のスマートフォンを握る右腕を抑え、


「シロタン、それは駄目だよ。」


「何故だ?尻毛が射殺されたんだぞ。」


「それでも駄目だよ。」


栗栖の力は強く、俺は右腕を上げるにも全く動けない。

栗栖の俺を見る眼差しはいつもの弱々しさが消え、確信に満ち有無を言わせず、といった光を放つ。

こいつにはこんな力があったのか。

栗栖の思いもよらなかった反応に俺は肝を冷やした。

しかし、しかしだな。

人が一人射殺されたのだ。

俺がせずとも店内の誰かが通報、黒薔薇夫人を取り押さえているはずだ。


店内は静まり返っている。

誰一人として声を発していない。

誰も通報する素振りを見せない。

通報どころか店内にいる客のほとんどが熱っぽい視線を黒薔薇婦人へ送っている。

しかも店員が尻毛の屍をまるでゴミでも片付けるかのように、足を掴み店外へ放り出したのだ。


「お前、どうかしてるぞ。」


「シロタン、そんな事ないよ。こんなことはよくある事だから。」


栗栖はこの出来事が当然なことのように言った。

その眼差しはまるで底が丸見えの底なし沼のようで、感情的なものを感じさせない。


「うっ、ぼぅえぇぇぇ〜〜っ」


声にもならない嗚咽のような音が、俺の驚きとそれに伴う思考停止を打ち破る。

強烈な悪臭が鼻腔を襲い生暖かくて不快な何かが身体の奥からこみ上げてくる。

その悪臭は酸っぱく攻撃的で容赦ない。


クロだ。

俺の近くに座るクロがこの一連の出来事を見てゲロを吐いたのだ。

俺は車椅子のハンドリム、駆動輪の横に付いてる手でコントロールする輪のあれのことだ。

そのハンドリムを巧みな手捌きで車椅子を急旋回から急発進させ、クロのゲロからの直撃を避けた。

間一髪とはまさにこの事。

危うくクロのゲロが引っかかるところだった。


クロの奴はいつもこれだ。

何かあると一々吐く。

ちょっと予想外の事があるとクロの奴が吐くからな、そんな時はクロのゲロに備えて身構えているのだが、今はそれどころではなかった。

迂闊だったが、この俺の咄嗟の退避行動は流石だ。

これこそシロタン、疾風迅雷の貴公子と呼ばれる所以だ。


黒薔薇婦人が再び歌い始める。

その美しい顔には悪びれた様子もなく、尻毛を射殺したことなどまるで無かった事のようだ。

なんて女だ…

聴衆も聴衆で殺人があったことを忘れたかのように、黒薔薇婦人の歌声に耳を傾けている。


もうこんな場所にいたくない。

さっさと帰りたいのだが、黒薔薇婦人が歌っている状況下で席を外したら目立つことこの上無し。

あの女に尻毛のように射殺されることもあり得るし、この聴衆共にリサイタルの邪魔をしたと言い掛かりをつけられ、袋叩きにあうことも考えられる。

俺はまだ死にたくないからな。

ここは我慢だ。

このリサイタルが終わるまでの辛抱だ。


意外にもリサイタルの終わりはすぐに来た。

尻毛の件の中断があったものの、黒薔薇婦人は一曲歌っただけでバックヤードに戻り、その後これまた何事も無かったかのようにファミレス従業員の仕事へ戻った。


時は来た。それだけだ。


やっとここから抜け出せる。

機会を窺っていたのは俺だけではなかった。

クロと糞平、妻殴り、榎本もだった。

豪快にリバースしたせいか、蒼白い顔をしたクロが帰ると言い出し、それに栗栖以外の三人が同調した。

ならば、と俺も帰ると言ったのだが、


「みんな、待ってよ。もうちょっと付き合ってよ。」


栗栖が皆を引き留めたのだ。

懇願する栗栖はいつもの半ケツ屑野郎に戻っていた。

さっきの有無を言わさない姿勢が嘘のようだ。


「僕はもう限界なんだ。いつまで付き合えばいいんだよ。」


クロが口を挟み、食い下がる姿勢を見せた。

まだリバースし足りないとでも言いたげな様子で、げっぷのようなしゃっくりのような仕草を見せる。

またリバースするか?

俺は車椅子のハンドリムを掴む。


「クロ、ごめん!あとちょっとなんだ。

婦人にプレゼントを渡したいんだけど、今日は何時までの勤務かわからないんだよ。

だからそれだけ婦人に聞いてほしいんだ。」


そう捲し立てた栗栖は俺を見つめる。

その様子を見た他の四人も俺に視線を送ってくる。

どいつもこいつも俺に無言の圧をかけてきやがる。

この役割は俺にしか出来ないとでも言いたげだ。

しかしだな、


「栗栖よ、お前は予め黒薔薇婦人へのプレゼントまで用意してたのだな。

この機会を窺っていたのか?この半ケツ屑野郎が…」


栗栖は気不味そうに頷いた。


「わかった。まぁいいさ…

俺がやればいいのだろう。

お前らみたいな年齢=童貞共にはこんな事が出来るわけがない。」


ここで俺は奴らの視線から逃れるように斜め下に視線を外す。

そして一拍置き、奴ら一人一人へ視線を送り、


「今世紀最後のプレイボーイと呼ばれる俺の妙技をとくと味わうといい。


そして、俺を感じてみろ。」


『話はそれからだ…』


皆が同時に俺の決め台詞を言ったのだ…

奇跡的にブラックファミリー全員の息が合う出来過ぎた瞬間だ。


しかしだなぁ…

俺は今まで自分から女に話しかけた事など無いのだ。

どうしたらいいのか。

俺は人生で未だかつて無い緊張感を味合わされている。


俺こそ豪快にリバースしたいぐらいだ…

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