炭酸でも割れない想いを、1とそれ自身でしか割れない想いを。

かたなり

割り切り屋さんの事情

割り切れない想いというのがある。


でも心配することはない。ほら、あそこ。

割り切り屋さんだ。


 割り切り屋さんはかなりすごくて、なんでも割ってくれる。瓦を割るのも得意だし、お酒だっていろんな割り方ができる。もちろん居酒屋の勘定は当然割れるし、そうそう。

感情も割ってくれる。


 たとえばここに、冴えない大学生Aくんと冴えないBくんのどちらと付き合うべきか考え始めてはや半年の、これまた冴えないCさんがいるとしよう。CさんはAくんと仲良くやっているときはまあBくんと付き合うことは無いかな、なんて思うわけだけど、いざ喧嘩したときはBくんに泣きつくといった具合で、まあぱっとしない人間だ。


そのくせ、割り切れたら、楽なのにね…なんてことを言うし、なんなら自分でもそう言い聞かせている。割り切れない感情が悪いのよ。


 さて、割り切り屋さんの出番だ。

松竹梅のコースがある。

松だったら、依頼時にパッと思いついたほうを残して残りはスパッとCさんの記憶が失われる。便宜上、ファイアされる方をBくんにしておこうか。

竹コースならBくんは事象から消滅する。

梅コースだと、こちらはかなりお得で、Cさんを二人用意することで、実質的にAくんとBくんそれぞれに独立したCさんをセットでお届けすることができる。割れるというのは、乗算もできるってことだからね。もちろんそれ相応のお値段はするけれど、およそ思いつくすべては実現可能だ。それに割り切れないやつに限って小金を貯めていたりするんだよ。アフターケアが大変だし、どこかのタイミングで自己矛盾を起こして破綻することも多いけれどね、はははっ。


そう、割り切り屋さんはかなりすごいのさ。だから君の悩みもきっと割り切れる。

──そろそろ、決まったかい?

キイィ、と音を立てて、雑居ビルの片隅の扉が開く。



「へえ、こんなところよく見つけたね。」

眼の前の胡散臭い男がそう言って少女を見つめるのを、私は見ていた。

「初回のお客さんにはサービスだ。――お客さん、何を割りたいんだい?」

まだ小学校中学年だろう。ランドセルを背負った少女はうつむき気味で、表情は見えない。切りそろえられた前髪にどことなく品の良さを感じた。


 名前を、割ってほしいの。

少女は言った。


 お父さんとお母さんがリコンするの。だから。


「ふうむ。」サングラスの奥で、男が目を細める。

「君自身を割るという事もできるんだよ?」


少女は目を伏せたまま答えた。


 ううん、わたしはお母さんについていくから。

 お父さんは……夜になるとわたしをぶつから。

 でも、でもね、名前だったら、お父さんにもあげられるから!


少女は言うべきことは言った、というように口をつぐんだ。


男はわざとらしく口元に手を当てた。

名前はなー。肉体に所属するからなー。ま、いいでしょう。お嬢さん、名前は?


――結花。


「ゆいかちゃんか。ゆいかちゃんはこれから、ゆいちゃんとはなちゃんになって、それぞれお母さんとお父さんに呼ばれるようになる。ご両親お互いの耳には正しい名前を呼んでいるように聞こえる、他の人達も、不思議には思わない。それでいいかい?」


こくん、と少女がうなずくのを見た。


まいどあり、と男は言った。しばらくは経過観察をするから、またうちに来てもらえるかい?

くるり、と少女が後ろを向いて、出ていくのを私は見ていた。


一週間後、少女は泣きながら入店した。

男がなにごとかを囁くと、少女は驚いたような表情で、頷いた。


数週間後、少女は再び店に来た。ありがとうございます、と彼女は言った。

「もう悲しくはないのかい?」

最初から、悲しくはなかったの、と少女は答えた。


彼女は大丈夫かな、あなたは呟いた。


サングラスの男は答える。

「学校の友達が、自分のことを結ちゃんと呼ぶようになったとさ。このあいだまで、あの子は結ちゃんに慣れていなかった。でももう大丈夫だ。彼女の感情は割り切れた。本人が望んだ結果だったかどうかは知らないがね。」


 私は知っている。

結花という名前が割られた以上、この世界に結花はいない。名前は肉体に所属するのだ。生活を共にする結という名前が力を持てば、必然「花」は薄れていく。父親は徐々に娘のことを忘れていくだろう。「花」と共にあった肉体の記憶もこの世界から薄れていくんだ。あの子はもう、結なのだから。


「あの子は名前を捨てるという行為によって、感情を割り切った。折り合いをつけるとも言うな。割り切るというのは、きれいに分割することじゃあないんだ。割って、斬る。KILL。残した感情を殺す作業。

それを後押しするのが、割り切り屋、」

男は一呼吸おく。


「つまり、あんたのやっていることだ。」


そう言って、彼はあなたを見つめた。

まったくだよ、と私も思う。

なんで黙ってんのよ。いたじゃない、一連の出来事のあいだ、見ていたのは私とあなた。

そう、

あなたが言ったのよ。割り切り屋さんはすごいんだ。そう言って、一人の女の子から半分を奪った。割り切れないものを無理やり割った。ろくに説明もしなかったんだろう。もちろん、説明が必要だとか、難しいことはあなたには考えられないんだろうけど。


 あなたのそれは衝動であって、思考ではない。生き物が食べ物に惹かれるように、あなたは人を連れてくる。行動の結果、なにが起きるかなんて、あなたはわからない。

まあ、それを自由にさせるために、この店があるんだけど。


「お前さんはよぉ、こいつが好き勝手やってていいのかよ?」


男は今度はこっちを見て言った。あなたが振り返り、部屋の奥に私が立っている。心配してくれてるのかしら。2人じゃお店を回せないから雇ったけど、けっこう、いい人なんだよね。


「わけわかんない力を使わずにいられる人は少ないの。だったらわたしは、であるほうが気楽よ。」


そんなもんかねえ、なんて言って男は受付に座りなおす。こんなことやってれば、お金はいくらでも手に入るのだ。割に合わないなんて言わせないわよ。


 なんでも割り切ることのできた私が、私自身を、割り切ることのできる自分と、その力を持たない自分とに分けたのは、もう何年も前のことだ。


”割り切る力を持っているけどその使い方を判断できない自分”と、”力を持っていないけれど、考え続ける自分”とを割り切ったことで、私は生きやすくなった。でも、あなたはそうじゃない。だから力を使う場を作るために店を立ち上げた。もしかしたら、少しはあなたも楽なのかしら。私にはわからない。わからないけれど、こうしてお店を開いて、割り切れないものを抱えてくる人がたくさんいることに気づくとき、少なくとも私は、なんだかほっとするのだ。


「俺は別に構わないけどよお、いつまでこんなこと続けるつもりだい?」


私によく似たあなたは困ったように私を見る。

彼の疑問はもっともだ。もっともだけど、私達にはあんまり関係ない。割り切れるまで、受け入れられるまで、飽きるまで、私は私とここにいる。そのことのほうがずっと大事だ。パン屋さんが、みんなパンを好きなわけじゃなくたっていいでしょ?


お客さん一人一人にそれぞれの物語があるのだと思う。善悪だとか、倫理だとか、私だって考えないわけじゃない。そのうえで、私達の物語はそれとは別に進むのだ。


誰にだって割り切れない想いというのがある。人並みに何もできなくなって、想いは増えていく一方で。でも心配することはない。ほら、だってここに。

昨日と明日は連続している。


だから、私は答える。あなたによく似た私は、あなたによく似た口を開く。

「あら、」

朗らかに、なんでも割り切ったような顔で。

「自分のことなんて、スパッと割り切れるものじゃないのよ。」

なによ、そんなの当然でしょ?







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炭酸でも割れない想いを、1とそれ自身でしか割れない想いを。 かたなり @katanaru

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