観光客が提供する歪みについて
世界有数の観光地である京都は、その性質ゆえに観光客向けの設備がたくさんある。国内外を問わずすべての観光客にとって玄関である四代目の京都駅はまさに「門」として設計され、その壮大なスケールをもって観光客を迎え入れる[1]。分断された烏丸通の七条口側にある京都市営バスターミナルではもはや当然のように四か国語で案内がされ、各国言語を話すアテンダントが対応に走っている。こうした観光客のなかに、眠そうな大学生や、買い物に向かう地元市民がまぎれて、京都駅から観光地に向かう急行バスがかつては出発していた。急行バスは観光客向けのバスとして運行されていたが、観光目的でもない私にとっても便利な存在だった。私は実際、最寄りの大学までのショートカットとして、まれに利用していた身だ。急行バスがまだ走っていた2019年ごろ、私は大学の最寄りのバス停から2つ離れたバス停まで歩き、そこから急行バスに乗っていた。4月の緊急事態宣言以降、急行バスは全便で運休されたままであり、私はショートカット経路を失ったままである。
観光客向けの急行バスは、京都市内を効率的に見て回れる方法を彼らに提示しているだろう。だが一方で、地元民の日常生活において必須なバス停のほとんどを通過してしまう。まるで、そこにあった地元民の生活に覆い被せ、見えなくするように。とはいえ、決して聖地でもない京都には間違いなく地元民の生活があるのは、当然のことだ。急行バスはそうした日常生活を覆い隠し、ある意味での観光地にあってはならないとされるよう「歪み」をなかったことにしてしまっている。だが、実際に私が京都で暮らしているように、「歪み」は間違いなく存在している。それは例えば、深夜の今出川通り上でゴミ出しの指定時間を遵守しない人が家庭ゴミを通りの適当な場所に出し、そのまわりにゴキブリがウヨウヨと蠢いている光景だろう。こうした「歪み」は、観光客向けにカスタマイズされた急行バスの綺麗な窓からは決して見えない、地元民にのみ理解できるものなのだろうか。
観光客向けに作られた京都は常にそれらのために変わり、そしてそれに連動する形で、地元民も変わりつづけた。それはまさに、急行バスに乗って最寄りのバス停から2つ離れたバス停に降車する必要に私が駆られたような、些細な変化だ。ある意味で、観光客こそが私たち地元民の生活を構成していると考えるべきなのかもしれない。批評家・哲学者の東浩紀は観光地における歪みを矯正し、地元に新しいものを提供する可能性を内包する存在として、観光客に注目している[2]。そうした「新しいもの」たちは、例えば私の身体が2つ離れたバス停に連れていかれることで発見できる通路や、修学旅行生に道案内をするかたわらで耳にする、京都という都市に対する彼らの視線だろう。「地元民」は「観光客」によって常に改造手術を受け続けている。だがしかし、私たち「地元民」は「観光客」が連れてくる偶発的な「新しさ」によってこそ、変化していく可能性を維持できる。こうした存在こそ、「観光客」のもつ潜在的な能力だろう。私も「観光客」という言葉に注意を向けなければ、今日たまたま気になった家庭ごみに群がるゴキブリに意味を感じること——「歪み」を意識することも、もしかしたらなかったかもしれない。
「古都」として、綺麗に整備される京都。「歪み」=「地元民」はそのヴェールに覆われ、常に見えてこなかった。それに対し、「観光客」はときにヴェールに覆われたものに気付かない一方で、まれにヴェールをはがし、隠され「歪み」をあらわにする。かくした変化は「地元民」と「観光客」という二項対立を超えて、相互に生成変化を促していくだろう。しかしながら、「観光客」はこの1年で著しく見なくなり、ある意味で「死滅」してしまった。観光地はこれまでの形を維持することすら困難になりつつある状況にあることは、もはや説明するまでもない状況かもしれない。そんななか、私たちのに必要な「歪み」の発見=相互で発生する変化の可能性をめぐっ、どのような思考が必要なのだろう。次節ではアーティスト下道基行における作品を通し、その変化を探ってみたい。
[1] https://www.kyoto-station-building.co.jp/about/ (最終閲覧日:2022年2月6日)
[2] 東浩紀『ゲンロン0 観光客の哲学』ゲンロン,2016年.
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