第53話 『システィーナからの遺言』

 ふっと、我に返った。

 立ったまま夢を見ていたような、瞬間的に脳裏を駆け巡ったシスティーナの記憶。

 とても長い時間見ていたように見えるが、太陽の位置はさほど変わりないように見える。

 まるで目の前で起きた光景を、物語のように見てきたような感覚だった。それくらいに鮮明で、現実的で……。


「そうかい、あの子はこういった人生を歩んでたんだね……」


 ぽつりとニコラが呟く。

 その表情を見ると、悲しいような辛そうな……複雑な表情でニコラは俯いている。

 ルーシーもまた、自分と同じ魔女の人生を歩んできた少女の、自分とは違った境遇にショックを隠せないでいた。

 ルーシー・イーズデイルは屋敷の敷地内から出たことがない。

 狭い環境で、決まった数の人間としか関わりがなかった。

 その中で蔑まれ、暴言を吐かれ、暴力を振るわれ、あらゆる尊厳を踏みにじられたルーシーの人生。

 魔女として生まれた、ただそれだけで当たり前のように忌み嫌われてきた不幸な人生を生きてきた。


「でも……、システィーナは……。私よりもっと広い世界で、多くの人間からこんな酷い仕打ちを……」


 恨んで当然だと思う。

 大切な家族である猫を奪われ、殺され、復讐する気持ちも確かにわかる。

 それでもシスティーナには心を許せる者がいた。

 今ここで、ルーシー達に彼女の記憶を見せたリックという人物が。


「……あれ? お師様!?」


 さっきまで目の前にいたリックが、いつの間にかどこにもいないことに気がつく。

 きょろきょろと周囲を見渡すが、ルーシー達がシスティーナの記憶を見ている間に姿を消したのだろうかと思った時だった。


「じゃじゃーん! システィーナちゃんの記憶ショーは、どうだったでしょーか!?」


 どこからともなく現れた人物に、その明るすぎる声にルーシーはびっくりし過ぎて尻餅をついてしまう。

 目を丸くして呆然としていたルーシーは、奇妙なくらいにテンションの高いその魔女を見て、ようやく誰だったか思い出した。


「あ、えっと……幽魂の、魔女さん? ヴァイオレットさん? どうしてここに」


 衝撃があまりに強過ぎて未だに腰を抜かしたままのルーシーに、やれやれとため息をつきながら、ニコラが手を貸して起こしてやった。

 それからじとっとした眼差しで、一人喜びの舞を踊り続けるヴァイオレットに合点がいった様子だ。


「そうかい、これはあんたの仕業だったんだね」

「え? え?」

「さっすがニコラちゃん! いつからお見通し?」


 スカートについた土を両手で叩いて落としながら、ルーシーは一体どういうことなのか説明を求めた。


「忘れたのかい? ヴァイオレットは魂に関する魔法が扱える。つまり、わかりやすく言うと……霊魂の存在を目視することが可能なのさ」

「霊魂……?」


 くるくるとダンスを踊りながら、ヴァイオレットが甲高い声で説明の続きを引き受けた。


「システィーナの訃報は私んとこにも来ててさ。ここに来ればまたニコラちゃん達に会えると思って、私ってば大急ぎで飛んで来たのさ!」


 片足をまっすぐ、直角に上げた状態でぴたりと止まったヴァイオレットは、システィーナの家がある方角を指さす。


「そんでシスティーナの家でのんびり寛いでたマキナっちがいたわけ。私は別にお参りに来たわけじゃないから、ニコラちゃん達が来るのを待ってたらさー。この周辺をうろうろしてる霊魂がいたの。人間が言うところの幽霊ってやつね」


 どきりとした。

 この話の流れから、その幽霊の正体は彼しかいない。

 しかしなぜ?

 ルーシーはそれも説明してもらえるだろうと、ドキドキしながら続きを聞いた。


「どうにもシスティーナに対して強い執着があったみたいで、本当はあんまり作らないんだけど適当に作ったゴーレムに、そいつの魂を入れてやったってわけ!」


 リックが座り込んでいた場所を指さしたヴァイオレットは、疲れたのかダンスをやめて転がっている丸太の上に腰掛けた。

 ルーシーは、まずゴーレムが何なのか訊ねたかったが、そうすると話が前に進まないと思い、それは後でニコラに聞こうとひとまず黙っておく。


「見た目がゴーレムのままだったらニコラちゃん達が警戒すると思って、変身魔法で一時的に魂と同じ姿にしてやったの。大変だったんだよ? いつニコラちゃん達が来るかわかんないから、カラスに周辺を監視させて、来たってわかったらすぐ変身魔法で姿を変えなくちゃだし」


 ぶーたれた顔で自分の苦労をアピールするヴァイオレット。

 だがニコラは「さっさと要点だけ答えな」と辛辣な口調でいうものだから、ヴァイオレットはさらに不貞腐れた顔で続きを話す。


「そいつの魂をゴーレムに入れる前、視認出来る私に気付いたそいつは私に話しかけてきたんだよ。システィーナのことを知ってるようだったから、演出の一環としてこいつにやらせてみたらいいんじゃね? ってなって」

「突然現れて、突然勝手に決めて、本当に迷惑な話だよね〜」


 また誰かの声がして、ルーシーは再び驚く。

 その声はどこか気だるく、ねちゃっとした喋り方をするのでとにかく耳に残る口調だった。

 見るとその人物は、ふらふら歩きながら大きな酒瓶を片手にこちらへ向かって歩いて来る。

 銀色の長い髪を両サイドで三つ編みに結ってあり、とろんとした瞳は今にも眠りに落ちそうなくらいに半開きになっていた。

 よたよたと歩く様子から、相当な酩酊状態だとわかる。

 二十代半ばほどのその女性があまりに危なっかしく歩くものだから、足取りのしっかりしたニコラがスタスタと歩み寄って肩を貸した。


「全く、とんでもないサイコパスにシスティーナの魂を預けるんじゃないよ……マキナ」

「マキナ!? その人が、拈華の魔女の……?」


 ルーシーは驚いた。

 ここに四人の魔女が集結していることに。

 いや、それ以上に……引っかかる出来事が多すぎて理解が追いつかない。

 マキナはヴァイオレットが腰掛けている丸太に身を預けるように、地面に直に座ってぐでんぐでんになっていた。


「しっかりしな、マキナ」

「まぁまぁ、私は大丈夫……大丈夫。それより、システィーナの記憶の玉に関してだよね〜?」

「えええ? そこも私が説明したいんですけど」


 いつもならニコラがここで「あんたは黙ってな」と突っぱねるところだが、肝心のマキナが頼りない状態の為、説明をどっちにさせた方が効率いいのか。

 ニコラですら判断がつかない様子だった。

 再び酒瓶に口を付けて直飲みし、ぷはぁと息を吐くと周囲がすっかりお酒くさくなってしまう。


「私もそれなりに、霊魂を見たり声が聞こえたりするからね〜。その魂があのリックのことだとわかった時に、ヴァイオレットの提案を受け入れたんだよ〜。まぁ、そうしなくてもこの子は勝手にやってただろうけどさ〜」

「変身魔法は得意じゃないから歩き回らせることは出来なかったけど、こうやってニコラちゃん達に記憶の玉を渡す役割を与えたってわけ! 記憶を見た後に、この男がシスティーナの記憶に出てきたあのリックだった! ってなったら、ほら……盛り上がって面白いじゃん?」


 ヴァイオレットはあくまでサプライズ感覚でやっていたようだが、ルーシーもニコラも本当に聞きたい部分はそこじゃなかった。


「こいつは、どうして?」


 一言、ニコラが問う。

 少なくともシスティーナの記憶の中に、最後の最後に彼が登場することはなかった。

 つまりリックはシスティーナが火刑に処された後に、何かがあったのだ。ニコラはそう推察した。


 魂は歳を取らない。

 仮に彼が病死や老衰したとして、システィーナと初めて出会った時の彼の年齢はまだ十分に若かった。

 老衰なんて有り得ない。

 それにはマキナが答えた。


「システィーナの記憶にはなかったから、彼の魂から記憶だけひねり取って覗いてみたの」


 酩酊状態のせいでゆっくりとした喋り方のマキナであったが、ルーシーにはむしろそれくらいのスピードで話してもらった方がちょうどよかった。

 色々なことが起き過ぎて、情報を整理することが困難だからだ。

 ゆっくり話してもらえれば、どうにか理解することが出来る。


「リックはね〜、システィーナが焼かれて絶命した直後に駆けつけたの〜。何も聞かされてなかったからね〜、システィーナの名前を泣き叫んで〜、謝って〜。自分の火の中に飛び込んだの〜」


 ルーシーは息が止まるかと思った。

 火刑の場面は、当事者でもあるルーシーは容易に想像出来る。

 上から見下ろす状態で火に焼かれていく。

 周囲の者は歓声を上げながら、最期まで自分を見上げていた民衆達。足元では燃え上がる音、骨も残らないくらいにしっかりと……灰になるまで焼けるように、念入りに敷かれた藁と薪の山。

 そんな炎の中に飛び込んでいく人間がいるなんて、思わない。


「何もしてやれなかったのが悔しくて、辛い日々を送ってきたシスティーナのことがあまりに不憫で。一緒に暮らすという約束を守れなかった自分の不甲斐なさに、居ても立ってもいられなかったんだね〜」


 それで彼は飛び込んだ。

 自分を慕う少女の為に、もう救うことすら不可能だとわかってて、なお。

 リックは焼け焦げていくシスティーナを最期まで抱きしめて、自らも灰になるまでその場から離れなかったそうだ。


 システィーナが心を許した唯一の人間は、最後の最期になって……ずっと自分のそばにいてくれた。


 やがて燃え尽きた二人の灰は地面で混ざり合って、風に吹かれ、跡形もなく消え去った。

 

「でも最後に残したシスティーナの思いだけは、自分の手で伝えたかったのね〜。システィーナが話した魔女のお友達に、リックも一目でいいから会いたかったんじゃないかな〜?」


 もう何から涙したらいいのか、ルーシーはわからなかった。

 システィーナの人生。

 リックの人生。

 どうしてこんなにも、思い通りの人生を生きられないんだろう。

 大きなことを願っていたわけじゃないのに。

 ただ二人で静かに、穏やかに過ごしたかっただけなのに。

 なぜ魔女というだけで、これほどまで人生を狂わされなければいけないんだろう。


「システィーナ……っ! ごめん、なさい。もう一度会えなくて……、本当に……っ!」


 システィーナは、これをルーシーに見て欲しかったのだろうか。

 自分の半生を、生き様を。

 

 何が好きで、何が嫌いか。

 何が嬉しくて、何が悲しいか。

 どんな風に生きて、どんな風に暮らしたかったのか。

 人間のことをどう思っていたのか。

 

 復讐の先に、何が待っているのか。


『酷い仕打ちをすれば、それはいつか必ず自分に返ってくる』


 システィーナは身を以て、それをルーシーに教えてくれた。

 遠雷の魔女が行った大虐殺について、復讐に関して、ルーシーが強い興味を持っていたことを、システィーナは気付いていたのだ。

 数ある可能性の中でシスティーナは、一つの答えを見せてくれた。

 復讐には、復讐で返される。

 

『君が君の最適解を見つけられるよう、祈っているよ』


 心優しい遠雷の魔女は、最期にルーシーを気にかけた。

 遠雷の魔女による大虐殺の情報が、当時のルーシーに更なる苦難を与えたことも知らず。

 でもそれはシスティーナのせいじゃない。

 ルーシーにもわかっている。

 

(もしシスティーナがとっても嫌な女の子だったら、私は素直に遠雷の魔女を嫌うことが出来たのに……)


 遠雷の魔女システィーナもまた、ルーシーと同じような境遇だった。

 銀色の髪、赤い瞳という魔女の特徴を持って生まれたというだけで、親から捨てられた憐れな子供。

 身勝手な人間の恐怖心が、魔女を孤独に追いやった結果がこれだ。

 

 システィーナには自分の命よりも大切なものがあった。

 猫という家族だ。

 自分だけの家族を守る為に、システィーナは魔女狩りで殺されることを受け入れた。

 今もなお再建の町クローバーで語られる言い伝え。


『猫を大切にしなければ、遠雷の魔女に一人残らず殺される』


 システィーナは自らの死と引き換えに、家族の安寧を守った。

 守りたいものがあったから、システィーナは復讐という枠さえ乗り越えた。

 守る為なら、復讐で返されることさえ良しとしたのだ。


 だけどルーシーに守りたいものなど、今さらない。

 あるのは辛い記憶と、両親への憎しみと、妹への劣等感だけだ。

 イーズデイル家の人間に復讐を果たしたとして、それを復讐で返される筋合いなどルーシーにはない。

 守りたいものなどないからこそ、復讐される前に手を下すことさえーーきっと躊躇わない。


 システィーナが教えたかったことは、ちゃんと伝わっている。

 だからこそルーシーはそれを踏まえた上で、改めて復讐心を忘れずにいようと思った。


「やっぱり人間は、魔女にとって……」


 システィーナを蔑んだ人間達が、憎らしかった。

 まるでルーシーを蔑んでいたイーズデイルの人達を見ているようで、我慢ならない。

 

 システィーナの記憶の中にも、もちろん人間全てが魔女に対して敵対心を持っているわけではないことを示唆していた。

 それは否定しない。

 ルーシーの記憶の中にも、彼女達だけがルーシーに愛情を注いでくれたから。

 

 ただイーズデイルの人間だけは、どうしても許せない。

 ルーシーが、ルーシー・イーズデイルだった頃……。

 誰一人として危害を加えたりなんてしなかった。

 従順に、誰にも逆らわず、その術も……反抗心を持つ意思すら持つことが許されなかったあの頃。

 

 でも今は違う。

 火に焼かれ、ルーシーの反抗心がようやく芽吹いた。

 従順に従う思考しか持ち合わせていなかったルーシーが、死してやっと手に入れた自由意志。


 ルーシーは決意する。

 きっと、成し遂げてみせると。

 そうしなければ、一体何の為にこうして他人の肉体で生き返ったのかわからなくなる。


「システィーナ、あなたの記憶を見せてくれて……ありがとう」


 約束する。

 きっと、見つけてみせる。


「見つけるから。私の最適解を……」


 システィーナの遺志を胸に、ルーシーは約束した。

 十一年後ーー。

 そう、ルーシー・イーズデイルが火刑に処された十八歳の年に復讐を実行してみせる。


 それまでに復讐に必要な術を身に付け、イーズデイル邸がどこにあるのか把握しておく必要がある。

 十一年という歳月があれば、十分事足りるだろう。


 必ずイーズデイル家に、地獄のような苦しみをーー。


 ***


 ルーシーは気付いていなかった。

 そもそも少女の肉体に反魂の術を使って転生してから、その言動、態度、振る舞いから、ニコラはとうに気付いている。


 生前のルーシーの記憶を見たわけではないから、全てニコラの想像に域を超えないが、ある程度察することなら容易だった。


 生前のルーシーは、人間による酷い虐待を受けてきたのだろう。

 それは転生した後にも、魂にこびりつくほどの記憶を強く残すほどに。

 他人に対する過剰な怯え方。

 引っ込み思案だと思えるその態度は、明らかに他人への恐怖心を表していた。

 ゆっくりと他人との距離感を慣らす必要があると……。

 ニコラはそう察して一年間という月日をわざわざ設けて、魔女に対する圧力が最も薄いとされるスノータウンで過ごすことに決めた。

 幾分かマシになったが、それでも警戒心を完全に解すことは叶わなかった。しかしそれでも特に問題ないとニコラは判断する。

 人間へのある程度の警戒心は、むしろ魔女にとって必要なことだ。

 人の良さそうな顔で近付いて魔女狩りを行う輩だっているのだから。

 警戒心を残しつつ、過剰な恐怖心は取り除き、魔女として独り立ち出来るように……。

 しかしここで懸念材料が増えるとは思っていなかった。

 システィーナの記憶は、人間に対する信用を喪失させるには十分な出来事が映し出されていたから。

 長い年月をかけてでも、せめて自らの寿命が尽きるまでに、人間との距離感を程よく保てる程度に生きる術を、教え込まなければならない。


「全く、どうしてこうも……魔女の子供達に厳しい世の中なのかね」


 深い深いため息が、ニコラの口から静かに漏れた。

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