第33話 『また会う日まで』

 空飛ぶホウキにまたがって飛ぶ、ということがだいぶ様になってきた……とルーシーは感じていた。

 空高く舞い上がろうとすると強風に煽られ態勢を崩しかけるが、すぐにまた立て直して村へと向かう。

 まだ早朝、しかし村人の朝は早い。上空から村を見下ろすと何人かの大人がすでに活動を始めている様子だ。

 その内の一人がルーシーに気付き、手を振ってくれる。それに照れながら小さく手を振り返す。

 遠目からでもやはり少し気恥ずかしい。他人に対して分け隔てなく、愛想良く振る舞えるような柄ではない。

 むしろ戸惑いの方が未だに強かったが、ここで失礼な態度を取っても師匠であるニコラの顔に泥を塗ってしまうことになりかねない。

 そう心の中で言い聞かせて、ルーシーはなんとかこの一年近く、建前ではあるがそれなりに接してきたと思う。

 人間が怖くて苦手だった少し前の自分からしてみれば、大きな成長だと自分で褒めたくなる。


 村の入り口近くにゆっくり降り立つと、ルーシーの来訪を待ち侘びていたのか。

 数分と経たずに子供達が家から飛び出して来て、すぐさま囲まれてしまうルーシー。


「魔女の修行だから仕方ないけど、やっぱり寂しいよ!」

「行かないでぇ、ルーシー!」

「お前がいなかったら、誰が崖の上にあるユキドリの卵を取りに行くんだよ!」


 行って欲しくない、寂しい、離れたくない。

 そんな言葉を浴びせられたルーシーは、自分がこんな風に誰かに求められていたのかと不思議に思った。

 これまで特別、それこそ物語の中に出て来るような「仲の良いお友達」として、ちゃんと接して来たわけじゃないとと感じていた。


 自分はどこか冷めた態度をしていなかっただろうか。

 友達だと、自分が認識出来ていただろうか。

 上手くやってきた自信が、ルーシーにはなかった。


 だからこそ、旅立ち前に渡そうと思っていた手紙に、その旨を綴ってきたという意味合いもある。

 しかし村の子供達はルーシーの想像していた以上の感情を、ルーシーに対して持ってくれていたのだ。 

 最初は手紙を書き終えてから、渡そうか少し迷っていたところもある。

 自分のことを好きじゃない相手に手紙を渡されて、困らせたり、余計に嫌われたりしたらどうしよう。

 他人との距離の詰め方がわからないルーシーは、自分の気持ちを伝えるどころか、相手が自分のことをどう思っているのか全くわかっていなかったから。


 わかるのは、嫌悪されていること。

 憎まれていること。

 死んでくれと、そう思われていること。


 だから、好意の感情を素直に受け止める術をルーシーは持っていなかった。

 心のどこかで「優しくしてくれているのは、ニコラの手前があるから」と決めつけて、自分自身を心から好いてくれているとーーどうしても信じることが出来なかったのだ。


(でもそんなのは、考えすぎだった……。みんな、私のことをこんな風に……友達として思ってくれてたんだ)


 本当にこの村は温かい。

 ルーシーが少女として転生したのが、この村で本当に良かった。


「今日はね、みんなに手紙を……書いてきたの。覚えたてだから、スペルを間違えてるかもしれないし。ちゃんと文章になってるかどうかわからないけど。これ、私の気持ちだから……。受け取ってくれる、かしら……」


 恐る恐る、肩下げカバンの中から全員分の手紙を取り出し、一人一人に手渡していく。

 物珍しそうに眺める子供、封筒越しに中を覗こうと日の光に透かせようとする子供、すぐさま封を破って中身を読み始める子供など。みんな反応は様々だった。

 ルーシーとしては、目の前で読まれることがとても恥ずかしくてやめて欲しかったが。

 

「読めなかったら、お父さんかお母さんに……読んでもらって? 他の人に声を出して読まれるの、すごく恥ずかしいけど」

「あたし、まだ読めないけど。でも、自分で読みたい! ルーシーの気持ちは、私だけが知っておきたいもん! パパやママには内緒にしたいから、読めるようになるまであたし、ニコラのとこで一生懸命お勉強するからね!」

「読み書き教えてくれるニコラも一緒に行くんだぜ?」

「あっ、そうだった……。それじゃあ読み方、パパとママに教えてもらおうかな……」


 ルーシーの手紙を巡って、それぞれが楽しそうに会話をしている光景を見つめながら、この微笑ましい姿が見られるのはこれが最後なのかもしれないと思うと、少し寂しくなる。

 ゆったりと微笑みながら黙って見つめていると、むすっとした表情のカミナが手紙を読みながら首を傾げている様子が目に入った。

 そういえばカミナに宛てた手紙は難義で、ある小説を参考にしながら書いたものだったことを思い出す。

 内容全てを自分で考えて書いたわけじゃないから、少し主旨に逸れてしまった感が否めなかったが。それでもカミナに当てはめて言葉を選んだつもりだから、決して写し書きをしたわけじゃないと自分を弁護してしまう。


「なぁ、これ……。いや、なんでもない」


 やっぱり気に入らなかったのだろうか、と不安になる。

 カミナへの手紙は、もっと後で……。心情を語れる程に語彙力が備わってから、改めて書いた方がいいかもしれないと思った矢先だった。

 後方からニコラがやって来て、ついに村人達との別れの時間が近づいて来る。


 ***


 出立の時、その場には恐らく村人全員が集まっていたことだろう。

 全員がニコラとのしばしの別れを惜しむように、声をかけたり泣き出したり、握手を交わしたりしている。

 それに対して相変わらず辛辣な態度で、一人一人丁寧に対応していくニコラ。

 適当にあしらうことだって出来たはずなのに、なぜかニコラは個々に対して憎まれ口を叩いていく。

 もはやここまで来ると、ただの嗜虐体質なのかと疑いそうになった。

 

 ふとカミナの方へ視線をやると、まだ手紙の内容がしっくり来ていないのか。

 難しい顔をして便箋を開いている。あまりそうまじまじと眺められたら羞恥心で死にそうになりそうだ。


「それじゃあ何年後になるかわからないが、たまにこの近くを通りかかったら立ち寄る位はするよ。永久に帰って来ないわけじゃないから安心しな、ーー私の家はここにあるんだからね」

「ニコラ、お前さんの口からその言葉が聞けるとは思わなんだ。あたしゃ嬉しいよ……」


 きっとこの村で最年長であるしわしわの老婆が、入れ歯をふがふがさせながらニコラとハグをした。

 感慨深そうに、ニコラは黙ってハグに応える。


「そうだね、そういやこの村に来た辺りの私を知ってるのは、もうマギーだけだったかね」

「おじいさんの後を追う前に、またお前さんの顔が見れたらいいんじゃけどな」

「大丈夫だよ、マギーはまだあと10年は安泰そうだ」


 村の人から聞いたが、最年長のマギー婆さんは恐らく今年で100歳を迎えるはずだ。

 そんな奇跡に近い高齢者に対して、あと10年生きるという言葉は言い過ぎな気がしたルーシー。

 きっとそんなルーシーの心情が顔に現れていたんだろう。

 近くに立っていた雑貨屋の奥さんが、そっと教えてくれる。


「ニコラなりの気遣いってやつだよ。ルーシーはまだ小さいから、そういうのはわかんないか」

「……?」


 マギーとの別れの挨拶を終え、いよいよ旅立つ時が来た。

 日除け、雨避けのテントが張られた幌(ほろ)馬車には必要最低限の荷物、そしてそれを曳いて歩くロバ。

 二人は御者台に乗って、村人に手を振る。

 ようやくこの時が来た、とますます実感の波が押し寄せてきた。

 ルーシーは世界を知らない。

 生前、生まれ育った屋敷を自由に出たことがなかった。

 初めて敷地以外の場所へ行ったのは、奇しくもルーシーが処刑される日だった。

 

 でも今回は違う。

 ルーシーはニコラと共に、これから広い世界を旅するのだ。

 

 ***


 ルーシーからもらった手紙を眺め続ける息子を、怪訝に思った母親が声をかける。

 この子が動き回ったり喋りまくったりしない姿を見ることは滅多にないので、無言でその場に立ち尽くすことがどれだけ珍しいことか。

 それほどルーシーとの別れが惜しかったのかと、母親は宥めるように声をかけた。


「一体どうしたの? さっきから随分と大人しいけれど。……その手紙は? ルーシーからもらったのかしら」


 ルーシーの気持ちが綴られた手紙だと、そう聞いて受け取った手紙だ。

 それをおいそれと自分以外の人間に見せるのは少々気が引けたが、そうも言っていられない。

 カミナは困ったような表情で、不本意そうに母親に手紙を見せて、その手紙の意味を求める。

 確かに勉強は好きではないし得意でもないが、短い文章の内容を読み取れないほど読解力が低いとも思っていない。

 だけれどこの手紙は、読み書きを覚えたてのルーシーが書いたものだから、拙くなっても仕方ないとは思っている。

 だからこそ読み手である自分がしっかりと手紙の内容を把握したかったのだが、どうにも難解すぎてついにギブアップした。


「ルーシーから俺にって。書いてる内容がわからないわけじゃないけど、なんていうか。意味がよくわからないというか。どういうことが書いてるのか、母ちゃんわかるか?」


 そう聞いて手紙を受け取った母親は、一通り目を通したら吹き出すように笑い出した。

 母親の反応を見て、吹き出すほど面白いことは書いてなかったはずだと、カミナは余計に混乱した。


「な、急にどうしたんだよ。どういう意味か俺にもわかるように教えてくれよ!」


 腰に手を当て、今度は微笑ましそうな笑みをたたえた母親が息子に手紙を返す。

 再び文章を読み返すカミナであったが、やはり面白可笑しい言葉はどこにも書かれていなかった。

 助けを求めるように見上げると、母親は遠ざかっていく幌馬車を目にしながら教えてやる。


「自分の息子がこんなにモテるなんて思ってなかったよ」

「はぁ? 一体何言ってんだよ! もっとわかりやすく!」


 やっと息子と目を合わせて、母親が笑顔で答えた。


「その手紙に書いてある一文。それはだいぶ昔、私がまだ思春期真っ盛りだった頃かしらね。お気に入りだった恋愛小説をニコラに貸したことがあったんだよ。結局その小説は返してもらってないけど、それはそれでいいんだよ。そういう約束だったから」


 懐かしい、と言わんばかりに今度は遠くを見つめる。

 あの日の記憶が蘇るようだった。

 

 リルが15歳の時、ニコラは今と全く変わらない姿をしていた。

 妙齢で、妖艶で、しかしどこか哀愁漂う女性ーーそんな魔女だったと記憶している。


 恋愛に全く興味がないと一蹴する彼女に、リルは当時心打たれた恋愛小説を読んでもらおうと思って、それを無理やり彼女に貸した。

 リルは言う。


「それを読んで、恋愛がとても素敵なことに気付いて、誰か特別に好きな人が出来たら返してちょうだい。読んでも全然恋愛に興味ないままだったら返さなくていいから。それを読んだら、絶対に誰かを好きになろうと思うはずだもの!」


 だが結局、そんな日は来なかった。

 年月は過ぎ、リルはずっと恋焦がれていた男性と恋愛し、結婚して息子が生まれたが、恋愛小説を貸した魔女が恋愛することは、とうとうなかった。

 息子がこの手紙を渡して読むまで、リル自身もその恋愛小説の存在をすっかり忘れ去ってしまう程に。


 今も美しいニコラ、気高く勇ましい氷結の魔女……。

 あなたは本当にその名の通り、冷えた心のままで生き続ける道を選ぶの?

 つい、そんなお節介な感情が芽生えてしまう。


「母ちゃんってば!」


 息子の声で我に返ったリルは、慌てて手紙の内容をかいつまんで説明した。

 当時はそれで大きく感動したり心動かされたものだが、今にして思えばなんて陳腐な物語だったんだろうと思う。


「カミナは気付いていないだろうけど、お友達だと信じている私の本当の気持ちは、紛れもない愛だってこと。今はわからなくてもいい。上手く言い表せない難しい表現を、私が本当の意味で理解するまで。また会う日までーー、こうして私が抱いている複雑な感情を正しく伝えられるように。私が帰って来たその時に、改めて告白します」


 そう告げられ、カミナの時は止まった。

 やがて頬が紅潮し、熱を帯びる。


「それまでに、あんたもルーシーを守れるくらい逞しい男になっていないとねぇ?」

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