第31話 『手紙』

 出発の日が近付いてきた。

 ルーシーはメモにまとめておいた覚書を見ながら、スノータウンの子供達一人一人に宛てた手紙を、ゆっくり丁寧にしたためていく。


 ロンベルト、カミナの悪友でたくましい男の子。好奇心が強い反面、弟思いで決して見捨てようとしない。ニエべ湖での騒ぎでも、彼はカミナと共にみんなを励ましていたと聞く。根は心優しい少年であること。頼り甲斐のある兄貴分といったところを、ルーシーは手紙に綴った。


 その弟アルバートは、勉強が出来る少年だ。中身が18歳のルーシーより彼の方が知能が高いことを理解させられた。彼は今のルーシーと同い年なのに、もう文章を書ける。難しい本も読める。将来は医者や学者を目指していると言っても、誰も驚かないほど利口な男の子だ。勉強熱心なところを、ルーシーはとても尊敬している。将来、望んだ職業で活躍出来ることを楽しみにしていると、手紙に綴っていく。


 シエルは手先が器用で、可愛いものが大好きな女の子だ。基本的に大人しい性格だが、可愛いものを否定されたら泣いてしまう……ということはなく、激怒して可愛いを猛烈アピールしてくる強引さも秘めている。それだけ自分の好きなものを愛しており、周囲の人間にも可愛いをもっと広めたいと考えているようだった。おかげで村中の女性達は、彼女手作りのヘアピンやブローチを誰もが着けて歩いているのを、よく見かけたものだ。その可愛いを大切に、特技を活かせるように、また村に戻った時には新しいアクセサリーを作ってもらいたいと、そう手紙に約束事を書いておいた。


 アメリアは活発な女の子で、とても運動神経が良かった。男の子顔負けなほどに活動的な彼女だが、一度二人で話をする機会があった時に、将来の夢はお嫁さんになることだと話してくれた。だから外で遊び回る一方、男の子達にからかわれたくないと思っていたアメリアは、内緒で母親に料理を教えてもらっている。「好きな男を手に入れたければ、まずは胃袋を掴みなさい!」というのが、母親の教えらしい。綺麗で可愛いお嫁さんになる為に、日々頑張っているアメリアに向けて、夢が叶ったらアメリアの素敵な家族に会わせて欲しい、と書き綴った。


 カミナは……。


 最後にカミナへ充てる手紙を書き始めようとしたが、不思議なほど筆が進まなかった。他の子供達に比べて、カミナとの方が色々と、それこそたくさん思い出があったはずなのに。

 書くこともたくさんあった。やんちゃに振る舞っているけど、本当は面倒見が良くて優しい、とか。

 他の子供達に比べたら、カミナとの出来事はたくさん思い浮かんでいるのに。

 なんだかカミナの顔を思い出しながら書こうとすればするほど、筆の進みが悪くなる。気分が悪くなるわけじゃない。むしろ、気のせいか胸がちくちくと気になる痛みを伴うせいだ。

 それは無意識の防衛本能だと、ルーシーにはわからない。カミナのことが嫌いなわけじゃないのに、彼のことを考えたら胸が痛む。

 首に提げている氷晶石のペンダントを握りしめて、それから手のひらに乗せてじっと眺めた。偶然とはいえ、カミナ達が命懸けで見つけた、珍しい氷の宝石。


「この村で一番仲良くしてくれてると言ってもいいくらいの相手なのに、どうして書くことを躊躇うの?」


 ペンを置いて、ルーシーは明日に懸けた。

 きっとずっと手紙を書き続けていたから、疲れただけなのだと。

 明日になれば、きっと書けるようになる。……明日は出発の前日になってしまうが、きっと大丈夫だと自分に言い聞かせて眠りについた。


 ***


 前日は荷物の整理などでとても忙しかった。いよいよ出発するのだ。忘れ物があったらいけない。

 ニコラが村まで荷運び用のロバを受け取りに行ってる間に、ルーシーはニコラに指示された物を袋に詰めたり、木箱に入れたり。せっせと荷造りを進めていた。

 これはかなりの肉体労働になるかもしれない。そう思いながら、次のメモを見ると「衣類」とあった。これも必要な分だけ、とあるが。そもそもルーシーには、必要最低限の衣類しか持ち合わせていない。

 旅先がよほど暑い場所となると、ここにある衣類では役に立たないだろう。今住んでいる場所は万年雪の冬しかないのだから、持っている衣類も分厚い生地や長袖ばかり。半分ほど持っていけばいいだろう、と自分の衣類をトランクに詰め込んで行った。


「衣類……、お師様は自分でトランクに詰めているのかな。それとも、お師様の分も私が?」


 そう考えて、ふとニコラの部屋のドアを見つめた。

 焦茶色のドアに、真鍮のドアノブが付いている。ルーシーはここに来て一度も、このドアに手を掛けたことすらない。入室などもってのほかだった。一瞬、ドアノブに手を触れようとしたが……やめておいた。

 許可を得ていない。もしかしたらドアを開けた瞬間に、侵入者用の罠が発動するかもしれないと妄想する。

 ある意味、ニコラならやりかねないと思った。


「お師様の分は、自分でしてもらおう……」


 そう口にして、さっさと荷造りを終える為にトランクを持って階下へと下りて行った。

 程なくしてニコラがロバを連れて帰宅した。行きは空飛ぶホウキに乗って行ったので、徒歩で帰って来たのかと訊ねたら、ロバに目隠しをしてホウキに吊るして飛んで来たと言う。

 哀れだと思いながらロバを見ると、吊るされた恐怖を忘れさせる為に人参を与えたのか、もしゃもしゃと美味しそうに食べていた。


「荷造りの方は?」

「ほぼ終わらせました。あとはお師様の私物くらいです」

「……そうかい。それじゃ残りの時間、夕食までは好きに過ごしたらいいよ」


 そう言われ、目を丸くした。

 ニコラのことだから、「出発前日でも関係ない、修行だ!」と言いそうだと思っていたのに。


「長旅の前日は、体をゆっくり休めておいた方がいい。疲れを溜めることほど禁物だからね」

「そう、ですか。わかりました。それではお先に失礼します」


 ルーシーはぺこりと会釈し、自室に篭もる。やることは当然決まっていた。

 残り最後の一人、カミナへ宛てる手紙だ。だけどやっぱり思い浮かばない。

 村へ訪れると、カミナに会わないことなどなかった。それもそのはず。ニコラは村へ訪れると必ず、まず村長へ挨拶しに向かう。そしてカミナは村長の孫だ。同じ家に住んでいるので、カミナが外出でもしていない限り、会わないということはまずなかった。

 それだけではなく、カミナは時々ニコラの家に単身訪れることもある。それはあくまできちんと大人の許可を取ってから、犬ぞりでやって来るのだけど。

 その時は大体、村長がいつも飲んでいる薬がもうすぐ無くなるから、取りに来たという理由だが。その度にニコラはからかうような笑みを浮かべて、薬を調合している間ルーシーがカミナの相手をすることになっていた。

 大体が魔女の修行をしているので、それをカミナは見学している。見られることが得意じゃないので、カミナのことが邪魔だとまでは言わないが、少し気恥ずかしくて調子が狂っていたことを思い出す。


 こんなにもカミナとの思い出はたくさんあるはずなのに、いざ手紙にするとなるとどうして筆が進まないのか。

 もしかしたら今まで書いた子供達への手紙の内容が具体的すぎたのだろうか、と思い始める。

 別にシンプルでいいのかもしれない。だけど、カミナだけ? まさか回し読みなんてしないだろう。

 それはそれでカミナが可哀想に思えてきた。もしそのことを本人が知ったら悲しむかもしれない。自分だけたった一言しか書かれていないだなんて、そんなの寂しすぎる。


 ルーシーは自分でゼロから書くことを諦めて、2階にある書斎へ向かった。

 2階には主に寝室、書斎、物置部屋があった。物置部屋の奥はサンルームとなっているので、日焼けしたら困る物などは置いてない。主に衣替えに使用する衣類をしまってある。

 書斎と言ってもほとんど図書室のように、本だらけの部屋となっている。壁一面、そして真ん中に背中合わせに置いた本棚が二列。どれもびっしりと本が敷き詰められていた。それでも収納スペースが足りず、部屋の奥にある書斎机の上はすっかり本置場になっており、床にもたくさんの本が平積みされていた。

 1階にある調合スペースに置かれた本棚は、主に調合や魔術に関する本で、特に使用頻度が高い本だけを選別して陳列してある。書斎にある本は、ニコラがこの家に住み始めてから少しずつ増えて行ったものだと聞いた。

 村人からのプレゼントだったり、興味本位で手に入れて、読んだらそのまましまう。そうやって積み重なった本達だった。この中には子供用の学習本などもある。

 時々ニコラの家で勉強会をする時に、学習本のジャンルが置かれている棚をニコラから教えてもらったことがあった。そこでルーシーは『手紙の書き方』という本を発見して、それを参考に子供達への手紙を書いていた。

 だけど今回必要としているのは、参考にした本ではない。それはもう散々、何回も目を通したから。今ルーシーが求めている内容は、書かれていない。

 

 ルーシーは本棚をぐるりと一周して、やっと見つけた。以前なんとなく「どんな本があるんだろう」と思いながら、背表紙だけを眺めていた時、気になるタイトルがあった。その本は『君へ送る手紙』というタイトルで、中身を読んだわけではないが、背表紙がほのかなピンク色で、とても可愛らしい装丁の本もあるんだなと思ったことがある。

 ニコラが持っている本のほとんどは参考書、魔術書、辞書、といった堅いものばかり。どれも暗い色合いで、どこか無骨な印象があった。そんな本達の中に、まるで荒れ果てた地に咲く一輪の花と思わせるような、そんな雰囲気の背表紙がとても目を惹いたことを思い出す。

 装丁のおかげでタイトルもしっかり覚えていた。手紙に関する本なのかもしれない、とルーシーは存在を思い出して、この本を探しに来たのだ。

 華やかな、色鮮やかな背表紙を手に取って、確認する。確かにあの時の本だ。自分がこんな可愛らしいものが好みだなんて、初めて知った。今まで地味なものしか目にしてこなかったし、身につけたこともなかったせいで。

 思えばソフィアが身につけていたものは全て、華やかで可愛らしいものばかりだ。羨ましくて、心のどこかで自分も欲しがっていたのだろうか?

 ふっと自嘲気味に微笑みながら、ルーシーは妹のことなど今は頭の中から追い出して、カミナへ宛てる手紙の事だけを考えた。

 この本の中に、参考になるような文章があったらいいんだけど。

 そんな淡い期待を込めながら、本を握りしめて自室へ戻る。


 持ってきた本を開いて、パラパラとめくる。ルーシーはスペルを覚えたばかりで、まだ長い文章を素早く読むことが出来ない。全く読めないわけではないが、まだまだ知らない単語はある。ページ数はそれほど多くないが、ところどころのページにイラストが出てくるのみのこの本は、どこもかしこも文字ばかりで軽く混乱してしまう。

 一度本を閉じて、それから裏表紙にルーシーでも読める文章が書いてあった。ほんの数行は、この本の内容を書き記しているようだ。


『これはあなたへ送る物語ーー。私の想いがつづられた、あなただけに伝えたい私の本当の気持ち。あなたはきっと気付いていないだろうから、ここにそっと書いておく。あなたが私にとって、最高の友であったということを……』


 丸々、書き写したりなんかはしない。ただ、なんとなくしっくりと来た。他の子供達に感じなかったこと。

 それはカミナがルーシーにとって最高の友であったと、そう感じていたかもしれない、ということだ。

 なんだか心に染み渡るような言葉だ、とルーシーは感じていた。文章が、言葉が、自分の心を代弁しているように感じられたから。

 

 カミナとのたくさんの思い出を、ひとつひとつ書く必要なんてない。

 シンプルに伝えられる言葉だってあるのだと、教えられた気がした。

 ルーシーはペンを取る。

 それは短い文章かもしれないけれど、シンプル過ぎるかもしれないけれど、これがルーシーの本当の気持ちだから。

 手紙で伝える、ということは。きっとそういうことなんだと、ルーシーは解釈した。


 この手紙を明日、出発する前に渡そう。

 自分が書いた手紙を、彼等は喜んでくれるだろうか。

 手紙を書き終えて封をした途端に、急に恥ずかしくなってきた。

 胸がドキドキして、自分の気持ちを言葉で伝えるということが、こんなにも緊張するのだと初めて知った。

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