第11話 『子供たちの目的』
熊の姿をした魔物アイスベアはおとなしくルーシーの指示に従った。
ソリを引かせる為の縄を装着させるやり方がわからないルーシーは、近くにいた村人の男性にお願いする。
魔物に近付くことを恐れた男性は嫌がったが、1人の男性が自分から名乗り出た。
「俺にやらせてくれ。行方不明になっている兄弟2人の父親だ。そいつで子供たちを助けに行ってくれるんだろう?」
村長の孫カミナと共に行方不明になっている兄弟、ロンベルトとアルバートの父親であるマーキスはびくびくしながらもソリに付属している縄を手に、座り込んでいるアイスベアに近付いて装着させていく。
「ありがとうございます、えっと……マーキスさん」
「マーキスでいいよ。まだ小さいのに、君はすごいな。こんな魔物すら従えることが出来るなんて」
――従える。
その言葉に違和感を覚えたルーシーは困惑した。
アイスベアを呼んだのは村で飼っている犬たちのはずだ。ルーシーが『誰でもいいから呼んでほしい』と犬たちにお願いしたから、それに応えたのがたまたまこの魔物だった。それだけだ。
普段なら動物と目を合わせてから会話をして、それからお願いをしたら聞いてもらえるという流れだった。
ルーシーが動物に頼み事をする時の一連の動作を全く無視して、この魔物は姿を現した。
それをルーシーが『従えた』などと、本当に言えるのだろうか。
「まだ私にもよくわかっていないが、アイスベアがお前に応えているというのは事実だ。気を引き締めておくんだよ。これがお前の魔法で従わせているというのなら、気を抜いた途端に魔物はお前に牙を剥く恐れがある」
「お師様、それは本当ですか。でも私、気を抜くも何も……。魔法を使った自覚もないんですけど、一体どうしたらいいのか……っ!」
ニコラの言葉に恐怖が増した。
もしここでニコラが言うようにルーシーが魔物を従える魔法を使用していたとして、その魔法が解けてしまった時には?
この魔物は正気を取り戻し、魔物本来の野生を取り戻して、本能のままに人間たちを襲うことだろう。
そうなれば大惨事どころではなかった。
気が急いてしまっているルーシーを落ち着かせようと、ニコラは瑞々しさが失われた手で少女の頬を撫でる。
その手はまるで氷のようにとても冷たかったがルーシーの心を優しく温めた。
泣き出しそうになっていた瞳から熱い水滴がこぼれることなく、ルーシーは初老の姿にまでなったニコラの顔をじっと見つめる。不思議と恐れはなかった。
ニコラの顔がこれ以上なく優しさに満ち溢れていたから。
「落ち着きな。お前が取り乱すと余計に魔法の効果に影響が出てしまう。深呼吸をして、冷静になるんだ。魔法ってのは感情にも左右されやすい。大丈夫、今この魔物はお前の管理下にあると言っていい。他の動物に頼み事をした時と同じでいいんだ。アイスベアのことをただの大きな動物だと考えてみようか」
そう言われ、ルーシーはニコラの言うように深呼吸をし、気持ちを落ち着かせる。
大きな動物。
おとなしい生き物。
心の中で何度も呟き、そしてルーシーはアイスベアに向き合った。
「力を……、貸してもらえるかしら」
『もちろん』
「乱暴なことは絶対にしないで」
『君の命令がなければ、そんなことは絶対にしないと誓おう』
「ありがとう、信じてるからね」
大丈夫そうだった。
思っていたより魔物は聞き分けがよく、こちらの言うことを理解してくれている様子だ。
少しばかり安心したルーシーは装具を取り付け終えたマーキスにお礼を言うと、御者台に乗り込んだ。
「何をしているんだい。私も行くに決まっているだろう」
そう言ってニコラはゆっくりと立ち上がって、ふらふらしながらも御者台へと歩いて行く。マーキスが不安そうにしながらもニコラに肩を貸して座らせた。
その間もニコラはフードを目深に被って俯き、決して顔は見せないようにしていた様子をルーシーは見逃さない。
「少し心当たりがあるのを思い出した。アイスベアにスノータウンの北端にある湖畔へ向かうよう伝えておくれ」
「北の湖畔っていったら、ニエべ湖のことか? なんだってあいつらはそんなところに……」
「そこに目的の物があるからだよ」
「だがしかし、ニエベ湖付近には確か……! 危険だ!」
「わかっているよ、だから急いで向かうんじゃないか」
初めて聞く湖の名前を2人が口にして、先ほどよりもずっと深刻そうになっている。
確かに行方不明になってからもう随分時間が経過しているので、急がなければいけないのは理解していたが、2人の会話にはそれ以外の何かがあると感じ取ったルーシーは出発してからニコラに訊ねた。
「お師様、そのニエベ湖には何があるんですか? どうしてマーキスさんはあんなに……」
「この雪国一帯にはね、主が住んでいるんだよ。白銀の美しい毛並みを持つ巨大な狼の姿をした、氷雪を統べる魔物の王フェンリル。そいつの住処がニエベ湖の近くにある」
「魔物の、王……」
「とは言ってもほとんど伝説に近い生物みたいなもんさ、ドラゴンと一緒だよ。滅多に人間の前に姿を現さない。だが私は何度かフェンリルを目撃したことがある。村の連中の中にもいるから、想像上の生物なんかじゃない。実際に棲んでいるのさ、ニエベ湖には。その恐ろしい魔物が」
狼の姿をしている、ということは一応そのフェンリルも動物の類に入るのだろうか、と考えるルーシーにニコラは厳しい目を向けて釘を刺す。
「フェンリルを従えようなんて考えないことだね。知能が高い魔物ほどそのプライドも高いものさ。たかだか魔女の小娘1匹が自分を手懐けようなんてしたら、例え敵意がなかったとしてもその鋭い牙で一瞬にして噛み殺されてしまうだろうよ」
そんな恐ろしい魔物が棲みついている場所に子供たちが迷い込んでいる。そう思うと居ても立っても居られなくなった。フェンリルにはルーシーのお願いは届かないということなのだ。
このソリを引いて走っているアイスベアでさえも初めて見た時は恐ろしかったというのに、もしフェンリルに遭遇でもしたらニコラは一体どうするつもりなのだろうと不安は募るばかりだった。
木々の間をしばらく走り続けていると、突然視界が開けた場所に到着する。
思っていた以上に大きな湖は凍り付いており、辺りはとても静かなものだった。アイスベアはニエベ湖に到着すると、そのまま地面に座り込む。
『用事が済んだなら声をかけてください』
結構な距離を駆け抜けてたからか、アイスベアは全身を揺らすほど息を切らしていた。よほど疲れたのか、へたり込むように地べたに這いつくばって眠り始める。
「お疲れ様、ありがとう」
ニコラがソリに手をかけてゆっくりと御者台から降りる。ふらついて転倒してしまったら大変だと手を貸そうとしたが、フードから覗いた顔はすっかりいつもの若々しい肌をしたニコラに戻っていた。
「少しばかり休んでいたからね。もう大丈夫だよ」
「お師様、さっきのは一体どうして……」
心配そうに訊ねるルーシーに、しかしニコラは口をつぐんだままだ。じっとその目を見つめるだけで、憂いを帯びたその赤い瞳はふいとルーシーから視線を逸らす。
話す気はないのだと察した。それならそれで構わないと思うことにする。ニコラが話さないということは、話すほどのことではないのだとルーシーは解釈した。大事なことならきっと話してくれるはずだから。そう信じて。
「さて、氷の花はニエベ湖の凍った湖面に咲くんだったかね」
「氷の花?」
「カミナの、子供たちの目的の品だよ」
「どうしてそんな花なんかの為に、こんな危険な場所に来てまで……」
花を採集する為に村からこれほど離れた場所にやって来て、フェンリルという魔物に襲われるかもしれない危険を冒してまでするほどのことではないと思ったルーシーは、平和に幸せに暮らしてきた子供にとって他人に迷惑をかけることがどういうことなのか。それを想像することが出来ないのだろうかというもどかしさを感じた。
自分なら勝手な行動は慎んでいる。
言われてもいないことをしようだなんて、決して考えないだろう。
周囲の人間に迷惑をかけて、それで結局痛い目に遭うのは自分なのだから。
そんな風に子供たちに対して非難する表情になっていたのだろう、ニコラはやれやれと言わんばかりのため息をついて、その理由を話して聞かせた。
「お前を歓迎する為だよ」
「えっ?」
「子供たちは今日、お前がこの村に来て一緒に勉強することを事前に知っていたんだ。私が予定を伝えていたからね。だから子供たちはお前に氷の花を歓迎の印として、プレゼントするつもりだったんだろうさ」
「え……、え? 私の、為に……?」
どう受け止めたらいいのかわからなかった。
自分を歓迎する?
今までに全く経験してこなかったことを聞かされて、ルーシーは驚きと戸惑いを隠せない。
「でも、それなら……別に村の近くで採れる花でもよかったのに。なんでわざわざこんな……」
「氷の花の花言葉は、『友情、仲良し、打ち解け合う』……。友情を育み、仲良くなって、互いの心が打ち解け合うようにって意味が込められているのさ。氷の花自体が1日も経てば溶けて無くなってしまうものだからね。『溶ける』と『解ける』をかけた花言葉なんだろう」
「仲良く……」
「子供たちはお前と早く仲良くなれるように、お前が自分たちに1日でも早く心を開いてくれるように。そう思って一昨日でも、昨日でもなく、今日でなければいけなかったんだ」
言葉が出なかった。自分のことをそんな風に思ってくれたことなんて、今までに誰もいなかったから。子供たちの優しさにルーシーは、自分はなんて冷たい考え方をしてしまったんだろうと猛省した。
「泣きそうになっている場合じゃないよ。早く子供たちを見つけて、みんなで村に帰らなくちゃね。わかったらキビキビ動きな」
「はい……っ、はい……、お師様……っ!」
氷雪を統べる魔物の王フェンリル。
子供たちがそれに遭遇したかどうか不明であるが、見渡した限り今この湖面に人1人の姿も見つけられないということだけは、すぐにわかった。
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