第12話 司祭の本性、悪魔の本音
その日の教会は、いつもと様子が違っていた。賑やかな子どもの声が聞こえず、また人の姿も全然見えない。
「……どうしたのかしら」
「さぁな。……スー、なるべく近くにいろ」
嫌な雰囲気だった。物々しいというべきか、きな臭いというのか。神聖な場所であるはずのそこが酷く不気味に感じられた。
「ようこそいらっしゃいました、スザンナ様」
出迎えたユージーンは、いつものように笑顔を作っていた。後ろには十数名の修道者。スザンナに向かって一斉に頭を下げる。
「司祭様。教会のひとたちはどちらへ?」
「えぇ、今日は街に出ています。子どもたちの教育のために、時折こうして街に連れ出していただいているんですよ」
「まぁ、そうでしたの。それで今日、お話というのは」
スザンナが尋ねると、ユージーンはますます笑みを深める。ざわりと、不快な感覚がハロルドの背筋を這った。
「まずは聖堂の方へ、従者の方もご一緒に。お話はそちらで」
案内されるままに、スザンナとハロルドは聖堂へ向かった。嫌な予感は益々強まって、ハロルドが小さく舌打ちをする。聖堂へ案内されるまでに、修道者がスザンナとハロルドを囲んでいた。
そして聖堂にたどり着くと、扉が大きな音を立てて閉められる。日の光りが差し込むだけのその場所の中央に、ぐつぐつと煮えたぎる「何か」が用意されていた。
スザンナも異様な気配に気づいて、ハロルドに身体を寄せる。先を歩いていたユージーンが、くるりと振り返った。
「スザンナ様。これが何か、わかりますか?」
火をくべられた大きな壺の形をした容器の中には、棒が差し込まれていた。それを引き上げるとどろどろとした暗い灰色の液体が滴り落ちた。
「……な、何ですの、それは……」
ユージーンがにっこりと笑って答える。
「悪魔祓いに用いられる聖者の灰を溶かしたものです。材料は亡き修道者の骨と、生きた修道者の血。もちろん、私の血も入っています」
ぞく、と、スザンナの身体に悪寒が走る。とっさにハロルドに手を伸ばしたが、その手はハロルドには届かなかった。修道者が数人で、ハロルドの身体を拘束していた。
「ハル! 司祭様、何をなさいますの!?」
「スザンナ様。あなたは悪魔に憑かれているのです。悪魔祓いを行わなければ」
「そ、そんな……司祭様まで噂を信じていますの!? ハルは悪魔じゃ」
「いいえ!!」
言葉を遮る声に、スザンナが怯む。ユージーンはゆっくりとスザンナに近づいて、またにこりと笑みを浮かべた。けれどその瞳に宿る意味のわからない熱に、スザンナはぞっとする。
「この男の正体が悪魔だとか、悪魔ではないとか……そういう話ではないのですよ。美しい女神にまとわり付く不浄の存在、それを総じて私は悪魔と呼んでいるのです」
ユージーンの言葉の意味がわからず、スザンナは後ろへ一歩身体を引く。ユージーンは笑みを携えたまま、うっとりとした眼差しをスザンナへ向けた。
「スザンナ様。私の女神。初めてあなたをお見かけしたときからずっと、あなたをお慕いしておりました」
「なにを言って……」
「あなたこそ崇拝すべき存在。あなたこそこの教会で崇め奉られる人。この街の、いやこの国の人間は全員あなたにひれ伏すべきなのです!」
ユージーンの目は、常人のそれではなかった。ぎらぎらと欲を携え、スザンナの身体をじっくりと見つめる。不快だった。気持ちが悪かった。スザンナは拳を握り、きっと眉を釣り上げた。
「何をわけのわからないことを言っているの! あなたの妄想にお付き合いしている暇はありません! すぐにハロルドを解放なさい!」
ハロルドの身体は今、十人ほどの修道者によって押さえつけられている。暴れたら振り払うことは可能だが、そうすることでスザンナのそばにいる男が、どんなことをしでかすか予想が出来なかった。ユージーンはスザンナの言葉に、その表情からすっと笑顔を消して言う。
「あぁ……いけません。あなたはやはり、あの男に、悪魔に憑かれている。不釣り合いなんですよ、この男は。オズワルド王子殿下ならまだ良かった。あなたは国民に愛され崇拝される国母となるのだから。……だけれどどういうわけかあの愚かな王子は、あなたとの婚約を解消した。そうなればもうあなたに相応しい相手など存在しない。あなたはこれからこの教会で永遠に、清らかな乙女として、美しく淑やかな女神として暮らすべきなのです!」
「お断りします! わたくしの人生はわたくしが決めるわ、勝手に決めつけないで!」
「スザンナ様! あなたは女神の生まれ変わりなのです、あなたが望むとも望まずとも、受け入れるしかないのですよ」
「あなた、おかしいわ! 誰がそんな言葉にはいそうですか、なんて言うと思っているの!? わたくしは女神などではありません、ただの公爵家の長女、スザンナ・アリンガムですわ!」
ユージーンが浅く息を吐いて、首を振る。手をさっと上げて合図を贈ると、今度はスザンナの身体が修道者二人に拘束された。
「おい! スーに手ェ出すな!」
「うるさい羽虫だ。お前のような汚物がスザンナ様の傍にいることは許されない。ーーさぁ、悪魔祓いを始めましょう。スザンナ様、よー……く、見ていてくださいね。傍に置くものを間違えると、こうなってしまうのですよ」
笑いながらそう言って、ユージーンは煮えたぎる「聖者の灰」を棒ですくった。ハロルドを押さえつけている修道者たちが、力ずくでハロルドをユージーンの傍まで連れて来る。スザンナの顔が、さっと青くなった。
「なにを、何をするの! やめて、ハロルドを離して!」
ユージーンはハロルドから目を離さなかった。
「まさか抵抗などしないでしょう? 悪魔とは言え、スザンナ様を慕う心はあるようですし……まぁその心すら私は、汚らしい、烏滸がましいものだと思いますけど」
「はっ。そのテメェのいやらしい信仰心は烏滸がましいものじゃねぇのか? スーを見てはニヤニヤニヤニヤ、気持ち悪いんだよ」
司祭の顔に、笑顔はなかった。ぐつぐつに煮えたぎった聖者の灰がついた棒の先端を、躊躇なくハロルドの胸元に押し付けた。
「ぐっ……!」
スザンナが目を見開く。
「いやぁあああああっ!! やめて、やめなさい!! どうして、どうしてこんな酷いこと!!」
「あなたのためですよ、女神様! 悪魔は全て殺すべきだ! あなたにまとわり付く悪魔は、全て!」
「わたくしは女神じゃないと、何度言ったらわかるの! わたくしのことを何も知らないくせに、あなたの理想を押し付けないで!」
恐ろしい熱が、胸元を焼く。シャツは破れ、あらわになった肌にユージーンは、再び聖者の灰を押し付けて十字を描いた。
それは恐ろしい悪魔祓いの方法。聖者の灰を悪魔の胸に刻み、じわじわと肉から骨を越え、心臓を焼いて悪魔の命を消す。ーー死ねない悪魔も、例外ではなく。
スザンナは必死に身動ぎして、拘束を解こうとする。だけれどそれは叶わず、押さえつけられたまま胸を焼かれるハロルドの姿を見ていることしか出来なかった。何度も首を振り、胸を過る絶望を振り払おうとしていた。
「離して、お願いっ! ハル、ハルっ! 駄目よ、こんなっ……やめて、やめてぇえっ!」
じくじくと胸が焼けていく感覚。呪いをかけられてから初めて感じる、死の恐怖。
スザンナに出会う前なら、受け入れていただろう。こうなってしまったからには死ぬしかないと。だが今は違う。みっともなくても生にしがみつきたかった。スザンナを泣かせたまま、死にたくはなかった。
不意にハロルドの姿に変化があった。隠していたはずの角と尾ーー禍々しい黒い羽。悪魔の証が出現したのだ。
修道者たちはざわつき、けれどユージーンだけは特に驚いた様子もなく乾いた笑いを浮かべる。
「……はは。なんだ、本当に悪魔だったんですねぇ。本物の人間なら耐えられない熱ですよ、これは。もっと悲鳴を上げて悶え苦しんで、女神に纏わりついたことを絶望して死ぬば良かったのに」
「テメェはそれを、本物の人間にやろうとしてたってわけか。本当に聖職者か?」
「女神に害をなした汚物を処理するのに、生易しい方法を選ぶわけがないでしょう。まだ自分の罪がわかっていないようですね」
「罪。あぁ、確かに罪かもしれねぇなぁ、そいつと出会ってしまったことは。でもなぁ、それを決めるのはテメェじゃねぇ。スザンナだ。テメェの言葉なんざ、軽すぎて頭の中にも入ってこねぇよ」
ユージーンの顔が、酷く歪んだ。怒りと憎悪に満ちたその表情は、もはや聖職者とは言えないほどのものであった。悪魔よりもよほど悪魔らしい顔でその司祭は、再び棒を煮えたぎる聖者の灰に突っ込み、先端をハロルドへ向ける。床にびちゃびちゃと散った灰はすぐに黒く固まった。
「女神の名を口にするな、下衆がっ! お前のようなものは女神を見ることすら許されない存在だ! あぁいいだろう、その目もその舌も、この聖者の灰で焼いてやる!!」
「やめてぇぇえええぇええ!!」
スザンナが絶叫した、その刹那。
大きな音を立てて、聖堂の扉が開かれた。
「姉さまー!」
チェスターの姿に、スザンナとハロルドは目を見張る。ユージーンが大きく舌打ちをした。
「スザンナ様の弟だからと見逃してやっていたが、私にとってはお前も悪魔だ! この男と共に私の手で殺してやる!」
狂気に満ちたユージーンはこのとき気づいていなかった。大きく開かれた扉の向こう、太陽の光の後ろに。この国を背負って立つ存在が、あったことを。
チェスターの後ろの人影が、手を上げる。
「護衛兵! 教会のものらを取り押さえろ! 抵抗するなら力づくでも構わない!」
オズワルドの声に、武器を携えた兵たちが一斉に聖堂へ押し寄せた。ユージーンの顔色が変わり、手にしていた棒が落ちる。自らを押さえつけていた修道者たちが怯んだのを見逃さなかったハロルドは、地面を蹴ってユージーンに突進した。動揺したユージーンは避けるまもなく、腹部に強烈な一撃を食らわされる。ハロルドは突進した勢いのままユージーンと共に倒れ込み、驚愕に目を見開いた司祭に向かって悪態をついた。
「スーを泣かしてんじゃねぇよ、クソ司祭が」
ごふ、と胃液を吐き出したユージーンは、そのまま気を失った。
「ハルっ!」
修道者たちは次から次に取り押さえられ、スザンナはすぐにハロルドのもとへと走っていく。胸元の十字架によるダメージは強く、床に仰向けになったハロルドは脂汗をかきながら浅い息を繰り返していた。
「ハル、大丈夫なの、ハルっ」
「――どうだろうなぁ。こいつは、正式な悪魔祓いだからな……」
じくじくと痛みを増して行くその十字架は、外気にさらされとっくに冷めているはずであるのに未だ熱を持っている。
「どうしたら良いの、せ、聖水とか、そういうものが必要なの!?」
ユージーンが運び出されるのを見てから、チェスターもハロルドの傍へと行く。胸に刻まれた傷に、痛ましい表情を浮かべた。
「姉さま、悪魔に聖水は効かないよ」
「ならどうしたら……このままではハルが死んでしまうわ! そんなの駄目よ!」
虚ろな目をしたハロルドが、スザンナを見やる。手を伸ばし、そっと頬に触れた。スザンナの身体が、びくりと震える。
もう死ぬのだろうか。このまま、悪魔として命をなくすのだろうか。
ならばもう、良いか。
情けなく、みっともなく、ろくでもない過去を告げて、そして……――。
「なぁ、スーよ……俺はなぁ、こう見えて、遊び人だったんだ。何人もの女を抱いて、一夜限りの関係を繰り返して……公爵家の次男だってのをいいことに、遊び歩いてた」
「……あなたの、過去の話……? ど、どうして今そんな話を」
尋ねる声に、ハロルドは小さく笑った。
「いいから、聞け。……そんなときだ。馬鹿なことを繰り返している俺に、罰が当たったのは。遊んだ女のうちの一人が、一緒になろうと言ってきた。家も家族も捨ててきた、だから自分と一緒になってくれってな。……俺は断った。面倒だったからな、そういう愛だとか、恋だとか言うのが。だから、呪われた。運悪くその遊んだ女は、魔女だったんだ。俺はそいつから、悪魔になる呪いを受けた。俺には一生解けない呪いだ、ってな」
ハロルドの言葉を、スザンナたちは静かに聞いている。ハロルドの本当の姿に兵の一部は戸惑ったが、オズワルドがそれを宥めていた。
「愛し、愛されるものが現れなければ消せない呪い……」
チェスターが小さな声で、ぽつりと呟く。なぜチェスターが知っているのか、それを問い詰める余裕はハロルドにはなかった。
「呪いは、俺を生かし続ける。寿命で死ぬこともなければ、どれだけ身体を傷つけられても死ぬことはない。……あぁ、悪魔祓いだけは別だ。何故過去にそれを受けて消えてしまわなかったのかと言われたら、簡単な話だ。悪魔祓いはどんな方法であれ痛みと苦しみを感じる。……痛ェのは嫌だったからな」
くくっ、と喉を鳴らして笑い、スザンナの瞳を見つめる。
「俺が呪われた理由が、俺が散々女と遊んでだらしなく過ごしていた罰と言うなら俺は、それを償わなければならなかった。愛し愛される存在を見つけられないのなら潔く、悪魔として死ぬべきだった。……だけど俺は、逃げた。お偉い聖職者に、俺という悪魔を封じてもらった。その媒体がアリンガム夫妻が手にした箱だ。夫妻に呼ばれた俺は最初は気まぐれで、……遠い昔に出会った誰かの言葉を思い出して、スザンナ、お前に出会った」
頬に触れるハロルドの手に、スザンナは自らの手を重ねる。エメラルド・アイは大きく揺れて、今にも涙が溢れそうだった。
「愉快な子どもだったよ、お前は。公爵令嬢だから、皇太子の婚約者だからといつでも背を伸ばして胸を張って……楽しいとか、面白いだとかいう感情を抱いたのは随分と久しぶりだった。……それから……お前が成長するにつれて俺は……抱いたことのない感情を、持つようになった」
ハロルドの手から温もりが消えていくような気がして、スザンナの手に力が籠もる。ほろほろと溢れ出した涙に、ハロルドはまた小さく笑った。
「でも、な……その感情が、大きくなるにつれて。俺はどんどんその感情は、許されねぇもんだと思うようになった。……俺が……俺みてぇな悪魔が……お前に、向けちゃならねぇものだと……」
愛しいと思うほどに、恋しいと心が訴えるほどに。
「なぁ、スー。……俺は、汚ェだろう、みっともねぇだろう。何人もの女と遊んで、逃げて……そんな最低の男だ。あの司祭が言っていたな、不釣り合いだって。……悔しいがそこだけは、認めるしかねぇだろうな」
「勝手なことを言わないで」
涙に震える声は、静かな聖堂の中で響く。ぼろぼろと大粒の涙を零しながらスザンナは、眉を釣り上げて言った。
「あなたもわたくしに夢を見ているの? わたくしを何だと思っているの? 私は聖人でも、ましてや女神でもありませんわ。ただのスザンナ・アリンガムです。不釣り合いって何ですの? 許されないって何ですの? どうしてそれを、あなたたちが決めてしまうの!」
ハロルドの手を握るスザンナの手の力は、とても強く。それだけ強い感情が込められているのだとわかる。
「わたくしはわたくしの意思であなたを傍に置いているのよ。そうして欲しいから、あなたに傍にいてほしいと思うから! あなたの過去について、わたくしが何かを言うことは出来ません。だってもうどうしようも出来ないことですもの。……ただ、わたくしが、このわたくしがっ、あなたの過去の失敗を受け入れられないほど、許容の狭い女だと思っていて!? あなたはわたくしの何を見ていたの!?」
涙は、悔しさのものへと変わる。侮られていたのだと思うと、悔しくて悔しくて堪らなかった。
そんな簡単な想いではない。過去を知ってそれで嫌いになれるような、単純な恋じゃない。スザンナの恋は、彼女が意識するずっと前から始まっていたのだ。
「ねぇ、ハル。わたくしの想いを侮らないでちょうだい。わたくしは……わたくしは、あなたを選ぶから……何よりもあなたを優先するから、婚約解消されてしまった、そんな女なのよ。王子殿下はわたくしよりも知ってらしたわ。わたくしがどれだけあなたを想っているのか……」
ひくっ、と、スザンナの喉が鳴る。涙でぐしゃぐしゃになっているその顔は、ハロルドにとってはそれでも美しく。その瞳が優しげに笑みを浮かべた瞬間、胸に感じていたじくじくとした強い痛みが消えた気がした。
「ハル、……ハロルド。わたくしはあなたが好きよ。どうか子どものくせにと笑わないで。――あなたからの贈り物がどれだけ嬉しかったかわかる? あなたとダンスを踊る時間が、どれほど幸せだったかわかる? ……あなたも、同じであると嬉しいわ。この大切な想いを、分かち合いたいの」
いつか聞いた言葉を、繰り返し。スザンナはハロルドの手を、両の手で強く握りしめた。
「あなたが愛しいわ、ハル。……だから、お願い……わたくしと、生きて……!」
どくりと、鼓動が強く鳴った。は、は、と浅い呼吸を吐き出し、一度強く目をつぶって、また目を開く。頬に握った手を擦り寄せて涙をこぼすスザンナに、ハロルドは掠れた声を漏らした。
「スー。……あぁ、俺は……言って、いいのか。お前に……愛している、と……お前が、愛しいと……」
「ハル……!」
ハロルドが言葉を紡いだ刹那、彼の身にあった「悪魔の証」が、ふっ、と消えた。じくじくと胸を焼いていた「悪魔祓い」の跡は、ただのーーというには余りに酷いがーー火傷の跡へと変わっていた。
「いっ……痛てててっ」
「は、ハル?」
急に痛がり出したハロルドに、スザンナは慌てた。今にも死にそうに見えたハロルドは、寧ろ先程よりも大きな声で痛みを訴えた。
チェスターがぱんっ、と両手を合わせて、にっこり笑顔を浮かべる。
「おめでとう、ハロルド! 人間に戻れたね!」
その言葉に目を丸くしたのはスザンナだった。
「え? 人間、に……? チェスター、それはどういう……」
「悪魔の証も消えたし、悪魔祓いの効力もなくなったでしょ? 悪魔祓いの効力って、こう、じわじわと心臓に熱が到達していって時間をかけて殺すってやつなんだけど、人間に戻ったから酷い火傷で済んだんだよ。……済んだ、ってのも変か、結構えぐい火傷だし……」
チェスターの言葉に、ハロルドは腹に力を入れて起き上がった。火傷の痛みはもちろんあるが、心臓が食われて行くような、そんな感覚はない。頭に触れてみても角は無く、鋭い犬歯もなくなっていた。
「……まぁ、ハル!」
スザンナの声に、彼女の方を向く。すると彼女はエメラルド・アイをやはりきらきらさせて、ハロルドの瞳を見つめて言った。
「このネックレス、やっぱりあなたの瞳の色だったのね!」
血のような赤い瞳は、本来の落ち着いた赤茶色に戻って。スザンナの胸に飾られたそれと、同じ輝きを放っていた。
「戻ったのか……本当に……」
「愛し、愛される相手が見つかったんだから、当たり前だよ」
チェスターがふふん、と得意げに笑って言う。そしてそのまますすす、と後ろに下がって、スザンナに声をかけるように促した。チェスターの後ろではオズワルドが、安堵を浮かべた表情で二人を見守っていた。
「……スー。俺でいいのか、本当に」
「あら、随分弱気なことを言いますのね。遊び人、ではなかったの?」
「お前な……本気で愛した相手に臆病になるのは仕方ねぇだろうが。お前に嫌われるんじゃねぇかって、ずっとビビってんだこっちは」
ハロルドの言葉にスザンナは、それはそれは幸せそうに笑った。
「わたくしだって、ずっと子ども扱いされているのだと苦しんでいましたのよ。おあいこですわ」
「……それは、……そうしねぇと、どうにも誤魔化せなかったからで……」
「えぇ、だから。もう誤魔化さないで、はぐらかさないで。本気でわたくしを想ってくれるのなら、あなたのその気持ちをわたくしにしっかり伝えてください」
「スー、」
「過去のどの女性に向けた想いとも違うのだと、……本気なのだと、毎日証明してくださいませ」
ぱちりと大きく瞬きしたハロルドは、片方の眉を上げてスザンナに尋ねる。
「言っちゃなんだが、わりと気にしてる、か?」
「過去のことに口出しは出来ませんけれど、嫉妬はしますもの」
唇をむっと結んだスザンナに、ハロルドは喉を鳴らして笑った。それから腕を伸ばして、火傷の痛みも気にせずにスザンナの身体を抱き寄せた。
「愛してる。――愛しいと思うのはお前が最初で、最後だ」
きゅぅ、と胸が締め付けられる感覚に、スザンナの頬が熱くなる。顎を掬われ見上げたハロルドの瞳の甘さに、はっ、と息が詰まった。
時折こんな瞳を、見たことがあった。だけれどそれは今のこの目ほどに甘くも、熱くもなかった気がする。
ハロルドの想いの強さを感じたスザンナに対し、追い打ちをかけるようにハロルドが言う。
「口付けていいか。ずっと我慢してた」
驚きに毛が逆立ってしまった気がするスザンナである。
「そっ! そういうのって、聞きますの!?」
「一応、念の為」
まだ不安なのだろうか。嫌がるとでも、思っているのだろうか。そんなことあり得ないのに――と、スザンナは視線をうろうろ動かし、それから小さな声でぽそぽそと呟いた。
「く、口付け、は、……あ、愛するもの同士がするものですわ。だから、……」
してよくってよ、と答えるより前に。
スザンナの唇は、ハロルドの唇で塞がれていた。
生まれて初めての口付けは、甘くて、少しばかり切なくて。それでいてとても、幸せ、だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます