第11話 動き出す、不穏なもの

 王家のパーティーから、数日。

 スザンナとハロルドの二人は、馬車に乗って教会を目指していた。ユージーンから「教会の指針について大切な話があるから来て欲しい」という旨の手紙が来たのだ。教会についての話なら父親の方がいいのではないかと思ったが、手紙にはスザンナの名前が書かれており、父親のチャールズは「お前の才能を理解してのことだろう」と、スザンナを送り出した。

「司祭様、何のお話かしら?」

「……さぁな。坊っちゃんの本の貸出期間が長いとか、意見があったんじゃねぇの」

「そんな些細なことで呼び立てますの? これはもしかしたら、とても重要なお話かもしれませんわ。お父様の代わりに頑張らないと!」

 あの日――共にダンスを踊ったあの日から、スザンナの輝きは一層増した。ハロルドがはっきりと、彼女への感情を意識したためかもしれない。楽しそうに、嬉しそうにハロルドを呼んで、言葉を交わす。今もその瞳はきらきらしていて、やはり眩しかった。

 首元には贈ったガーネットのネックレスが、今日も飾られている。

「……ねぇ、ハル」

「うん?」

「あのね、今日……帰ったら、わたくしもあなたに、大事なお話があるの。聞いてくれるかしら?」

「話……?」

 まさか、と、ハロルドは一瞬黙り込む。だけれどすぐにふっと息を漏らし、構わない、と頷いた。するとスザンナはほっとした様子でまた柔らかな笑みを浮かべ、馬車の中から街を眺めて鼻歌を歌っていた。

 ハロルドは口元を押さえて、スザンナとは反対側へ視線を向ける。勝手に口元がにやけてしまっていた。

 大事な話云々よりも、スザンナのその様子が余りにも愛らしく思えて、胸が疼いた。

 パーティーの日から様子が変わったのはスザンナだけではなく、ハロルドもだった。彼女が何をしても、何を言っても愛しさが募る。それまで意識しないようにしていた感覚が一気に溢れ出ているようだった。

 駄目だと思っているのに。許されないと思っているのに。

 その心とは裏腹に、日に日にスザンナへの想いは増えていくばかりだ。

 だけれどやはり、彼女の純粋な好意に対して自分は、真実を伝えないままでいる。過去の不実を、隠したままでいる。

「スー」

「なぁに、ハル」

「俺もお前に、話しておきたいことがある。……俺の、過去の話だ」

 スザンナの顔が、ハロルドに向けられた。ハロルドは視線を背けたまま、視線を左右に泳がせている。話す決心をしたつもりが、その心はまだ揺らいでいる。理由はひとつ、スザンナの反応を見るのが怖いからだ。

 汚らしい、不潔だと拒絶される可能性もある。何と言っても彼女は、大切に大切に育てられた公爵家のお嬢様だ。

 そんな彼女に、ハロルドの過去は受け入れられないのではないか。あのエメラルド・アイに、拒絶の眼差しを向けられてしまったら……。

 どくりと、強く鼓動が鳴る。感じるのは強い痛みだ。冷や汗すら浮かんでしまうくらいの、強烈なもの。

 スザンナに話をする前に、自分を「箱」に封じられるほどの力を持った上位の聖職者を探しておくべきだったと、ハロルドは幾分か後悔する。この街の教会ーーユージーンが司祭のあの場所にーー以前出会った男ほどの力を持つものはいない。もしスザンナに拒絶されたとき、ハロルドには逃げる場所がなかった。

 だがそれも、仕方のないことなのかもしれない。

 これこそが本当の「罰」であるのかもしれない。

 愛し愛されたことで解ける呪い。けれどこれまで愛を告げた相手は皆逃げた。悪魔だと知って、ハロルドの手を離した。

 スザンナは最初から、ハロルドが悪魔であることを知っている。だけれどその清らかな心のために、他の相手には容易に話せた過去を話せずにいた。打ち明けた瞬間に彼女は、悪魔であることより何より、ハロルドの行いに嫌悪を示して離れて行ってしまうのではないか。

「ハル」

 ぐるぐる、考え込んでしまったハロルドに、優しい声が届く。

「どんな過去でも、受け入れますわ。だから安心してちょうだい」

 本当に? そう、聞き返してしまいそうになる。

 彼女の言葉にはいつだって偽りがなかった。だから今回もと期待してしまう。

 でも、だけれど、どうしたって不安は消えない。

 ハロルドはそれほどに、今――スザンナを、強く想っていた。

「そろそろ教会につきますわ」

「あぁ、……そうだな」

 彼はこのとき、自分の想いを制御することで精一杯だった。スザンナの優しさに幾分か、浮かれていた気持ちもある。

 だから油断していた。

 司祭ユージーンの、スザンナを見る不可解な眼差しのことも忘れて。

 



******




「っていうワケなのよ、チェスター」

「もぉおお、焦れったいなぁ~!」

 ファータ・フィオーレ・ソレッラ。その店の前で、オーナーのレオンツィオとチェスターは言葉を交わしていた。店の中ではニナと他の従業員、それから何人かの客が楽しそうに歓談しながら商品を見ている。

 チェスターとレオンツィオはハロルドの思っている通り、やたら感覚が合うらしく。今では気軽に名前で呼び合うような仲であった。

 そんな彼らが、何の話をしているのかと言うと。

「アタシたちがこんなに背中押してるっていうのに、未だに尻込みしてるってどういうことなのかしら?」

「多分、っていうか……ずっと過去のこと引きずってるんだよね、ハロルド」

 チェスターにとっては大切な姉、レオンツィオにとっては大切なお客様であるスザンナと、その従者ハロルドのことである。

 姉と共に店に通っているチェスターは、随分前から二人のことをレオンツィオに相談していた。子どもである自分の言葉より、レオンツィオの方が説得力があるだろうと考えてのことだった。

「どう見たって両想いなのにさ、なんだかんだ言い訳してるんだもん」

「その過去の話っていうの、アタシは知らないんだけど。チェスターは知ってるの?」

「……うん、まぁ」

 足元をじっと見つめながら、曖昧に頷く。

「それがネックになってるのはわかる。尻込みしちゃう気持ちも、理解できるよ。でもさ、もういいんじゃないのかなって。もう充分なんじゃないかって、ぼくは思うんだけど」

「どうしても臆病になってしまう気持ちは、アタシにもわかるわ。でも今の状況に甘んじて、レディに何も伝えないのはそれこそ罪じゃなくって?」

 何も知らないスザンナに、何も伝えないでいるのは。彼が自分の過去を後悔して悩むのは仕方がない。けれどそれは、スザンナの想いを無視していい理由にはならない。真摯な想いであるのなら、尚のこと。

「ねぇレオンツィオ。ぼくは姉さまが好きだから、姉さまに幸せになってもらいたいって思ってる。でも同じくらい、ハロルドにも幸せになって欲しいんだよ。ぼくが生まれたときから、その前からずっと姉さまを守ってくれた。姉さまの傍にいてくれた。いつも姉さま、言ってたんだ。どんなに大変な稽古も勉強も、ハロルドがいたから辛くなかったって」

 レオンツィオが柔らかく微笑む。

「わかるわぁ。大変だ、辛い、って思っても、好きな相手が傍にいてくれたらそれだけで癒やされるのよね。アタシにとってのニナみたいに」

「ぼくにとっての、姉さまみたいにね! それできっと、ハロルドにとっての癒やしの存在は姉さまなんだ。絶対、間違いなく! だから二人の想いが通じ合ったら、すごく、すごく幸せなんじゃないかって」

 チェスターは誰よりも近くで二人を見ていた。二人が見つめ合う姿を、或いは一方が一方を愛しげに見つめる姿を、何度も。

 あと一歩。たった一歩、踏み出したらそれで。

「あれ? チェスターじゃん!」

 かけられた声に顔を向けると、そこには見知った顔がいた。教会にいた孤児たちだ。そばには世話人の大人たちもおり、チェスターの姿ににこやかに頭を下げる。

「え、何で街に? それもみんなで」

 チェスターの疑問に答えたのは、世話人の一人だ。

「それが今日、教会の聖堂で特別な儀式を行うとかで、私どもに教会を離れているように言われて。せっかくだから街に出て色々見て来たらどうだろうと」

「……特別な儀式?」

「えぇ。でも不思議なんですよね、今までも何らかの儀式はありましたけど、教会から離れているように言われるなんて、初めてで」

 ざわざわと、チェスターの心に嫌な予感が広がる。あの教会には今日、スザンナが呼ばれている。ハロルドを連れて家を出たのを見た。

 思い出すのはあの、ユージーンの姉を見る眼差し。

 崇拝、敬慕、心酔。

 尋常ではない感情を帯びた、司祭の目。

「レオンツィオ、ぼくっ……」

 振り返った直後、周囲にいた人間たちが一斉に道の端に寄る。チェスターが顔を上げるとそこには、王家の紋章が飾られた馬車があった。

「うわー、おれ王様の馬車初めて見たよ!」

「あれは王様の、じゃなくて王家の馬車よ、そんなことも知らないの?」

 大人たちと共に頭を下げつつ、けれどちらちらと馬車に視線を向けながら子どもたちが話す。レオンツィオも礼をして馭者に愛想よく手を振った。

「そういえば今日、隣街で会食があるとか聞いたわね。婚約者が新しくなったから、連れ回されてるみたい」

 皇太子のお嫁さんになる人は大変よねぇ、と頬に手を当てて呟く。するとチェスターが勢い良く走り出し、馬車の前に躍り出た。馭者は慌てて手綱を引き、馬を止める。レオンツィオは慌てた様子で、チェスターに向かって大きな声を上げた。

「ちょ、ちょっとチェスター! 何してんのよ!」

「おい、子ども! 王家の馬車を遮るとは何事だ!」

 馭者の言葉も尤もであったが、チェスターには今余裕がなかった。息を吸い込み、馬車の中にいるはずの存在に聞こえるように言う。

「私はアリンガム公爵家が長男、チェスター・アリンガム! オズワルド王子殿下にご挨拶申し上げます!」

 アリンガム、の名前に、馭者がぎょっとした顔をする。馬車のワゴンの扉が開いて、中からオズワルドが姿を見せた。

「チェスター? 久しぶりだね、どうかしたのかい?」

 チェスターはオズワルドの姿を見つけると、すぐに駆け寄ってオズワルドごと自分の身体を馬車にねじ込んだ。

「チェスター!?」

「お願いです、王子殿下! このまま教会へ向かってください! ユージーン司祭のいる教会です!」

「え? しかしこれから予定が……」

「お願いします! 姉さまが、姉さまたちが危ない!」

 チェスターの必死の懇願に、先に反応を見せたのはオズワルドの向かいに座っていたアイリーンだった。

「教会に向かいましょう、殿下。会食は遅れる旨を早馬で伝えていただきます」

「そのお役目、アタシにまかせてくださる? 緊急でしょ?」

 馬車の外でやりとりを見ていたレオンツィオが手を上げて言う。見知った顔にアイリーンは瞳を細めると、オズワルドに視線を向けて促した。

「彼は信頼出来ます」

 オズワルドはすぐに頷いて羊皮紙にさらさらと文字をつづりくるくると丸め、王家の紋章が刻まれた筒に入れてそれをレオンツィオに渡す。

「お役目、賜りました。チェスター、あの二人のこと頼んだわよ!」

「うん、ありがとうレオンツィオ!」

 オズワルドが扉を閉めて、馬車が動き出す。レオンツィオは馬車の背を見送ってから、急いで店の中に入っていった。

「ニナ! みんなも、ちょっと急用が入ったの、お馬ちゃん連れて行ってくるわ!」

「はい、レオンツィオ。留守番は任せてください」

「オーナー、いってらっしゃいませ!」

 愛妻とファータ・フィオーレ・ソレッラの従業員たちに見送られるレオンツィオを、「お馬ちゃん?」と疑問符を浮かべながら見る客人たち。直後店の裏から、白馬に乗って颯爽と走り去るレオンツィオの姿が見えたと言う。

「ここのオーナーって、色々すごいわよねぇ……」

「はい、自慢の夫です」

 にこにこ、嬉しそうに幸せそうに笑うニナに、客も従業員も釣られて笑っていた。

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