第36話 芽生えた感情

「本日よりお客様が滞在されますので、東の間にはお近づきになられませんようお願いいたします」

その日シャーロットはミシェルからただ一言そう伝えられただけで、離宮入りした令嬢に関する情報が告げられることはなかった。


そのことを少し寂しく思ったが、シャーロットには口を挟む権利などない。だからシャーロットも了承の意を伝え、令嬢のことが気になりながらも、普段と変わらない生活を送っていた。


そうして1週間ほど経ったある午後のこと、図書室を訪れたシャーロットは中庭に誰かがいることに気づき、顔を上げた。

ふわふわと緩やかにカールするブロンドヘア、薄紅色のドレスがよく似合う可憐な少女の姿に目を奪われる。長いまつげに縁どられたヘーゼル色の瞳には敬慕の色を浮かべ、その視線の先にいるのはカイルだった。


彼女がバルト伯爵家の縁のあるという令嬢なのだろう。状況から確信したシャーロットは咄嗟に書棚の陰に身を隠し二人の様子を窺った。

目を輝かせながらカイルに何かを話しかけた少女にカイルが言葉を返す。恥じらうように顔を染めた少女にカイルは思わずといったように楽しそうな笑みを浮かべる。

窓ガラス越しに見える二人の姿はとても仲睦まじそうに見える。


(だから、カイル様はお越しにならなかったのだわ)

他の令嬢が離宮入りすることを伝えられた日以降、カイルがシャーロットに会いにくることはなかった。忙しいのだろうと思っていたし、カイルに対して落ち着かない感情を抱いていることに折り合いをつけることを考えているところだったので、むしろ安堵していたのだ。


それ以上二人を見ていることが出来ず、シャーロットは膝を抱えて蹲った。胸が鋭く痛み息が苦しい。目頭が熱くなって奥歯を噛みしめながら耐える。

(泣いちゃ駄目。私にそんな資格なんてないもの)


不意にネイサンとの会話を思い出す。あれは側妃を本当に迎えて良いのかとシャーロットの真意を探っていたのだろう。

(ネイサン様はカイル様の側近だもの。当然のことだわ)

自分の主を望まず拒絶する令嬢とひたむきに愛情を捧げる令嬢のどちらが傍にいるほうが、主のためになるのかなんて明白だ。


様々な感情が入り混じって身体は燃えるように熱くなっていたが、思考の一端は冷静に分析をしていた。

互いに愛情を与え合う存在はカイルに安らぎと充足感を与えるだろう。シャーロットの脳裏に先ほど見た二人とラルフとカナの親密な様子が重なる。


シャーロットが得られなかったもの、差し出されながら拒んだもの。

(だけど本当は誰よりも欲しかったのだわ)

失うことを恐れて不要だと拒否した癖に、他人が受け取ろうとした途端にそれを望むなどあってはならないのに――。


カイルの柔らかい微笑みが、慈しむような眼差しがもう自分には向けられないのだと思うと同時にシャーロットの目から涙が零れる。

自分の愚かさに呆れながらも、一人で図書室に来て良かったと心から思った。こんな身勝手で醜い感情は誰にも見られたくない。


(大丈夫。この感情をこれ以上育てなければいいのよ)

芽生えたばかりの恋心はそっと胸にしまっておけば、時間とともに立ち消えてしまうだろう。深呼吸を繰り返して少しだけ落ち着きを取り戻したシャーロットは自分自身に言い聞かせる。


信じられなかったのはシャーロットのほうで、カイルはいつでも惜しみない愛情を注いでくれた。それは疑いようもない事実であり、シャーロットの傷ついた心を癒し大きな支えとなったのだ。


(カイル様、ごめんなさい。大切な人の幸せを今度は心から願うことが出来ると思うから、もう少しだけ時間をください)

シャーロットは半ば祈りを捧げるように、誓いの言葉を心の中で呟いた。



図書室に滞在するには十分すぎる時間が過ぎていた。これ以上はケイシーが心配するだろうと重い腰を上げて、部屋へと向かう。図書室を出る前に庭に視線を向けたが、二人の姿は見当たらない。ほっとしたような気持ちに罪悪感を覚えながらも、廊下を進んでいくと曲がり角から現れた人物に思わず足が止まった。


「――ご機嫌麗しゅう。私、シャーロット・ブランシェと申しますわ」

浅いお辞儀とカーテシーで礼節を示すが、先ほど見た輝くばかりの表情は翳り、新しく離宮入りした令嬢は付き従っている侍女に縋るような視線を向けている。


「申し訳ございません、シャーロット様。ステフ様は少々喉の調子が悪く、また淑女教育を受けておりませんので、不作法をどうぞお許しくださいませ」

淡々と告げる侍女に悪意を感じなかったが、その言い分は非常識そのものだ。当の令嬢は名前を告げるどころか挨拶さえ返さず、侍女の陰に隠れるかのように身体を小さくしている。


「ステフ様、とおっしゃるの?」

ステファニーの愛称なのだろうと察したが、あえてシャーロットは尋ねた。名前が分からなければ話し掛けることも出来ないし、名乗らないということは名前すら呼ばれたくないという拒絶の意思表示とも取れるからだ。


「はい。こちらで滞在する間はどうぞそのようにお呼びください。陛下からの許可は得ておりますので」

そう言われればシャーロットもそれ以上何も言えなかった。今日のところは友好的な関係を築ける雰囲気ではなさそうだ。そう判断したシャーロットが、別れの言葉を口にする前に侍女は変わらない口調で続けた。


「非礼は重々承知しておりますが、お詫びにシャーロット様をお茶会にご招待したいと主が申しております。いかがでしょうか?」

いつの間にそんな会話を交わしていたのだろうかとステフと侍女を見ると、ステフも何やら驚いたような表情を浮かべているではないか。


(ステフ様には何か特別な事情がおありなのかしら?)

今の提案もステフの侍女が主導権を握っているように感じられた。

「お誘いありがとうございます。ぜひお伺いさせていただきますわ」

承諾したのはシャーロットをお茶会に誘った目的を知るためでもあったが、もしもステフが困っているのなら力になりたいとも思ったからだ。


それがきっとカイルの幸せにも繋がるはずだ、そう考えたシャーロットだったが視界をかすめたステフの表情にぎくりとした。

ほんの一瞬だったが、シャーロットを見ていたステフの瞳には憎しみが込められていたからだ。


(どうして?)

そう考えるのは愚問なのかもしれない。カイルに恋情を抱いているのなら、婚約者として公表されているシャーロットを良く思っていないのは当然だろう。

それでもどこかちぐはぐな違和感を拭えないまま、シャーロットはステフとの初対面を終えたのだった。

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