第34話 焦燥

「テイラー侯爵家も駄目か……」

溜息を吐いたラルフはもう一度読み直し、丁重な断り文句を書き連ねた手紙を思わず手で握りつぶす。


(上手くいかないことばかりだな……)

学園を卒業して王太子として公務が増える中、並行してカナの立場を強固なものにすべく動いているのだが遅々として進まない。


カナは王太子妃としての教養や知識を身に付けるべく努力しているようだが、元々こちらの世界はもちろん貴族としての最低限の教養もない中で苦労しているようだ。

何とか時間を捻出して顔を見る機会を作っているが、会うたびにカナから明るい笑顔がどんどん消えていくようで焦燥感に駆られる。


ただの聖女であれば教会の管轄で一定のマナーだけ身に付ければ良かったが、生涯を共にしたいと願ってしまったためにカナに負担を強いているのは自分なのだと思えば心が痛む。だからこそカナの後ろ盾になってくれる高位貴族が必要だと考え、養子として受け入れてくれる家を探していたのだが、結果はほぼ全滅という有様だ。


(このままではカナは苦しい立場に追い込まれる。ただでさえ、最近は嫌な雰囲気が広がりつつあるのに……)


卒業式前夜のパーティーでシャーロットとの婚約解消とカナを伴侶にすると宣言した時、そこには確かに祝福するような温かい雰囲気があった。

父である国王には婚約解消を再三申し出ていたにもかかわらず、許可が下りなかったためあの場所で断行したのは周囲からの賛同を得るためだ。


その晩に重い叱責を受けたが、王族の体面もあって婚約解消の取り消しは行われず、聖女であるカナとの婚約は認められた。

だから大丈夫、そう思っていたのは自分だけだったようで、1ヶ月前に行われた異母弟の誕生日を祝う席でラルフはそのことを思い知らされたのだ。


「シャーロット様のような優秀な方が王妃となるならどんなに良かったか」

「異世界の人間が我が国の王妃候補とは、この国の未来はどうなるのだろうな」

各所で囁かれる会話はシャーロットを惜しむ声と、リザレ王国の今後を憂える声、そしてカナの価値を疑問視する声が大半だった。


「今まで現れた聖女様は画期的なアイディアや才能を持っておられたが、此度の聖女様はただの少女にしか思えない」

その時カナは側におらず、彼女の耳に入っていないことに安堵した。その貴族がいうとおりカナ自身も最初からそう告げていたのだ。周


囲の勝手な思い込みにより持ち上げられたカナに非はない。確かに文明が発達した国から来た彼女だったが、その技術を理解できなくても利用できるものだったために原理が分からず、国の繁栄に役立てることが出来なかった。


(無邪気な笑みと物怖じしない態度、そしてくるくると変わる表情が愛しくて守ってやりたいと思ったんだ)

国のために役立つ知識を持っていなくてもラルフはカナに惹かれ、恋に落ちた。彼女を守るためにはどんな苦労も厭わない。そう思っているのに現実は甘くなく、徐々に精神が削られていくようだ。


カナに会うために廊下を歩いていると、前方に宰相であるサイラスの姿があった。

(もしもブランシェ侯爵家がカナの後ろ盾になってくれれば……)


今よりも状況が良くなることは間違いないだろう。彼の娘に婚約解消を言い渡してしまったが、養女として迎えいれたカナが自分の婚約者になれば侯爵家としては王家に強い影響力を持つと他家から一目置かれることにならないか。そもそも政略のために娘を大国であるエドワルド帝国皇帝に差し出したのだから、思っている以上に野心家なのではないだろうか。


自分自身も噂を鵜呑みにしていることに気づかないラルフは、サイラスに提案すべく声を掛けた。

「何か御用ですか?」

凍てついた声と表情にラルフは一瞬怯んだが、カナの辛そうな顔を思い出して留まった。

「ブランシェ侯爵に頼みたいことがあるんだ。カナをブランシェ侯爵家の養女に——」

鋭い眼差しと一層強くなった威圧感に言葉が途切れる。


「聞き間違いですかな?私の娘から婚約者を奪った少女を当家に迎え入れるようにと仰られたのですか、王太子殿下?」

「っ、カナを、私の婚約者をそんな風に貶めるのは許さない。ブランシェ侯爵家の娘が王太子妃になるのであれば、血の繋がりがあろうがなかろうが同じことだろう!」

カナを侮辱された怒りと焦りから思わず叫んでしまった言葉に、サイラスは嫌悪感を示すかのように眉を顰める。


「私は娘を王族に嫁がせるつもりなどありませんでしたよ。それなのに貴方がどうしてもと望むから陛下が婚約を取り決めになられた。お忘れですか?」

侮蔑が滲む視線からラルフは目を逸らした。同年代の子女が集められたお茶会で、誰よりも可愛い容姿で庭園に咲く花々を見て、目を輝かせて笑みを浮かべる少女に心を奪われたのだ。忘れているつもりなどなかったのに、あの頃のシャーロットの笑顔とカナの笑顔が重なって、ラルフは妙に動揺してしまった。


「ときに、ジョスリーヌ・デュラン伯爵夫人はご健勝ですかな?」

「……ああ。カナの教育係として力になってくれていると聞いている」

唐突ともいえる問いかけに内心首を傾げながら、ラルフは応えるとサイラスがすっと目を眇めた。それを見てラルフは何か間違った答えを出してしまった時のように落ち着かない気持ちになる。


「母上が選んでくださったのだ。シャーロットと同等のマナーを身に付けるなら同じ教育係のほうが良いだろうと」

「私の娘を呼び捨てにしないで頂きたい。――あの夫人は相変わらず王妃殿下と仲がよろしいのですね」


間髪入れずに拒絶の言葉を投げかける声は冷ややかだったが、後半の言葉にはどこか苦しげな響きがあった。自分が何か大切なものを見落としている気がして、じっとサイラスの様子を窺っていると、サイラスは少しだけ思案するような素振りを見せた。


「無知は罪ですね。……いえ、これは私自身への戒めですので、殿下はお気になさらぬよう」

そう言うとサイラスは一礼して、その場から立ち去った。その後ろ姿を見つめた後、ラルフは言い知れない不安を抱えながらカナの元へと向かう。



「あ……ラルフ様」

安堵にも似た表情のあとにぎこちないカーテシーを取るカナがラルフの目には痛々しく映る。


「もういい、下がれ」

お茶の支度を終えた侍女に告げれば、躊躇うような素振りを見せたが無言でドアの方を示せば表情を強張らせて部屋を出て行った。

婚約者と二人きりなど外聞が悪いことは分かっていたが、それよりもカナを安心させたい気持ちの方が勝った。


「ラルフ様っ」

縋るように身を寄せてきたカナを強く抱きしめる。

(もしも私が王太子でなければ、カナは幸せに笑っていられたのだろうか……)

王太子としての責務を放り出すことなど出来ないのに、気づけばこうして仮定の問いを浮かべてしまう。そちらに意識を向けていたため、カナの呼びかけに少し反応が遅れた。


「ねえ、ラルフ様」

「――うん、どうした?」

甘えたような声音に視線を向ければ、カナは静かな眼差しで見つめていてラルフは胸騒ぎを覚えた。

「私、ラルフ様のこと好きです。一緒にいると安心するし、この人のためなら何でもしたいと思ったのはラルフ様が初めてだから」

嬉しいはずの言葉なのに、それ以上聞きたくないと思ってしまう。


「でも、私じゃラルフ様を、王太子殿下を支えるのに力不足だって気づいてしまったんです」

「そんなことはない!カナは努力してくれているし、傍にいるだけでとても癒されるんだ。カナ以外に私が生涯を共にしたい相手はいない!」

必死に告げると、カナの瞳が悲しげに揺れた。


「私もラルフ様と一緒にいたい!だから——」

そうしてカナから告げられた提案はあまりにも常識から外れていて、断るべきだと分かっていた。


(だが私はカナを失いたくない)

その想いだけを胸にラルフは彼女の願いを叶えるべく、行動することを決めた。

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