第27話 擦れ違う心
翌日、朝食の席にカイルは姿を現さなかった。
「お仕事があるのでお部屋で召し上がるそうですよ。休暇にいらっしゃっているのだからもう1日ぐらいゆっくりなされば宜しいのに、困った方ですね」
アンヌがそう声を掛けてくれたが、シャーロットにはそれがカイルの気遣いであることが分かった。昨晩あんな態度を取ってしまったのに気まずい思いをさせないように配慮してくれたのだ。
(本当に優しい方だわ)
別荘にいる間、気晴らしにと誘ってくれたものの大半の時間はシャーロットに負担が掛からないよう自由に過ごさせてくれた。そのおかげでケイシーと話し合い以前のように信頼することが出来るようになったし、楽しい思い出を作ることが出来たのだ。
だからこそシャーロットはカイルに伝えなくてはならない。
扉の前で深呼吸をしてからノックをすれば、入室を許可する声が聞こえる。
「――ロティ、どうしたんだ?」
驚いた表情は一瞬で、気遣うような色が浮かぶ。迷いを振り切るためにシャーロットは優雅な笑みを浮かべる。どんな時でも絶やさないようにと徹底的に覚えさせられた表情は、心の裡を悟られないための仮面だ。
「お忙しいところ申し訳ございません。お話したいことがございますので、少しお時間をいただけないでしょうか」
「この書類を片付けるまで、少しそこで待っていてくれないか。すぐに終わる」
示されたソファーに座れば、静かな室内にペンを走らせる音だけが響く。真剣な表情は冷たい印象を受けるが、凛とした佇まいに目が引き寄せられる。
(こんな風に拝見できるのは、きっとこれが最後だわ)
じっと焼き付けるように見つめたあと、邪魔にならないようにシャーロットは目を伏せた。
もしもラルフ王太子や他の誰とも婚約せずに、ただ出会っていたのならカイルの想いを素直に喜び、自分もまた愛情を返せたのだろうか。埒もないことを考えていると、ことりとペンを音がしてカイルが席を立つ。
「待たせて悪かった。俺も話したいことがあったから来てもらって助かったが、まずはロティの話から聞こう」
「――昨日は大変申し訳ございませんでした。全ては私の不徳の致すところと反省しております」
「ロティ、それは違う——」
カイルは否定するが、シャーロットは小さくかぶりを振って言葉を続ける。
「皇帝陛下の婚約者としてあってはならない振る舞いでしたわ。私の我儘でカイル様に要らぬ我慢をさせているのは事実でございます」
そう言ってシャーロットはドレスに忍ばせていた一枚の紙を取り出し、カイルに差し出した。
「パーティーでご挨拶した方やアイリーン様の人脈から見つけたまだ婚約者が決まっていないご令嬢方ですわ。政治的バランスについては少々考えが及ばない部分があるかもしれませんが、ご評判も良く素敵な方々ばかりで——」
「ロティ」
冷やかな声とそれ以上の発言を拒むかのような重苦しい雰囲気に言葉が詰まる。侯爵家を訪れた際にサイラスを黙らせた一言もかなりの威圧感があったが、自分に向けられると俯いてしまいそうな自分を保つのに精一杯だ。
「それ以上は駄目だ。他に話がないなら部屋に戻れ」
「……陛下、どうかお聞きくださいませ」
不興を買うことは覚悟していたが、感情を削ぎ落したような表情と冷淡な口調に身が竦みそうになる。必死で言葉を募ろうとするシャーロットをカイルは無言で拒絶を表わす。
(それでも、伝えなければ駄目なの)
優しく愛情深いカイルは心を許せる相手を求めている。たとえ今は受け入れられなくてもシャーロットがその役目を果たさないなら代わりが必要なのだ。その結果シャーロットがエドワルド帝国にいられなくなったとしても——。
「黙らないならその口を塞いでやろうか」
伸ばされた手がシャーロットの顎を摑み、冷たい指が唇をなぞる感触に思わず身を固くする。鋭い眼差しのまま青い瞳が翳りを帯びたのを見て、シャーロットは泣きたくなるほどに悲しくなった。
嫌われることや怒りをぶつけられることも受け入れるつもりでいたのに、カイルの瞳には傷ついた色がはっきりと読み取れたからだ。
「出ていけ。二度と俺の前でこの話題を出すな」
乱暴に腕を払いのけるようにして視線を合わせず告げられる。取り付く島もないほどの拒絶にシャーロットは震えそうな足を叱咤して、与えられた客室へと戻った。
「シャーロット様、お加減が優れないのですか?!」
「大丈夫。少し一人にして欲しいの」
強張った表情を見てケイシーが慌てて駆け寄るが、シャーロットは辛うじてそんな言葉を口にする。心配そうに部屋を出ていくケイシーに申し訳なさが募るが、理由を話すわけにはいかない。
(カイル様、ごめんなさい……私なんかを気遣ってくださったのに、傷つけてごめんなさい)
父親からも婚約者からも愛されなかった自分に好意を向けてくれることはとても嬉しかったのに、傷つけることしか出来なかった。
受け入れてしまえば幸せな時間を過ごすことが出来たのかもしれない。だが一時的な幸福と引き換えに与えられる喪失の苦しみに二度と耐えられそうになかった。
それなのに取り返しのつかないことをしてしまったような、何かを決定的に間違えてしまったような言い知れない不安がずっと離れない。
(皇妃になって恩返しをしようなど馬鹿なことを考えたのがそもそも間違っていたのだわ)
「本当にごめんなさい」
届かない言葉とともにシャーロットの瞳から涙が零れた。
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