第26話 浅慮

「完璧にやらかした………」

何度目か分からない溜息を吐いてカイルはグラスを手に取る。強い酒を一気に飲み干すと喉が焼けるように熱くなるが、いっこうに酔えそうにない。


(せっかく笑顔を見せてくれるようになった矢先に……)

一時の衝動に流されかけ、シャーロットに抵抗されて自分が何をしようとしたのか我に返った。自分を見るシャーロットの瞳には怯えの色が滲んでいて、胸が苦しくなる。

胸に残る手の感触は望んでいたものではなく、彼女の咄嗟の行動は本能的なもので明確な拒絶であることを思い知らされた。


笑顔が見られるのならそれでいいなど、どうして思えたのだろう。シャーロットに婚約を願い出た時には確かにそう思っていたのに傍にいればどんどん欲が増す。リザレ王国で不遇な扱いを受けるのなら自分も元で幸せにしたい、たとえ彼女に愛を返してもらえなくても傍で笑ってくれるのなら幸せだと考えていた自分の浅はかさに自己嫌悪が募る。


シャーロットが望まないなら世継ぎを生むためにいつか側妃を娶ることも視野に入れていたが、今ではそんなことを考えるのも嫌だった。


この数日過ごした時間を思い返せば、甘く苦しい記憶に胸が騒いだ。




別荘で過ごすシャーロットは明らかに表情が柔らかくなった。アンヌの説明に感心しながらリラックスして食事を楽しむ様子は宮殿でともに食事をする際には見られなかったものだ。

僅かな寂しさを覚えながらも連れて来て良かったと満足していると、予想外の言葉に虹鱒を喉に詰まらせそうになった。


「とても美味しいわ。私も

ただの料理に対する感想だ。それなのにシャーロットが使うと特別な言葉のように感じられて、先を越されたという気持ちが湧いたことに動揺してしまった。


(どれだけ狭量なんだ、俺は……)

アンヌはこちらの心情を察してか妙に生温い視線を向けてくるので、目で黙っているように告げれば訳知り顔で頷かれてしまった。ネイサンに知られれば揶揄われることは間違いないだろう。外出のため別室で食事中であることに感謝していたのだが――。


「行ってらっしゃいませ」

何ということもない見送りの言葉に思わず動きを止めてしまった。出仕前の妻からの一言で一日頑張れる、と若い騎士が話していた気持ちが良く分かる。


(何か親密な感じで、やばい、嬉しい)

「陛下、お顔が残念なくらいに崩れていますよ」

そっと囁かれて立ち去りがたい気持ちを振り切ってその場を離れた。


「ちょっと初心過ぎて心配になってきました」

呆れたような声の中には笑いを堪えるような響きがあって憮然としたが、出来る限り早く別荘に戻るための算段を立てるのに忙しいため、相手にしている暇はない。

「やっぱり残りましょうか?」

「駄目だ。お前もこんな時ぐらいしっかり休め」


カイルが別荘で過ごす間、ネイサンは実家に帰省する予定になっている。まとまった休暇はカイルが休暇を取るタイミングしかないのだが、若くして皇位に付いたため老獪な貴族たちに付け入られないよう仕事漬けの日々で休暇などほとんど取れていなかったのだ。

「あまりはしゃぎ過ぎてシャーロット嬢に呆れられないようにしてくださいね」

ただの戯言なのは表情からも明らかで、カイルも自身を戒めながらも軽く聞き流していた。



夕食の席ではシャーロットが真剣な表情でこちらを見てくれるから、つい仕事の話ばかりしてしまった。アンヌの料理のおかげでシャーロットが驚きを素直に顔に出して、今必要な会話が何なのか気づく。

お互いの好きな食べ物や季節など何気ない会話に雰囲気が柔らかくなる。緊張しながらも散策に誘えば、シャーロットは瞳を輝かせ心から嬉しそうな笑顔を浮かべた。ずっと見たかった表情に胸が熱くなる。


守れなかったものがここにある)

シャーロットの苦難の日々を思えば無力感に胸が塞ぐが、これからはもっと喜びや楽しみを与えてあげたい。

この気持ちが同情なのかと疑ったこともあるが、ずっと忘れられずに想い続けた気持ちがそんな軽く薄っぺらいものだとは思えなかった。


「カイル様、あそこに小鹿がいますわ!なんて可愛らしいのでしょう」

散策中に小鹿を見つけてシャーロットがカイルのシャツを引く。その仕草とキラキラと輝く眼差しに、可愛いのは君の方だと言いそうになる。


(これはまずいな。抱きしめたくなる)

平常心を装いながら歩いていると、ふと薄紅色の花が視界をよぎった。ロティに似合いそうだと思い手折って髪に近づけると、森の妖精かなと思うほど愛らしさだ。

そわそわと落ち着かない様子を見せたシャーロットを微笑ましく見つめていると、シャーロットはハンカチを渡してくれた。


気づいてくれたことはもちろん、その気遣いが嬉しかったがはたと刺繍に目が留まり思わず目を瞠る。昨日は刺繍をしながら侍女と楽しそうに話していたと影から報告を受けていたが、まさか自分のために刺繍を施してくれるなど思ってもみなかった。


厳重に包装して大切に保管しておくつもりだったのに、いくらでも用意するから使って欲しいと言われて、どうしようもなく嬉しさが込み上げる。

礼を言えば恥ずかしそうに頬を染めるシャーロットを見て、少しは好意を持ってくれているのではないか、そんな勘違いをしてしまったのだ。



浮かれていたのだと今なら分かる。驚かせたくて、喜んで欲しくて抱きかかえて星空が一番きれいに見える場所へと移動する中、甘い香りと柔らかな肢体に動揺する羽目になった。以前ベッドに運んだ時には意識しなかったのに心がさざめく。

見えないことが不安なのかきゅっとシャツを握り締められた時、理性が揺らいだ。


(何で、こんなに可愛いんだ?!)

懸命に気を逸らしながらようやく目的地に着いた。ぽっかりと開けた森の中、一面に広がる星空を見て、感嘆の声を漏らし無防備な横顔に心が満たされる。この貴重なひと時を壊さないよう囁くように話しかければ、シャーロットも同じように返してくれた。それなのに自分の浅はかな行動で全てを台無しにしてしまったのだ。




苦々しい思いが込み上げて、酒を呷るが喉の奥にこびりついたようにすっきりとしない。

カイルが想い続けた時間は、シャーロットがリザレ王国皇太子の婚約者だった期間とほぼ同じだ。それほどに長く共に過ごしていたのだから、それなりの愛着を抱いていただろう。


(違うな。恐らくは自覚のあるなしに関わらず恋情を抱いていたはずだ)

だからこそあれほど頑なに想われることを恐れ、拒否する姿勢を見せるのだ。もっと時間を掛けて関係性を深めていかなければ、怖がらせるだけだというのにどうして我慢が出来なかったのか。

しばらく思案を巡らせて得た結論を何度再考しても他の答えは見つからず、カイルは自分のことながら呆れてしまった。


「俺はまたシャーロットに恋をしたのか」

淡い初恋はまだ少女だったシャーロットに、そして別荘で過ごすうちに淑女に成長したシャーロットに再び恋をしたのだろう。それに伴いシャーロットに望むことも変化し、彼女の意に添わぬことをしてしまった。


「完全に嫌われてはないかもしれないが、挽回するのは一苦労だな」

それでも面倒だとは思わなかった。減点からのスタートは自業自得なのだから誠意と愛情を示し続けるしかない。それがシャーロットの心を開くことに繋がるか分からないが、伝えなければ何も始まらないだろう。


(まずは謝罪することからだな)

カイルはシャーロットの笑顔を思い出しながら、伝えるべき言葉を考えることにした。

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