第24話 無防備な笑み

「視察はいかがでしたか?」

「改善点はあるが概ね良好だ。生産量が安定すれば国外にも販路を広げられるだろう」

カイルが訪問したのは1時間ほど離れた農村だ。自然豊かな地域だが寒暖差が激しいことから穀物の収穫量が安定せず数年前に野菜の栽培に切り替えた。


ただそれだけでは通常の地域と差別化できず地域を豊かにすることができないため、特産物となるよう品種改良を重ねていた結果、ようやく形になってきたのだという。

皇帝自らが視察を行ったのは初期費用を補助金に充てたことと、カイル自身新たな取り組みを積極的に奨励したためである。


「不作のたびに税の軽減を行うよりも国庫の負担が少なく、効果的だからな」

こんな風にカイルと施策について会話をすることなどこれまではあまりなかった。


ちょうど良い機会だと思ったのか、シャーロットが興味を示したからなのかは分からなかったが、信用してくれたようで素直に嬉しくなる。休暇であることも忘れてシャーロットはここぞとばかりに質問すればカイルは丁寧に答えてくれる。


「鴨のコンフィでございます」

会話が途切れたタイミングを図ったように、提供された料理を一口食べれば美味しさのあまりに、シャーロットは無言で目を瞠った。

感嘆したような溜息が正面から聞こえてきて、顔を上げると同じように目を丸くしたカイルと目が合うと、どちらともなく笑みがこぼれた。


「美味すぎて驚いた」

「ええ、私こんなに美味しいコンフィを頂いたのは初めてですわ」

「ラムのローストが一番好きだと思っていたが、甲乙つけがたいな。ロティが好きな食べ物は何だ?」

気づけば堅苦しい政治の話から気軽な話題へと話が移っていた。


「ロティ、動物は好きか?」

別荘と隣接している森ではリスやウサギ、オコジョなどの小動物を目にすることが出来るという。

「まあ、素敵ですわね。私野生の動物を見たことがありませんの」

シャーロットの言葉にカイルは笑みを深める。


「じゃあ明日は一緒に森を散策しよう。かなりの確率で遭遇できる、とっておきの場所があるんだ」

「ありがとう存じます。とても楽しみですわ」

心がわくわくと浮立ち自然と笑顔になっていた。頭の片隅で冷静な淑女らしかぬ笑みだと自制を促しているが、カイルも嬉しそうに眦を下げているため聞こえない振りをする。

部屋に戻った後も期待で気分が高揚している自分に苦笑しながら、シャーロットは満ち足りた気分で心地よい眠りへと落ちて行った。




翌朝は曇り空ではあったが、暑すぎず散策向きの天候だった。山の天気は変わりやすいと聞くが、午後は晴れの予想だったため身軽な恰好と少数の護衛をつれて森へと向かう。

平坦な道ばかりではないのでカイルの腕に手を添えてエスコートされるのは、気恥ずかしくもあったが、カイルの説明が興味深くすっかり聞きこんでしまったためいつの間にか気にならなくなっていた。


「カイル様、あそこに小鹿がいますわ!なんて可愛らしいのでしょう」

こちらを窺うかのように木立の間から顔を覗かせる姿は愛らしく、つぶらな瞳には警戒よりも好奇心が現れていた。

「あ、ああ。……可愛いな」

腕を引き小声で告げればカイルが驚いたように目を瞠って、顔を逸らした。


(少しはしゃぎ過ぎたかしら……)

シャーロットにとって初めてでもカイルには見慣れた光景なのかもしれない。

「ロティ、ちょっと待っていてくれ」

反省しながらその場から離れ、散策を続けていると不意にカイルが道を逸れた。こちらに背中を向けているため何をしているか分からなかったが、戻ってきたカイルの手には薄紅色の一輪の薔薇がある。


「うん、似合うな。髪につけてもいいか?」

顔の横に花を添えながらそんな言葉を掛けられて、シャーロットはこくりと頷いた。

歩きやすいようにと結い上げた髪の耳元に添えるように差し込まれれば、甘やかな匂いがほのかに香る。自分の姿は見えないが、カイルが満足そうな表情をしているのでおかしくはないのだろう。


「ありがとう存じます。カイル様、よろしければこちらをお使いください」

薔薇を手折ったときに付いたのか、カイルの指先が濡れていることに気づいてシャーロットは昨日刺繍したハンカチを取り出した。どうやって渡そうかと考えていたが、これなら自然な形で渡すことが出来る。


「すまない………っ、これはもしかして……ロティが刺繍したのか?」

受け取る直前で鷹の刺繍に気づいたカイルの手が止まった。

「はい、拙いものですが良ければカイル様に使っていただければと。早速役に立って何よりですわ」


カイルはハンカチと指先を見比べると、不意に指先を衣装の裾で拭うではないか。差し出したハンカチの意味がなく、呆気に取られるシャーロットをよそにカイルは両手でハンカチを受け取り感慨深そうな声を漏らした。


「ロティが俺のために……一生の宝物だな」

「カイル様、ただのハンカチですわ。そんなもので良ければいくらでもご用意いたしますから使ってくださいませ」

いくら散策用の簡素な衣装とはいえカイルが着用するものは高品質でそれなりに値が張るものだ。間違ってもハンカチ代わりに汚してよい物ではなく、そんな言葉が咄嗟に出てしまった。


それを聞いたカイルの表情は、驚くほどに無防備で喜びにあふれた笑顔に変わる。

「それは——嬉しいな。ありがとうロティ」

心のこもった言葉からもひしひしと伝わってきて、頬が熱い。


(喜んでくださるのは嬉しいわ。でも……)

好意を返せないのに余計なことではなかったのか。

率直な言葉に気恥ずかくも嬉しく思う気持ちと罪悪感が混じり合い、どんな表情を浮かべて良いのか分からない。


シャーロットが自分の浅はかな行動を後悔するのはその翌日のことだった。

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