3F図書室にて、邂逅。3月同日
きっと太陽光が差し込まないせいもあるだろう。廊下に出た方が、扇風機だけの応接室よりはいくらか涼しかった。
夏休み最終日のような切なさが漂うこの世界は、3月でも30度を超える日が珍しくない。
季節はただの記号に過ぎず、1年を通してうだるように暑い。でも、以前に比べれば格段にマシだ。第四次世界大戦末期の、黒い雪が降りしきる極寒の日々よりは。
ここの内装はかつて通っていた中学校とさほど変わらない。1階に『応接室』と『校長室』、『職員室』に『保健室』があり、まるで未だに学校として機能しているかのようだ。7年前、まだ戦場のセの字も知らなかった中学時代が懐かしい。
神代は『中央ホール』のわきと廊下の両端――職員室と保健室の近く――にある階段のうち、保健室側から上階へ向かう。
終末戦争が始まってからずいぶんと時間が経つが、廃校という割に各階の教室は綺麗な状態を保っていた。掃除されているという意味ではなく、時が止まっているという意味での綺麗さだ。ほとんどの教室が使われていないらしく、入ってみると粉のようなほこりが薄く積もっていた。
最上階にあたる6階部分は『屋上』になっていて、外に出てみると、
全方位、どこを見ても地平線。なるほど、これは校外に出ないほうが良さそうだ。
他のフロアにはかつて教育機関としての役割を果していた部屋があるだけで、特段変わったところはない。あったとすれば、第二校舎へ繋がる3階の『連絡通路』が閉鎖されていたことぐらいだ。
窓から見えた第二校舎は『体育館らしき建物』に繋がっていて、通路の入り口は監視カメラや電子ロックといったセキュリティーで護られていた。この施設の本命部分は、どう考えても第二校舎から先にあるらしかった。
1階に戻ってきたところで腕時計を見ると、時刻はちょうど11時30分。校舎散策はひと通り終わったが、昼食には少し早い時間だ。
そういえば……、とここで神代は重大なことに気がつく。
自分は今、金を持っていない。電子マネーの入ったIDカードはボストンバッグの中にある。宮守先輩は一体、カードなしでどうやって昼食を食べろというのだろう。
はぁー、と長いため息を吐き、神代は
先輩が戻ってきたら言おう。最悪、食べなくても死ぬわけじゃない。問題はこれから何をして時間を潰すかだ。外には暑いから出たくないし、応接室にいてもすぐに飽きてしまうだろう。
しょうがない、本でも読んでみるか……。
何もすることのなくなった神代は、再び階段をのぼり3階の『図書室』を目指すことにした。
図書室は階段を上ってすぐの場所にある。開け放たれたスライドドアの前に立つと、ドアの向こうからほんのり古本の香りが乗ったそよ風が吹いてきた。かび臭い、図書室特有の懐かしい匂い。学生時代を思い出しながら、神代は少しだけ緊張して中に足を踏み入れる。貸出カウンターを通り過ぎ、そのまま書架が整然と並ぶエリアへ進む。
特にこれといって読みたいものがあるわけではないが、字が少ないことに越したことはない。実を言うと、文字ばかりの本は苦手なのだ。まるで睡眠薬でも飲んだかのようにすぐに眠たくなってしまう。
どの棚に自分に合った本が置いてあるだろうか。考えながら書架の列をひとつひとつ覗いていると、
「っん、んんんん……っ!」
踏み台の上で背伸びする、セーラー服姿の少女を見つけた。髪の短い少女は、神代のすぐ近くで高い場所にある本と格闘している。
自分以外の人間、それも制服を着た女の子がいると思わなかった神代は、驚きのあまりその場で足を止める。
少女は本を取るのに夢中らしく、神代の存在に気がつかない。一生懸命つま先で立ち、上に向って手を伸ばしている。だが、どう頑張っても目標には届きそうにない。
取ってあげようか、と神代が考えたそのとき、
「あっ」
少女が小さな悲鳴をあげた。それは発したというより、零れたというような声。何かの拍子に台を踏みそこなったようで、背中から弧を描くように倒れていく。
あぶないッ!
ぼすんと音がして、次の瞬間、神代は少女を抱きかかえていた。
乱れた髪がはらりと落ちて、隠されていた瞳が神代を捉える。濃紺の、瑠璃色に近いきれいな瞳。その瞳の中には、動揺と恐怖、ふたつの感情が入り混じった顔をした神代が映っていた。
――主翼大破。
制御不能の機体。鳴り響くアラート。
真っ赤に染まった視界。迫りくる青海原。
激しい動悸と吐き気。死の恐怖。
『――……デー! メーデーメーデーッ! メ……!』
自分で聞こえるほど鼓動が強く、そして激しくなっている。
墜落時に感じた絶望を、落下する少女に重ねてしまった。
「だ、大丈夫か?」
トラウマを頭の隅に追いやるように、神代は抱きかかえた少女に意識を戻す。
「……」
少女は見開いた目でこちらを見つめるだけで何も答えてくれない。
状況を飲み込めていないようで、どうやら放心状態にあるらしい。
「キミ、怪我は?」
少女はぎこちなく首を横に振る。
「立てるか?」
こくりと頷く少女。
神代はその反応を見、ゆっくりと慎重に彼女を地面に下ろす。
床に足をついた彼女は、
「あっ、あの……。ありがとう、ございました……」
うつむきがちに言って、ぺこりと頭を下げた。
顔を上げてもうつむいたままで、垂れた前髪が彼女の表情を隠している。栗色の髪からのぞいて見える耳は、淡い赤みを帯びていて、両手は深緑色のスカートをぎゅっと握りしめている。
「あのさ、」
声をかけると、少女はびくりと身体を強張らせ、
「……は、はい」
「どの本? 俺が取るから教えてよ」
緊張している様子の少女に、神代はやさしく話しかける。しかし、彼女は「もういいんです。だいじょうぶですから。本当にありがとうございました」と踵を返す。
「ちょっ、待って!」
立ち去ろうとする少女を何とか引きとめ、
「多分、コレだろう?」
背伸びをし、書架の最上段――ハードカバーのぶ厚い小説に手を伸ばす。
彼女の指先にあったのは、確かこの本だったはず……。棚から引き抜いてみると、辞書のようなその本は、見た目通りずっしりと重たかった。
「――っ!」
そのとき、首に激痛が走った。
少女を受け止めた際の反動が、重たい小説を取った弾みで襲いかかってきたのだろうか。いや、違う。この痛みは、病院で殴られたときのものに違いない。
「あの、だいじょうぶですか?」
顔を歪めた神代を、驚いた様子の少女がのぞき込む。
「別に……大したことじゃないさ。それより、ほら。コレを」神代は痛みをこらえて本を差し出す。
「あっ、ありがとうございます……」
少女は戸惑ったように言い、渡された本を受け取った。表紙に目を落とし、彼女はそれから2秒ほど沈黙する。
青みがかった瞳の少女が顔を上げた。何かを決断したような眼差しで神代を見、芯のある声で言う。
「あたしに、ついてきてください」
早速どこかに向かって歩き始めた少女の背中を、神代は何も訊かずに追いかける。
もしも「どこに行くんだ?」なんて尋ねたら、緊張でガチガチの彼女はきっとバラバラに崩れ落ちて目の前からいなくなってしまうに違いない。そして、もう二度と会うことはないはずだ。
そんな予感めいた確信を胸に、神代は図書室を後にしたのだった。
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