青空を待ちながら

令狐冲三

第1話

 いつのことか、雨上がりの夜明けに見た虹の鮮やかさが忘れられない。


 日が傾き始める頃、窓から射し込む西日を頼りに「わが闘争」を読み出した。


 100頁ちょっと読み進んだあたりで東の方から雨雲がむくむく湧き上がり、やがて、墨を流したような真っ黒な空になった。


 雷を伴った激しい雨が夜通し降り続き、表は雨の気配に満ちていた。


 時を忘れて読み耽り、その過激な思想に中てられたか、同じ姿勢で活字を追い続けていたためか、非常に肩が凝ったので、椅子の背にもたれかかって伸び上がると、もう夜が明けていた。


 日曜の朝。


 雨上がりの空には雲ひとつなく、素晴らしい晴天の一日になりそうだった。


 腹が減ったので、散歩がてら食糧の買出しに出た。


 本の影響か、素面のくせに酔っ払ったみたいに気が大きくなっていて、まるで世界を我が物にしたようだった。


 仁侠映画の主人公さながら、肩で風をきって歩く。


 極悪非道な独裁者にも、常に言い分はあるものだ。


 午前五時のコンビニには、早起きか夜更かしか知らないが、ヘッドホンをかけ、音楽に合わせて身体を揺らしながら雑誌をめくっている茶髪の若者が一人いるきりだった。


 ヘッドホンなど無意味に思える大音量だ。


 特に何が食べたいわけでもなく、興味は自然に弁当より酒のコーナーへ向いてしまう。


 結局選んだ食べ物はチー鱈とサラミ、ビッグサイズのポテトチップスだけで、後は500ml入りの缶入りラガーを二本と、640ml入りのサントリーレッドを一本買って終わった。


 つまみを食べながら二本のビールを空け、ウイスキーがボトル半分ほどになったところで酔いが回り、そのままフローリングの床に転がって眠りこけた。


 アルコールが効いたのか、夢すらみない熟睡で、起きたらすでに夕方だった。


 目覚めた時、俄かファシストはすっかりもとの気弱な一書生に戻っていた。


 勉強嫌いな大学生の休日などこんなものだ。


 スマホにユキナからの着歴が残っていた。


 ほんの数分前のものだ。


 その着信音すら気づかぬほどに、ぐっすり眠り込んでいたらしい。


 こちらからかけ直してみると、彼女は開口一番、


「運がいいわね」と言った。


「何が」


「1分遅かったら、他の友達を呼んじゃうとこだったわ」


「間に合ってよかった」


 もしかして、運が悪いのかも……。


 思いつつ、僕は笑った。


 別にユキナは僕に興味があるわけじゃない。


 ただ、日曜の夜に一人で過ごすのが嫌なだけなのだ。


 彼女はそういう女だった。


 しかし、それをわがままと言えるような立派なプライドを持ち合わせてはいない。


 何を言われようが、僕は子犬のように尻尾を振ってついて行くのだろう。


「どうせ暇でしょ?今からセンター街のアーケードの入り口まで来て。遅れたら許さないから」


 何だか億劫だったが、グラスに半分ほどのウイスキーをストレートで流し込んでから宵の口の街を指定の場所へ出向いてみると、人ごみの向こうから派手な赤いワンピースを着たユキナが近づいてきた。


 近くに新しいライヴハウスが出来、そこで開店記念のロックコンサートがあるから聴きに行こうと言う。


 音楽なんて興味ないし、気乗りもしなかったが、断る理由がないので、安易さに流され付き合うことにした。


 10分ほど歩くと、目指す建物の看板らしきケバケバしいネオンサインが見えてきた。


 一見洒落たロゴなのだが、よく見ると、


「おおばかマロイ」と読める。


 何かミステリーで読んだような?


 あれは大鹿か。


 二つの花輪が入り口の両脇に飾られている。


「ここよ」


 そう言ってドアを開けたユキナの後から入ってみると、フロアには彼女によく似たどこか奇妙な客達がひしめきあっていた。

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