第58話 なにもない部屋


 なにも思いつかない場所からはじめよう。最初はなにもなかったのだから。彼は椅子と椅子のあいだに踞っていた。彼は椅子に座ることが嫌いだった。なぜなら二つの椅子は壊れていたから。ここはどこなのか?踞っていた彼にも、書いている私にもわからない。だが、その場所は、その場しのぎの空間だった。彼の名前は......わからない。わからないなりに、彼の表情をよく見ると、孤独にうちひしがれて寒さに振るえている、涙を流しているのもわかる。彼は裸だった。


 そうか。まだある。もうない。もうこれっきり。これぽっちの。いくつかの砂と、欠けた皿の破片。誰かが掃除しなくてはならない。でもしない。


 彼は外に出るのが恐ろしかった。誰もこの世界にはいないのに、あらゆる声が聴こえたからだ。それは褒められたり、貶したり、愛の睦言だったりと、とにかくうるさかった。声を消すために酒を飲んだが、裸の彼は飲みすぎて、いつしか酒はなくなった。


 どこに連れていくのか。どこにも連れていかない。あぁ、もうこれっきり。これっぽっち。もうどこへも。朝なのか夜なのかわからない。寒すぎて悲しくもならない。ここがどこなのかもわからない、あぁ。もう辞めだ。続けよう。床の土くれだ。誰にも知られなくていい、もういい加減。もうこれっきりの。

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