奪われたのは

宵待昴

第1話


「課題が終わらねぇ……」

「その台詞、今日十回目ですよ、すい先輩」


放課後の美術室。

二年生の彗は広げた画材を前に、唸っている。一年で美術部員の地香ちかは、部活動の作品を描きながら、そんな彗を見ている。

「今回、全然閃かんのよ」

「美術得意な先輩が唸ってるなんて……。どんな課題なんですか?」

「『自分の中のきらめき』」

「うーん、抽象的」

それは確かに難しいかも、と地香も唸る。

「だろ?……ちょっと外出てくるかな。精神によろしくない」

がたり、と彗が立ち上がる。

それを見送ろうとして、地香が声を上げた。

「痛っ」

「いたっ?」

彗が振り向く。地香が苦笑いを浮かべた。

「すみません。ちょっと紙で切っただけです」

地香が片手を隠し、何でも無いように笑う。彗は真顔で、すたすたと地香の元まで歩いて来る。

「彗先輩!?」

隠した手を、奪うように掴む。手の甲の傷を見て、一瞬顔を歪ませる。

「……結構深いな」

そのまま、地香を引きずるように廊下の水道へ連れて行く。彗が地香の手を掴んだまま、蛇口を捻り、水へその手を突っ込む。水は容赦なく傷口にぶつかる。

「いたっ」

「我慢しろ」

彗の力は強く、傷の痛みもあって地香には振り解けない。洗った後は、保健室へ。

「一人で行けますって」

「傷隠したやつがよく言う」

まだ手を掴んだままの彗が、振り向いて地香を笑う。図星の地香は、何も言い返せない。

保健室も無人で、彗は地香を座らせる。そのまま慣れた手付きで棚を漁り、大きな絆創膏を持って来る。

「慣れてるんですね」

「まあ、ここの学生二年目なんでね」

にやりと笑う彗が、地香には珍しく格好良く見えた。傷口に、その絆創膏を貼る。

「ありがとうございます。ーー彗先輩も、先輩なんですね」

「俺のこと何だと思ってたの?」

目を剥く彗に、地香は思い切り笑った。

開いていた窓からふわりと風が入り、笑う地香の髪をさらう。彗の目に、この、彼女がいる光景が、きらめいて見えた。

その一瞬に心を奪われ、彗は動きを止める。

「彗先輩?」

地香は目を丸くして彗を見る。当人は、手で顔を覆い、下を向いていた。

「大丈夫です?具合悪いんですか?」

「へーき。……課題出来そうだわ」

「え?そうですか!良かったです」

じゃあ、早く戻りましょう、と地香が先に立ち上がったから、彼女は見えなかった。

地香を見つめる彗の頬が、赤くなっていたのを。


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奪われたのは 宵待昴 @subaru59

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