洞川温泉
天河大弁財天社の傍を流れる川は天の川と呼ぶからこの辺を天川村って呼ぶで良さそう。その天の川沿いの道を戻って、そこから登り直したところにあるのが今日の宿の洞川温泉なんだ。
洞川温泉自体は歴史も由緒もない最近ボーリングで掘り当てた温泉だ。だからこんな山の中にあっても秘湯とは呼びにくいところはある。だけど洞川の旅館街の歴史は驚くほど古いのよ。
「そりゃ後鬼の子孫の里とされるぐらいやからな」
前鬼、後鬼は役行者の式神とも弟子ともされてるけど素直に弟子で良いはず。だってだよ子孫が本当に今でも健在とされているぐらい。
「ああ前鬼の五人の息子は五鬼と呼ばれて、五鬼継、五鬼熊、五鬼上、五鬼助、五鬼童の苗字で下北山村で修験宿を明治まで経営しとるからな。今は五鬼助の小仲坊だけやけどまだ続いとるぐらいや」
前鬼の子孫は下北山村に住んだみたいだけど、後鬼の子孫は天川村に住んで洞川の修験宿を開いたと考えて良さそうだもの。洞川の修験宿が栄えたのは、
「そりゃ、大峰山の麓やもんな」
修験道のシンボルみたいな大峰山への登山基地みたいな役割だったで良いと思う。
「登山基地というより、古市みたいなもんやろ」
まあね。江戸時代にお伊勢参りを始めとする寺社参詣はブームになったのよね。女がやれば今と変わらないとこもあるけど、男がやれば参拝後に精進落としがセットみたいにあったのよ。
「そっちが楽しみの男は多かったと思うで。神さんにお参りして一発や」
そう遊女と遊んでたんだよ。大峰山は今でさえ女人禁制だから、ここに来る連中は男の団体だけじゃない。大峰山に登るのは大変だろうけど、無事下りてきたら精進落としになるのよね。
「そういうこっちゃ。飯盛り女だけやのうて、遊廓もあったぐらいやもんな」
遊女と言えば遊廓みたいなイメージもあるけど、旅籠でも女を呼ぶことは出来たんだよね。
「それが飯盛り女や。女中兼遊女みたいなもんや」
今ならコンパニオンに近いかもしれない。
「飯盛り女にしろ、遊女にしろ質が高いほど旅人が集まったんは間違いない。客が増えれば町は栄え、宿は立派になる」
洞川もそうやって栄えた街になる。洞川の場合は宿場町と言うより門前町になるのだろうな。でも今でも街の眺めは、
「ああ艶めかしいな。その頃の空気だけありそうや」
もちろん遊廓も飯盛り女もいなくなってるし、女性の宿泊客もごく普通にいるけど、旅館街の空気は一種独特のものはある。
「おぉ、ここや」
へぇ、なかなか立派な宿じゃない。部屋は外見通りの純和風だ。とにもかくにもまず温泉だ。今日はよく走ったもの。浴室はモダンだね。でも気持ちイイ。この瞬間のためのツーリングしてるって気にさせてくれるよ。ノンビリ温泉につかって、湯上り処でリラックス。
「また美人になってまうわ」
見飽きるほど見てるけどコトリは綺麗だよ。でもまさかこんな時間を二人で過ごせるようになるとは夢にしか思えなかったものね。今だって社長と副社長やってるけど、こんなもの遊んでいるようなものだもの。それにしても、
「皆まで言うな、腹減ったやろ。もうちょっと待て」
まだ早いものね。疲れを癒して、部屋に戻り窓から街並みを眺めながら、
「これが贅沢やし、繁栄の象徴やってんもんな」
コトリが言っているのは提灯のこと。江戸時代の夜は本当に暗かったのよね。日が暮れたら寝るのが当たり前だったもの。そうなったのは、
「とにもかくにも照明代が高かった」
当時の照明の主力は灯明。油に芯を刺して燃やしていたんだよ。行灯を思い浮かべてもらったら良いかな。その油代がバカにならなかったのよね。
「高いのもあったけど、寝れば倹約できるのあったからな」
そう起きてるから灯明代が必要になるから寝てしまえぐらい。もっとも行灯の明かりじゃ暗すぎて起きてる意味も乏しいのもあったかもしれない。それに比べると蝋燭の明かりは格段に明るかったんだ。提灯は蝋燭を使うから、提灯を使うというだけで贅沢って感じかな、
「パレード言うたら提灯行列やったんが昭和の頃でもあったもんな」
これは提灯が明るいのもあったけど、蝋燭が高いのよね。そんな高価な蝋燭を惜しげもなく使ったのが、
「遊廓や」
今でも不夜城の言葉は残ってるけど、今の不夜城はブラック企業のシンボルみたいなとこもある。これに対し遊廓の不夜城は、
「贅沢遊びの象徴みたいなもんやった。コトリも佐比江で芸者やってる時にそう思うたもんや」
この洞川の旅館街には提灯がたくさんあるのよね。ああやって毎晩ずらっと並んで照らしていたのが色町だよね。そんな話をあれこれやってるうちに待望の夕食。なるほど山の幸だね。
「ここでマグロやイカの刺身が出てくるのは昭和の温泉宿や」
あははは、そうだった。鮎の塩焼きに岩魚の造り、こっちは名水豆腐か。鹿串の天ぷらは面白いな。メインの鍋はカモか。
「今日はエエ猪肉が入らんかったそうや」
ビールは地ビールの山わらうビールで、お酒は大峰山。どちらも名水百選のごろごろ水を使ってるのか。
「豆腐もそうやで」
どれも美味しいよ。しっかり飲んで、食べて、温泉街を散策。ここの旅館は面白いね。道路に面して、これって縁側で良いのかな。
「その昔は飯盛り女の顔見世やってたんかもしれんな」
かもね。提灯の風情を楽しんで縁側で休んでた。わたしとコトリなら売れっ子になれるよね。
「こんなとこやのうて太夫やろ」
こんなとこの遊廓にも太夫なんていたのかな。そう言えばコトリは佐比江だけじゃなく、島原も知ってるんだよね。
「知らん、知らん。幕末の京都にはおったけど、あの頃は女壺振り師や。さすがに島原まで足を踏み入れてへん」
男の遊び場だものね。わたしだってずっと兵庫津にいたけど、佐比江は遠くから見てただけだもの。そんな事をコトリと駄弁ってたんだけど、
「姉ちゃんら、旅行か?」
おっ、ナンパか。若い兄ちゃんの四人組だけど、う~ん、好みじゃないね。こういうタイプはコトリも、
「なんか用か」
「一緒に飲まへん」
あのねぇ、どこで飲むって言うのよ。見たらわかるでしょ、そんな店ないでしょうが。ここはミナミじゃないんだよ。
「結構や。もう部屋に帰るさかい」
「そんなん言わんと」
ありゃ、出来上がってるな。酔っぱらいをあしらうのはメンドクサイから部屋に戻ろう。あのね、腕をつかまないでよ。お呼びじゃないんだから、
「忘れられへん夜にしたるから」
ナンパで声かけても断られる事があるのは当たり前、断られたらさっさと引っ込むのが礼儀だよ。仕方がないから追っ払うか。
「あなた達、嫌がっているのがわからないのか」
おっ、時の氏神登場か。ここで引っ込んでくれたら場は綺麗におさまるけど、
「なんやて、邪魔するんか」
あちゃ、酒癖悪すぎるよ。それでも残りの三人が宥めてくれて引っ込んでくれた。
「お怪我はありませんでしたか」
ほほう、これはイイ男。背も高いし、体も引き締まってるし、顔も爽やか系じゃないの。
「では」
えっ、行っちゃうの。さすがのコトリも引き留めようがなかったぐらい。部屋に戻ってから、
「惜しかったね」
「やっぱりユッキーもか。負けへんで」
どうしてこういつも被るのかな。これも昔からずっと同じ。どれだけコトリにさらわれたことか。
「それを言うならユッキーもやろが。どんだけ悔し涙を流した事か。そやけど旅先のアバンチュールやったら負けへんで」
これも昔からそうで、短期決戦ならコトリ有利、長期戦ならわたしが優位なのよね。
「そういうこっちゃ、ユッキー必殺のツンデレが炸裂する前にカタ付けんと負けるからな」
でもね、究極のところでは被らないのが二人の関係でもある。むしろ二人の天敵は、
「シオリちゃんや」
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