海になる

天宮ユウキ

過去を食べる

「歌なんて歌いたくなかった」


 ポツリと呟くのは暁時雨というバーチャル配信者だ。本名は日野雫。彼女は先程、自身のチャンネル登録者数が一万人を突破した事を喜んだばかりだというのにその表情は暗い。


「なんでこんな事になったんだろ……」


 彼女がそう言って見つめるのはスマホの画面。そこには彼女のSNSアカウントのページが表示されていた。

 そして、そこに表示されているのはファン達の喜びのコメントやメッセージの数々だった。


『おめでとう! これからも応援してます!』

『待ってたよ~』

『もっと歌って欲しいなぁ……』

『声綺麗だからもっと聞きたい』

『歌えるようになりましょうね!!』


 それらのコメントを見れば見る程、雫の心は暗く沈んでいく。


(また言われちゃう……)


 そんな風に考えて。


「歌えなくはないけど好きじゃないし苦手なんだもん……」


 雫は小さい声でそう呟いた。


「ボクだって好きでやってるわけじゃ無いんだよ?」


 そう続けた言葉には普段の配信で見せる明るさは無く、ただ悲しみだけが感じられた。


「そもそもボクはバーチャル配信者なんだ。歌手なんかじゃない」


 そう言いながら彼女は机の上に置いてあったマイクを手に取る。

 それはボイスチャット用のマイクではなくカラオケなどで使うような普通のマイクだった。


「歌えないのに歌わせようとするのは酷いと思うんだけど……」


 そう言いながらもマイクに向かって喋りかけるように口を開く。しかし、そこから音が出る事は無かった。


「……やっぱり無理だよ」


 諦めるようにそう言うと彼女はマイクを置いた。そして再びパソコンの画面に目を向ける。


「どうしてこうなったんだろうなぁ……」


 悲しげにそう呟きながら。



 ◆◆◆



 数ヶ月前。


「はぁ……」


 雫がため息をつく。その視線の先には動画サイトのマイページが表示されており、そこには1件の通知が表示されていた。


『暁時雨さんへ コラボのお誘いです。興味があれば連絡下さい。』


 その差し出し人は水無月アテナというバーチャル配信者だった。彼女は今ネットで人気になっている配信者の一人でファンも多い。


「コラボか……どうしようかな」


 そう呟いてから数分後。彼女は意を決した様子でキーボードを操作し始めた。


『初めまして。水無月さんとコラボしたいのですが良いですか?』

「これでよしっと」


 すると数分後に返事が返ってきた。


『ありがとうございます。それでは一週間後の18時にコラボをしませんか?』

『はい。それでお願いします』


 それから数秒後。暁時雨宛に返信が届いた。


『わかりました。よろしくお願いしますね』

『こちらこそよろしくお願いします。とりあえず細かい内容は通話で話し合いませんか?』

『了解しました』


 通話アプリを開いて水無月アテナと通話を始める。


「こんにちは。水無月アテナです」

「こんにちは、暁時雨です。コラボのお誘いありがとうございます。まさか、あの有名な水無月アテナさんから誘っていただけるとは思ってませんでしたよ」

「いえいえ、私もあなたとお話できて光栄ですよ。それと、敬語は必要ありませんよ」

「そう? わかったよ」

「はい、それでは始めましょうか。まずは簡単な自己紹介でもしましょうか」

「そうだね」


 2人の会話が始まった。

 しかし、同じバーチャル配信者なのに何かが違う。暁時雨はそう感じずにはいられなかった。それを口に出す事はしなかった。

 話は終わり通話を切る。暁時雨は息をついて『日野雫』に戻る。

 雫は電話をかける。電話の相手は同性の彼女である夏美だった。


『もしもし、どうしたの?』

「えっとね……」


 有名なバーチャル配信者の水無月アテナとコラボ配信する話をした。彼女は嬉しそうな声で聞いてくれた。


『良かったじゃん! コラボ楽しみだね』

「うん、緊張して吐き気してきたかも……」

『ちょっと大丈夫!?』

「あはは……冗談だよ?」

『もう……心配させないでよね!』


 少し怒ったように言う彼女に雫はごめんと謝った。


「……ところでさ、もしボクがコラボに失敗……ううん、上手く出来なかったらどう思う……?」

『別に気にしないよ。失敗したなら次頑張れば良いしね。それに、失敗しても怒らないし。雫はいつも通り楽しく配信してくれればいいの』

「そっか……ありがとね」

『ううん、全然いいよ』

「ねぇ、今度デート行かない? もちろん2人きりでね」

『えっ……あっ、うん! 行く!!  約束だからね!』

「うん! じゃあそろそろ切るね。おやすみ!」

『おやすみなさい!』

「ふぅ……」


 通話を終えた雫はベッドの上に倒れ込む。


「楽しかったな……」


 そう呟く彼女の顔は幸せそうだった。



 ◆◆◆



 それから数日後。


「今日は配信見に来てくれてありがとう! 水無月アテナだよ。今日は暁時雨さんが来てくれたよ!」

「どうも、暁時雨です」


 コラボ当日になった。今回の配信は水無月アテナとのコラボであり、彼女が先に枠を取っており、暁時雨が後から来る形になっていた。


『アテナちゃんこんばんは!』

『時雨さんこんばんは!』


 コメントはお互いのコラボを受け入れてる感じだった。実際SNSで知らせた際にも両方のファンは大体喜んでいた印象であった。


「水無月アテナです。本日はこのコラボ配信を見てくださりありがとうございます。そして暁時雨さんも来ていただき本当に感謝しております」

「いえ、こちらこそコラボのお誘いを頂きまして光栄でした。ありがとうございます」


 お互いに挨拶を交わすと水無月アテナは笑顔になる。


「それでは早速コラボの内容について話しましょうか」

「そうだね」

「まずは簡単な自己紹介から始めようか。ボクの名前は暁時雨。性別は女性。好きなものはゲーム。嫌いなものは歌です」

「へぇー歌嫌いなんだ」


 事前に歌が嫌いなことは話をしていたので彼女は知っている。しかし、水無月アテナのリスナー達は知らなかったようで驚いていた。


『え、マジか』

『初耳だわ』

「それって理由あるのかな?」


 水無月アテナの言葉に暁時雨は苦笑いを浮かべながら答える。


「昔ね、友達から笑われたんだ。それ以来歌うことが怖くなったんだよ」

『なるほどね』

『そりゃトラウマにもなるか』


 歌の話は暁時雨にとって嫌な話である。だから、あまり長いこと話はせずに終わらせる。この後他愛もない会話やゲームの話で時間は過ぎていった。時間が30分過ぎた頃にそれは突然起きた。

 水無月アテナは意を決して口を開く。


「実は時雨さんをコラボに誘ったのは初配信からずっと見てて……」

「えっ?」


 水無月アテナが暁時雨のファンであることは告げられていなかった。だから彼女は驚くしかなかったのだ。


「それでね、いつか一緒に配信したいなって思ってたんだけど、勇気が出なくて……」

「そう、だったんですか……」

『どういう事?』

『時雨ちゃん、何か知ってるの?』

『俺も知らん』


 リスナー達もわからないだろう。


「あの、どうして私なんかを……」


 水無月アテナの気持ちは嬉しいけど何故自分なのかと疑問に思った。だって彼女は有名なバーチャル配信者なのだ。そんな彼女が自分のような無名の配信者を好きになってくれるなんて思わなかったからだ。しかし、それ以上に予想外の言葉を吐き出した。


「……それに一緒に歌ってみたいんです!」

「は?」


 思わず素の声が出た。


「い、今何と?」

「私と一緒に歌いませんか?」

『はぁ!?』

『おい、嘘だろ?』

『マジで言ってんのかよ……』

『うそぉ……』

『これは流石に予想外過ぎる……』

「えっと、本気ですか……? ボクがアテナさんの足を引っ張っちゃいますよ?」

「大丈夫だよ! 私は時雨さんの歌が聞きたいの!!」

『うおおお!俺は信じてたぞ!』

『応援してます!』

『頑張ってください!』

『絶対成功させろ!!』


 コメント欄は凄まじかった。皆が暁時雨を応援する中、彼女は困惑していた。


「ちょ、ちょっと待ってください!」

「どうしたの? やっぱりダメなの……?」


 泣きそうな声を出す水無月アテナに対して、時雨は慌ててフォローを入れる。


「ち、違います! その、嬉しくて混乱しちゃいました」

「本当?」

「はい!」

「良かった! 断られるかと思ったよ〜」


 安堵する水無月アテナを見て、暁時雨も安心したが、まだ問題は解決していない。


「あ、あのですね。コラボするのは良いのですが、一つだけ条件を付けさせてもらっても良いですか?」

「うん。いいよ!」


 許可を得た暁時雨は少し言いづらそうにする。


「コラボで上手く歌えるかは分からないし、もしかしたらボクは歌わないかもしれない。それだけはお願いします」


 こうして衝撃的な展開は幕を閉じた。暁時雨はコラボが終わり、水無月アテナとの通話も切ったところで電話がかかる。電話主は彼女の夏美だった。


「もしもし」

『何あれ?』

「ボクもよく分からない」


 雫はそう答えるしかなかった。打ち合わせしていない事を言われて困惑していた。


『水無月アテナ、もしかしてなくても暁時雨ガチ恋勢でしょ』

「そうだと思う」


 どういうことがきっかけで配信を見たのか分からないがとんでもない暴露だと感じていた。それに夏美の声がいつもより重たい。本気でイラついてるのがよく分かった。


『雫、コラボ受けない方が良かったんじゃない?』

「えっ?」

『だって、水無月アテナにずっと付きまとわれるんだよ?』

「うん……」


 雫は水無月アテナに好かれるのは悪い気分ではないと思ってる。しかし自分が歌いたくないのに歌ってほしいと言われたら困る。しかし相手はトップバーチャル配信者。下手なことをすれば炎上してしまう可能性もあったのだ。

 そして、それを一番理解しているからこそ彼女は悩んでいる。

 夏美の言葉を聞いて、雫は自分の考えを改めることにした。

 水無月アテナとのコラボを断るべきだったと。

 彼女はふとSNSを見ると信じられないものを目にした。なんと水無月アテナ自らが暁時雨の歌ってみたを煽動していたのである。水無月アテナは暁時雨のファンであり、コラボしたいという気持ちが強かった。でも、それと同じくらいに彼女には問題があったのだ。

 それは、水無月アテナが暁時雨のファンであること。つまり、彼女がファンであるなら、暁時雨が歌えないと分かるはず。なのに彼女は暁時雨の歌ってみたを提案したのだ。

 しかし、リスナー達は水無月アテナの熱意に負けて、受け入れてしまった。

 その結果がこれだった。

 水無月アテナのアカウントにはこう書かれていた。


『みんなー! 今日は時雨さんとコラボ楽しかったよ! みんなも時雨さんの歌ってみたを聞きたいよね!?』


 コメント欄には大賛成の文字が大量に映し出される。リスナー達の大半は水無月アテナに感化され、暁時雨の歌を聴きたいと望んでいた。

 しかし、中には否定的な意見もある。

 例えば、 『俺、時雨ちゃんのこと嫌いじゃないけどさ、歌うのは嫌だって言ってたじゃん』

 そんな言葉があった。他にも似たような発言がある。

 だが、それでも水無月アテナの配信に来ているのは、彼女に魅了されたからだ。

 水無月アテナが暁時雨に歌わせたい理由はただ一つ。

 暁時雨と一緒に歌ってみたいのだ。その一心で水無月アテナは頑張った。頑張り過ぎて空回りしてしまった結果、この惨状が生まれた。


『おい! お前ら騙されんなよ!』


 コメント欄では水無月アテナを否定する声が飛び交う。


『皆さん、ボクは大丈夫です!』


 暁時雨はそれを必死に抑えた。ここで否定してしまえば余計な火種を生むことになると思ったからである。だからと言って肯定するわけでもなく、彼女は自分の想いを伝えた。


『確かに、ボクは歌いたくありません。だけど……』


 そこで一度言葉を区切る。そして決意したように言った。


『応援してくれる人がいる以上、応えられるよう努力します!!』


 その一言でファン達の反応が変わった。

 水無月アテナを批判する声が止み、暁時雨を応援するコメントが溢れ出した。

 こうして暁時雨の歌ってみたが投稿されるきっかけができたのだ。



 ◆◆◆



「はぁ、これでいいかな」


 雫は録音した音声を聴き、編集を始める。自分でも納得できる出来になったところで動画を投稿しようとする。すると、あることに気付く。


「あ、タグ付け忘れてる」


 雫が付けたタグは《初歌ってみた》というものだった。

 これは別に間違いではないのだが、雫としては恥ずかしかった。


「これじゃまるでボクが歌いたかったみたいだ」


 そう呟く。


「よしっ!」


 こうして、暁時雨の初歌ってみたが投稿された。

 数日が経った後、再生数を確認すると信じれられないことが起きていた。


「なんか、再生数が凄いことになってる。どうして?」


 暁時雨の歌ってみたの再生回数は十万回を超えていた。

「えっ? えっ?」


 彼女は困惑する。何故こんなことになったのか分からなかった。


「もしかしたら、ボクが歌ったから?」


 そう思い、他の人の歌ってみたも確認するが、やはり再生数は彼女の方が多かった。


「ボクが歌ったからって言うよりかは、ボクが歌えたから、なのかな」


 彼女は嬉しい気持ちはなく、全く別の感情が湧いていた。


(ボクがあれ程まで築いていたものはこんなにも軽々しいものだったんだ)


 癒えない傷を浅く取られてしまったような感覚に陥る。自分の歌ってみたがそこまで伸びて無ければこんな気持ちにはならなかった。まるで自分を嘲笑っているような現状に暁時雨としても日野雫としても悲しかった。

 彼女はふと、夏美のことが心配になる。彼女は自分のことを知っている。

 しかし、今回の件はどうだろうか。夏美は怒るかもしれない。

 そんな不安を抱えながら、彼女は夏美に連絡を入れる。


『もしもし?』

「夏美、ごめんなさい……」

『何のことよ』

「いやほら、ボク歌ったから……」


 雫は自分が歌ってみたを投稿したことを夏美に報告した。どうやら夏美は知っていたらしい。


『知ってるわよ。あんたが歌ってみたを投稿したことも、それがバズったのも』

「えっ?」

「だけど、聞いていないわ」


 雫は驚いた。夏美が自分の歌を聞いていなかったのだ。それが不思議だったので聞いてしまった。


『なんで聞く必要があるのよ』

「だって、ボク歌ったんだよ? 彼女が歌ったら普通聞くよね?」

『……だから?』

「なにそれ、ボクが歌が嫌いなの押し殺してやったことなのに夏美は何もしないわけ? ふざけないでよ!!」

『……』

「もういい! 切るね」


 雫は電話を切る。

 夏美の態度に怒りを覚えたからだ。



 ◆◆◆



 暁時雨の歌ってみたが投稿されてから数日後、水無月アテナから暁時雨にメッセージが入る。内容は歌ってみたの感想だった。


『あの、時雨ちゃん』

『はい、なんでしょうか』

『その、歌ってくれてありがとうございます。それで、その、歌についてなんですけど……』

『歌ですか?』

『その、良かったです! 私は時雨さんの歌が好きなので!』

『あぁ、はい』


 水無月アテナとの会話はこれで終わりだ。


「はぁ、水無月アテナに聞かれてた。そりゃあそうだもんね。誰よりボクが歌うこと望んでいたしね」


 雫は自嘲気味に笑う。そして、こう思った。


(やっぱりボクが歌ってみたなんてやるんじゃなかった。でも、今更後悔しても遅い。取り返しはつかない)


 雫は水無月アテナの名前を見るのが怖くなった。

 水無月アテナが暁時雨の歌ってみたを視聴してから様子がおかしかった。それは誰が見ても分かるほどに。


『アテナちゃん、暁時雨好きすぎだろw』

『アテナの百合営業酷すぎるww』

『暁時雨は俺のだぞ!!』


 リスナー達のコメント欄には様々なコメントが流れる。


「はぁ、嫌だ。見たくない」


 雫は水無月アテナの動画配信を視聴していたが、自分の話ばかりで嫌気が差していた。

 雫は自分の配信枠を開き、雑談をする。


『今日も時雨さんの可愛さは最高潮ですよ』

「ありがとうございますね」


 ふと、コメント欄を見ると水無月アテナの名前が目に飛び込んだ。すぐに配信が終わったとは思えなかった。つまり、自分の配信をしながら暁時雨の配信を見ていたのだ。


「気色悪い…」

『どうしたの?』


 暁時雨がポツリと呟いた言葉にリスナーが反応したが、慌てて取り消す。


「なんでもない。ちょっと気分が悪くなっただけ」

『大丈夫?無理しないでね?』

「うん、ありがと」


 彼女はリスナーの気を使って水無月アテナの視聴に気づかないフリをした。しかし、暁時雨の異変に気づいている人が一人居た。

 夏美である。

 彼女は暁時雨が心配になり、連絡を入れる。

 雫も夏美の連絡に気づいたのだが、配信中のため出ることができない。


「あっ、友達からだ」

『友達からかぁ』


 雫は夏美との関係は友達としてリスナーには説明している。知られると色々と面倒なので必要以上に言わないようにしていた。


「えっと、何々? 心配だから通話したい?」

『時雨ちゃん、出てあげたら?』

「そうします……」


 暁時雨はリスナーの言う通りにする。


「もしもし?」

『夏美だけど、どうしたのよ』

「えっ?」

『あんたが急に配信切ったから心配になって』

「ごめん……、少し体調が悪いから切るね」

『待って! 本当に大丈夫なの!? ねぇ!』


 夏美の声が聞こえるが、雫は無視して電話を切る。


『何かあったの?』

「ううん、なんでもない話だった」


 リスナーに対して嘘をついた。本当は心配してくれてるのに気持ちを押し殺して誤魔化す。それが今の彼女に出来る精一杯のことだった。

 配信を終えると水無月アテナからメッセージが届いていた。内容は『配信見てましたよ。何か心配事でもあるのですか? 次も新しい歌を歌ってください!』とのことだった。


「もう、やめてよ……、なんでそんなこと言うの……?」


 水無月アテナからのメッセージを返信を無視して一方的に切る。そして、そのままベッドに横になる。


「ボクだって好きでこんなことをしているわけじゃないんだよ……!」


 雫は涙を流す。


「ただ、歌が嫌いだったんだ……! 歌いたくなかった……! それだけなのに……!!」


 彼女の心は既に限界を迎えていた。



 ◆◆◆



 水無月アテナに歌を聞かれてから一週間が経過しようとしていた。その間、水無月アテナは毎日のように暁時雨に連絡を入れてきた。


『今日も時雨さんの歌を聞きたいです!!』

『時雨さんの歌毎日聞いています!』

『私は時雨さんのことが大好きですよ』

『時雨さんは私のこと好きですか?』

『私達は両思いですね』

『時雨さん、愛しています。これからはずっと一緒です』

『時雨さん』

「……」


 連日の様にメッセージを送ってくる水無月アテナに雫は疲弊していた。配信をしても隠れることなくコメントを打ってきたり、SNSも暁時雨のことばかり書いている。

 暁時雨のリスナーはその状況にすっかり慣れてしまって誰も注意しない。


「…………」


 そんな状況の中、雫はスタンドのマイクを握りしめ、椅子に座っていた。その表情はとても暗い。


「歌を歌うべきなのかな……」


 雫のメンタルはボロボロになっていた。水無月アテナに追いつめられていた彼女が唯一の解決手段が歌だった。歌を歌って黙らせることができれば連日の投稿も減らせるかもしれない。彼女はそれが最適解だと考えた。

 そして、歌を収録した後、配信を始めた。


「どうも、こんばんは暁時雨です!」

『こんばんは』


 今日のリスナー達もいつも通りに見える彼女に喜ぶ。告知では事前に発表がありますと伝えていたため普段より人数が多かった。


「今日も配信に来てくれてありがとうございますね」

『いえいえ、時雨ちゃんの配信が見れるならどこへでも行きますよ!』

『そうだぞー! 俺達がついてるからな!』

「ふふっ」


 リスナー達のやり取りを見て微笑む。しかし、それは一瞬だけですぐに真剣な顔に戻る。


「実は皆さんにお話があるんですけどいいですか?」


 暁時雨がリスナー達に問いかけるとリスナーが盛り上がる。


『なんだ?』

『時雨ちゃんのお願いなら何でも聞くよ!』

「あのね、ボク……歌ってみたをまた投稿します!」

『おお! やったぜ』

『待ってたよぉ~。楽しみにしてました』

『今度はどんな曲歌うのか気になりすぎるw』


 リスナーは喜びのコメントを打つ。中には泣いている人もいた。しかし、リスナーの反応とは裏腹に彼女から笑顔は消えていた。


「それで、今回の配信が終わった後に歌を投稿しますので是非見に来てくださいね!」


 画面の向こうの彼女は悲しい表情をしていた。彼女の表情とは違う言葉に応えるようにリスナー達は湧き上がる。当然水無月アテナも喜ぶ。

 配信が終わった後、二つ目の歌ってみたが投稿される。今度の歌ってみたも瞬く間に再生数が伸びていく。

 雫はそれが嬉しくて夏美に電話をする。


「もしもし? 夏美?」

『雫……』

「どうしたの?」

『私達別れない?』

「えっ!?」


 夏美の言葉に驚く。


「いや、何言ってるの。嘘だよね」

『嘘じゃないわ。私達もう終わりだよ』

「どうして? ボクが何か悪いことをしてしまったの?」


 必死に理由を聞く。彼女は何もしていない。そう信じているからこその行動だった。


『雫が悪いんだよ……』

「どういうこと?」

『雫の歌なんて聞きたくない。あんなに歌が嫌いなのに好きでもなんでもない歌を歌う雫の歌なんか聞きたくない』

「ボクだって好きで歌っているわけじゃないんだよ……!」


 夏美の本音に声を荒げる。


「ボクだって好きで歌っていたわけじゃないんだよ……! なのに……、なんで……!」

『私だって好きで言ってるわけじゃないよ……! でも、暁時雨が歌えば、私の知ってる暁時雨と雫から遠く離れてしまうのよ』

「ボクはどうすればよかったんだよ!? 歌は歌いたくないんだよ!!」

『そんなこと言っても無駄なのよ……。私の知ってる暁時雨は歌を嫌いのまま変わらない。だから別れた方がいいと思う』

「嫌だ!! 絶対に別れない!」

『じゃあ、さよなら』

「あっ……」


 通話が切れる音がする。


「……」


 彼女は呆然としていた。


「……」


 彼女の瞳からは涙が流れ落ちていた。そして、そのまま椅子に座る。じっと座っているとパソコンから通知音が鳴った。


「……」


 確認すると水無月アテナからのメッセージのようだ。


『時雨さんの歌を聞けて幸せです』

『私は時雨さんのことが大好きですよ。愛しています。これからはずっと一緒ですね』

「……」


 雫は黙ってそのメッセージを見ていた。


『時雨さん、愛しています。これからはずっと一緒です』


 そのメッセージを見て雫は目を閉じる。


(ボクには無理なのかもしれない)

「……」


 雫は自身の動画を開く。


「……」


 その歌声はある意味綺麗なものだった。まるで、心が綺麗さっぱりなくなったかのような。全てがなくなって空っぽになった自分を表しているようだ。残っているのは好きでもない歌声と水無月アテナに壊され偽りとなった暁時雨という姿。

 彼女は今日も配信し歌ってみたを投稿するだろう。自分も夏美も聞きはしない歌を。

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