第8話 夏への脱出 ⑤

 門の底部は泰輝の頭のすぐ上だった。

 泰輝が呼び出したのでなければ、何者による門の出現なのか――榎本でさえ、それは予想がついた。

 門の底から飛び下りたのは、日本刀を右手で逆手に構える士郎だった。彼は泰輝の首にまたがると、日本刀の柄に左手を添え、その切っ先を泰輝の頭に突き刺した。切っ先が泰輝の喉から飛び出し、そこから紫色の体液が噴き出した。

 士郎を振り落とそうと泰輝が首を振ったのはその直後だった。

 振り飛ばされた士郎は、空中で横回転し、泰輝のそばに着地した。

 頭部に日本刀が刺さった状態で、泰輝は大地に突っ伏した。白い巨軀は微動だにしない。

 隼人のライフルが士郎に向けられた。

 遅れて、榎本も拳銃を両手で構える。

「泰輝いいい!」

 瑠奈の絶叫が上がった。

 両手で口を押さえる蒼依が、目を丸くして固まっていた。

 門が消失し、冷気が薄れていった。

「純血の幼生は不死身だが」士郎は言った。「さすがに脳を破壊すれば、本体である精神体は、親たちが集うところへと帰ってしまう」

 だからこそ、黒い巨獣も活動を停止したのだ。泰輝からも聞いたばかりであり、士郎の言葉は榎本にも理解できた。

 見れば、黒い巨獣のタイキは――否、タイキの体は、湯気を上げつつしぼんでいく過程だった。

 右手で日本刀を泰輝の頭から引き抜いた士郎が、隼人を見た。

「そのライフルでぼくを撃つのもいいけど、どうせだったら、剣を交えないか?」

 そして士郎は、アリスの右腕とあやかし切丸に目を向けた。

「貴様」

 士郎を睨んだ隼人が、ライフルの構えを解いた。

「やつの口車に乗るんじゃないんだろうな?」

 引き止めたい――と思った。しかし、なんらかの策があるかもしれない。期待しつつ、榎本は隼人の答えを待つ。

「あいつはライフルの弾丸などたやすく躱せる。ならば、やつの誘いはこちらにも好都合というわけだ」

 拳銃を構えたままの榎本を一顧し隼人は、ライフルを足元に置くと、アリスの右手からあやかし切丸を取った。

「いいね」

 満足げな顔の士郎が、右手に持つ日本刀を肩の高さに掲げ、担ぐかのように、刀身の棟を右肩に当てた。それが彼の構えだった。

「蒼依、瑠奈ちゃんと一緒に下がれ」

 隼人は士郎から目を離さずに告げた。

「うん」と答えた蒼依が、瑠奈の腕を引いてフェンスのほうへと下がった。瑠奈は嫌がるそぶりを見せたが、結局は蒼依とともにフェンスの際まで引き連れられてしまった。

「榎本さんもだ」

 正面を向いたままの隼人にせかされて、榎本はようやく構えを解き、ゆっくりとあとずさった。そしてフェンスの近くで足を止めた榎本は、自分の右を横目で見た。

 瑠奈の左腕を右手でつかんだまま、蒼依が榎本に顔を向けた。かなうはずがない――とでも言いたげな表情をだ。一方の瑠奈は、泰輝を失ったばかりか、愛する男の窮地を目の当たりにして、声も出せずに青ざめていた。

「泰輝の頭を貫く剣ということは、それも特殊な隕鉄でできているというわけか?」

 隼人は問いかけた。そしてあやかし切丸の柄を両手で握り、顔の右横――目の高さで正面に切っ先を向けた。アリスも使った構えだ。霞の構え――という呼称を何かの本で目にしたことを、榎本は思い出した。

「そうさ」士郎は目を細めた。「上松克明が鍛えた破邪の剣だよ」

「残りの二振りは別次元にあるはずじゃなかったのか?」

 構えを維持しつつ、隼人は懐疑の言葉を呈した。

「だから今、取ってきたんだよ」

 不敵な笑みを浮かべた士郎は、その剣の名を「かみきりまる」と告げた。

「なるほど」隼人も笑みを浮かべる。「門の先の空間に隠しておいたわけだ」

「そういうこと。もう一本は、ぼくでも手にすることができない場所にある。でも、今日はそのあやかし切丸を手にすることができるんだ。いい日になりそうだね」

「最悪の日にならないといいな」

「どうかな?」と返すなり、士郎は跳躍した。

 軽く身を弾ませた隼人が、体をコマのように回転させ、魔道士の刃を躱した。

 士郎が両手で上段に構えると、隼人は両手で下段に構えた。

 二人は同時に動いた。

 鉄の弾ける音が、何度も鳴り響いた。

 剣と剣とが宙を斬る。

 次の瞬間、二振りの剣が交差して止まった。

 二人の両手に力が入っているのを、榎本は感じ取った。

 隼人と士郎は、睨み合ったままどちらも譲らない。

「もうやめて」

 つぶやいたのは瑠奈だった。

 なんらかの策に期待したいところだが、榎本の本音も瑠奈のつぶやきと同じなのだ。

 バニラの香りが漂う中で、一帯の空気は張り詰めていた。


 できることなら隼人を援護したかった。だが蒼依には何も手立てがなく、余計な行動を起こせばかえって隼人を窮地に陥らせてしまうに違いない。

 蒼依のそんな焦燥をよそに、隼人と士郎が同時に離れて間合いを取り、双方が剣を中段に構えた。あやかし切丸と神切丸が陽光を反射する。夏の日差しであっても破邪の剣が反射すれば、身も凍る冷たさだ。

 蒼依がつかむ瑠奈の左腕が震えていた。彼女の素肌に冷たさがある。まるで、破邪の剣が反射した陽光のようだ。

 横目で見れば、榎本も二人の青年に視線を定めていた。拳銃を握る右手も、かすかに震えている。

 瑠奈や榎本の震えばかり意識していたが、蒼依は自分の震えにようやく気づいた。それでも、二人の戦いから目を逸らすわけにはいかない。息を凝らし、正面の小さな戦場に視線を戻す。

 士郎が先に出た。

 水平に振られた神切丸を弾いたあやかし切丸が、士郎の顔面に直進した。

 すんでのところで躱した士郎だが、彼の何本かの毛髪が宙を舞った。

 士郎の体がわずかに浮いて後方へと滑った。

 間合いが広がった。十メートル以上の距離を置いて、互いが剣を構え、睨み合う。

「結局、魔術に頼らざるをえないわけだ」

 上段の構えの隼人が、嘲笑を浮かべた。

「君もだよ。その身体能力は神からの授かりものだ」

 右手だけで中段に構える士郎も、やはり嘲笑を浮かべている。

「そうだな。なら、フィフティフィフティということで」

 言って隼人は、助走なしで大きく跳躍した。

 着地と同時に隼人はあやかし切丸を振り下ろしたが、そこにいたはずの士郎は、一瞬前に彼から見ての左へと横滑りで十メートル弱の距離を開けていた。

「ちっ」と舌を鳴らした隼人が、士郎に正面を向けた。そして顔の右横に柄を掲げ、切っ先を敵へと定める。

「さて」士郎は言った。「フィフティフィフティじゃないかもしれないよ」

 笑みを浮かべたままの士郎を睨みつつ、隼人が眉を寄せた。

 隼人に視線を定めたまま、士郎は何かをつぶやいた。

「門の呪文!」

 つぶやきを聞き取ったのだろう――瑠奈が声を上げた。

 隼人が数歩、あとずさった。

 直後に、士郎の正面と隼人の正面とに、直径一メートル弱の門が一つずつ現れた。

 士郎はすぐに、右手に持つ神切丸で自分の正面に浮かぶ門を突いた。彼の右腕までが門に飲み込まれている。

 同時に、隼人の正面に浮かぶ門から日本刀の刃が突き出た。

 とっさに、隼人は体を右にねじった。

 門から突き出た刃は防弾ベストをかすめ、すぐに引き戻された。幼生の体を傷つけられる剣なのだから、防弾ベストでは役に立たないに違いない。

 隼人の正面にあった門は消失するが、士郎の正面の門はまだそこにあった。

「君たちの泰輝くんは、この戦法で九尾の狐を斃したんだよ」

 得意げに士郎は言った。

「そうだ、あのときの……」

 瑠奈は驚嘆を表していた。泰輝と九尾の狐との戦いを目の当たりにした瑠奈は、その後、蒼依にそのときの様子を語ってくれた。確かに、その話の中にこんな戦法があったのだ。

「貴様がどんな技を使おうと、おれは屈しない」

 不意に、隼人が突進した――が、その正面にまたしても直径一メートル弱の門が現れた。

 士郎が自分側の門を先ほどと同じように神切丸で突いた。

 それよりもわずかに早く、隼人は右への空中側転で位置をずらしていた。

 隼人側の門から突き出た刃が引き戻され、その門が消失した。

 しかし次の瞬間には、隼人の背後に次の門が現れる。

「お兄ちゃん、後ろ!」

 蒼依はすかさず叫んだ。

 体を横回転させて右に飛んだ隼人が、その門に正面を向けて間合いを取った。

 士郎はその一手を断念したらしく、すぐに隼人側の門を消失させる――が、次の瞬間には、隼人の頭上にまた次の門が現れた。

 とっさに体をひねり、隼人はそれから間合いを取った。しかしさすがに疲れたのか、彼はその場で片膝を突いてしまう。

 隼人の頭上の門は消えるが、士郎の正面の門はまだ浮いていた。その門から神切丸を引き抜いた士郎が、隼人に顔を向ける。

「君を殺すだけならもっと簡単にできるんだよ。ぼくが手を抜いているのを、君は知っているはずだ」

「小さな門をおれの頭や胸に重ねて呼び出せばいいわけだ」隼人は顔を引きつらせて士郎を見た。「おれが動いたり門が急速に消えたりすれば、門に重なった部位が欠損する。つまり、おれはその瞬間に死ぬ」

 そんな門の使い方は、蒼依でも冷静に考えれば気づいていたはずだ。自分がどれほど動揺しているのかを、蒼依は思い知る。

「なんてこと」

 瑠奈がつぶやいた。横目で見れば、彼女の横顔は絶望を呈していた。

「だが」士郎は言った。「それではおもしろくないだろう。君には恐怖を味わってもらいたい。いろいろと台なしにしてくれたからね。ぼくのタイキを神々の元へと送ってくれた泰輝くんは制裁を受けたんだ。次は、君の番だ」

 片膝を突いた姿勢の隼人に合わせ、彼の正面の低い位置に門が現れた。

 士郎が自分の正面の門を神切丸で突く。

 もう一つの門から飛び出した刃――その切っ先は、隼人の背中の外側まで達していた。

「嫌っ!」

 瑠奈が顔を背けた。

 しかし目を逸らさなかった蒼依は、現状を見て、瑠奈の左腕を揺する。

「やられていない」

「え……」

 蒼依に諭され、瑠奈は正面に顔を戻した。

「うん、大丈夫」

 榎本が言った。

 気づけば、一帯に冷気が漂っていた。

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