第3話
朝日こころと別れた後、由紀恵は予約していた西宮北口駅近くのビジネスホテルに入った。可もなく不可もない感じの、オーソドックスなビジネスホテルだ。
昼過ぎだったので、夕食も寝るのもまだ早かった。由紀恵は仕事道具のタブレットを取り出して、朝日こころと会話したことを文字に起こした。
一通り書き終えると、由紀恵はこれからどうするか、考えた。
魔法庁から由紀恵への依頼は、朝日こころの悩み事を解決すること、という至極ざっくりな内容だった。今回、こころは本当の悩みについて由紀恵に話さなかったので、今のところこれ以上由紀恵ができる事はない。
こういう場合、由紀恵としては魔法庁にありのまま報告するのが定石だった。接見した結果を伝え、さらに指示事項があれば魔法庁の担当者――いつもの天原聖人である――から追加の指示を受ける。これ以上することがなければ、本件はこれで終了だ。
魔法庁がこの依頼について、本当のところ何が狙いなのかは、由紀恵にもわからない。なので、さっさと報告して、運が良ければこれだけで魔法も使わずに解決、というのが由紀恵にとってベストな展開だった。
実際、このような展開は由紀恵にとって初めてではない。わたしにできることはないから。それだけ依頼者に伝えて終わり。魔法を使う場合と、使わない場合とでは、使ったほうがそれに応じた報酬をもらえるので、稼ぎたいのならもう少しやることを考えたほうがいいのだが。由紀恵はそんなに稼ぎたいと思っていない。魔法を使うと疲れるので、さっさと引き上げた方が無難である。
だから、いつも通りならさっさと天原聖人に報告し、案件を終えるのだが。
由紀恵は、朝日こころの最後の言葉が、妙に引っかかっていた。
『魔法士の方って、みんな日和佐さんみたいに綺麗な若い女性なんですか』
由紀恵が見た限りでは、朝日こころは初対面の魔法士との会話のため、極度の緊張に襲われていた。そんなこころが、最後の最後に緊張から解き放たれてそんなことを言うのは、少し違和感があった。
あの時、由紀恵はきれいな若い女性と言われたせいで舞い上がってしまい、こころの様子を細やかに観察することはできなかったのだが。
どうにも、不自然な言葉のように思われた。
しかし一方で、さきほどの接触で、こころが一つだけ本音で話していたとしたら、その言葉だという気持ちもあった。
「うーむ」
由紀恵はタブレット用のタッチペンを尖らせた唇の上に乗せ、しばらく考えた。
そして。
西宮北口周辺の、ディナーがおいしそうな店を調べ始めた。
* * *
翌日。
由紀恵は、朝日こころの通う高校へ向かった。
前日にアポは取ってある。魔法士は、『魔法士特権』というものを保有しており、簡単にいえば警察の捜査のように、一般人へ聞き込み調査ができる。
高校は西宮北口駅からさらにバスで北へ行ったところにある公立高校だった。『涼宮ハルヒの憂鬱』の聖地ではなかったが、縦長の建物が並ぶいかにも学校、という古風な高校だった。偏差値は高いらしく、威厳を感じさせた。なお共学校である。
由紀恵は初老の男性の教頭と、朝日こころの担任の若い女性の先生に迎えられ、話すことになった。二人とも、明らかに『大人の対応』をしていた。つまり妙に丁寧で、相手の機嫌を損ねないような様子である。
応接室のソファに座り、由紀恵は二人の教師に話を聞いた。
「二年の、朝日こころさんの事なんですけど。学校での様子は、どんな感じですか?」
由紀恵が聞くと、すぐに若い担任の先生が答え始めた。
「えっと、朝日さんは明るくて、とても元気な子で。他の子とも仲が良く、成績も優秀で、何も問題はありません」
由紀恵は笑顔で聞き流した。
もうちょっと上手くやれよ、と内心では愚痴っていた。
近年、学校内のいじめを魔法士に相談され、それを魔法士が調査して解決するという事件が多く発生しており、学校側はナーバスになっている、という噂があった。
学校からすれば、いじめが発生しているにもかかわらず、それを魔法士という外部の人間にすっぱ抜かれているわけで、メンツにかかわるのだ。教育機関とはいえ、学校もただの大人の集団に過ぎない。生徒のことが大事ならプライドも何もなく、あらゆる手段を使っていじめを解決すべきだと、由紀恵は思っているのだが。
もっとも、由紀恵は朝日こころがいじめを受けているとは思っていなかったので、この若い女性教師の言葉は聞き流していた。もちろんその可能性はあるが、いじめを受けている生徒はもっと絶望的で、誰も信用できないという様子をしているものだ。その点こころは、由紀恵とは緊張しつつもまともに話していた。
こういう相手を深掘りしようとしても無駄だと、由紀恵はこれまでの経験から察していた。特に、若い担任はともかく、隣には百戦錬磨っぽい教頭がいる。学校にとって都合が悪い情報を聞き出すのは、至難の業だろう。
仕方ないので、由紀恵はいちばん気になっていたことを聞くことにした。
「朝日さんには、交際相手はいますか?」
「えっ」
想定外だったのか、若い担任の女教師は教頭の顔を見た。
「どうでしたっけ? 私は特に、聞いていませんが」
「あっ、はい。私もわからないです。他の学校の生徒とかと付き合っている可能性はあるかもしれないですが、少なくとも学校内では誰とも付き合ってないと思います」
教頭の許可を得た担任が、自分の知っていることを正直に話した、らしい。
学校の先生は、生徒たちの恋模様を意外にもよく把握している、ということを昔、由紀恵は聞いたことがある。この年頃は恋愛によって成績が変動しがちであり、本人の実力なのか、恋愛のせいなのかを上手く見極めなければならないからだという。
これは嘘ではない、と由紀恵は思って、その通り納得した。
「わかりましたー。じゃあ、今日はこのへんで」
「あの。魔法士さんは、朝日さんについて何をしているんですか」
担任が、由紀恵へ質問してきた。大人の対応で終わると思っていた由紀恵は少し驚いた。
「すみません、それは本人のプライバシーもあるので、教えられないんです」
「そうですか……あの、少しだけ、朝日さんのことで気になることがあって」
「何でしょう」
教頭が、隣で少し不安そうな顔をしている。予定外のセリフらしい。
「同じクラスの、近藤結花さんという女子がいるんですけど、どうもこの二人は、すごく仲が悪いみたいなんです」
「仲が悪い?」
「はい。他の子とは、特に問題なくやってるみたいなんですけど。近藤さんは最近、すごく苛々していて、その理由は、朝日さんのことが鬱陶しいから、と言ってるみたいなんです」
「ほう」
「私が知っているのはここまでなんですけど。もしかしたらその関係なのかな、と思って」
「初耳ですね」
教頭が頭を抱えた。あまり知られたくない情報だったらしいが、由紀恵にとっては朗報である。
「今日話したことは、他の誰かに話したりしないので、ご心配なく」
そう言い残して、由紀恵はこの学校を去った。
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