第5章 聖蹟桜ヶ丘

第1話

 本日の由紀恵は、オフだった。

 フリーの魔法士である由紀恵は、依頼と依頼の間に数日のインターバルを空けるようにしている。依頼者へ会うまでに事前準備をする時間を確保するのと、遠方での依頼を受けることが多いため体力をセーブするのが目的だ。このオフ日を利用して、由紀恵は東京都多摩市・聖蹟桜ヶ丘駅へ向かっていた。

 平日の夕方、新宿駅から京王線下りの特急で向かう。準特急というよくわからない列車はいつのまにかなくなっていた。聖蹟桜ヶ丘駅は全列車が止まるので問題ないのだが。ちなみに由紀恵は、東京に住み始めて間もない頃、特急券を買おうと窓口に行き、京王線では不要ですと言われてなんか恥ずかしかった記憶がある。

 京王線に乗ると、由紀恵は決まって運転席直後のスペースに向かう。明大前駅の手前で、前の電車に追いついて一旦停止してしまうことが多いので、その様子をいつも見ていた。二時間に一本くらいしか汽車が走っていない由紀恵の地元ではあり得ないことだった。電車がじりじりと車間距離を詰めるのは面白い光景だった。あおり運転か。

 ラッシュに入った電車は何度か信号待ちを繰り返し、定刻通り聖蹟桜ヶ丘駅へ到着。駅から歩いて数分の場所にあるバーへ向かった。店の前が待ち合わせ場所だった。

 店の前では、約束をしていた勝目麻里子が立っていた。


「まりこさま~っ!」


 まだ酒を飲んでもいないのに、由紀恵は麻里子を見つけ、ダッシュで体当たりのように抱きついた。


「きゃっ!」


 スマホを見ながら無防備だった麻里子は、突然のタックルに驚き、数歩のけぞった。由紀恵はかまわず身体をぐいぐい押し付ける。


「ん?」


 途中で由紀恵はあることに気づき、身体を離した。


「なんかお腹出てない? 太った?」


 前回会った時も同じようにハグをしたのだが、その時とはお腹のあたりの感触が違っていた。太った、というよりはそこだけぽこりと出っ張っている。服装も、以前はあまり見なかったワンピースだった。


「あっ、もしかして」

「あはは……赤ちゃん、できちゃった」

「わーっ、だからわざわざ誘ってくれたの? ごめんね全然気づかなくて! 赤ちゃんつぶれてないかな?」

「これくらいは大丈夫だよ」

「だよね。おめでとうまりこさま!」


 由紀恵はまた、友人を祝うため強烈なハグを決めた。

 

* * *


勝目麻里子と由紀恵は、国立魔法大学の同期だった。

少子化の影響を受けてか、魔法大学の学生は年々減っており、由紀恵の代は五人しかいなかった。男子が二人、女子が三人で、由紀恵と麻里子は得に仲が良かった。

麻里子は、同じく同期である勝目豪星という男子と在学中に付き合い始め、卒業の翌年に結婚した。旧姓は久保という。なので由紀恵としては、名字で呼ぶと紛らわしいから今でも大学時代のようにまりこ様と呼ぶしかなかった。

結婚していたので、そのうち子供もできるだろうと思っていたが、普通に飲みに誘われただけだと思っていたので驚いた。

二人はさっそく、予約してあった席に座ついた。


「あれ、妊娠中ってお酒飲んだら駄目なんだっけ?」

「うん。けっこう前からやめてるよ。ここ、ノンアルのカクテルでも美味しいから」

「まりこ様はお酒好きだから辛いよね。私は飲まなくても平気だけど。私もノンアルにしとこっかな?」

「せっかくだから飲みなよ。わたし、由紀恵ちゃんが飲んでるところ見たいな」

「えー、何それ」


 由紀恵は普段、ほとんど酒を飲まない。大学時代から何度も飲んでいるが、相当アルコールに強いらしく、飲んでも酔いを感じないのだった。魔法大学時代、同期の男子二人が気を失うくらいの量を飲んでも、由紀恵はなんともなく、皆の介抱に回っていた。魔法を使ってアルコールの効果を打ち消している、という訳でもない。本当に強いのだ。


 麻里子はノンアルコールのカクテルでおすすめのものを、と頼み、由紀恵はギムレットを頼んだ。『ギムレットを飲むには早すぎるね』というチャンドラーの小説の名言でギムレットの事を知った。他のカクテルのことはよく知らない。ギムレットは普通に美味しいから、知りたいとも思わなかった。

 二人で乾杯して、由紀恵は三十度を超えるギムレットをぐびぐびと、スポーツドリンクのように飲み干す。すぐにもう一杯頼む。おっさんか。


「由紀恵ちゃんはすごいなあ。わたし、ちょっとビール飲んだだけでも酔っちゃうのに」

「ふふん、生まれ持った才能の差だよ」

「そうだよね。由紀恵ちゃんは何でも持ってるもんね」


 何気ない言葉だったが、麻里子は感傷に浸ってしまった。魔法大学時代、由紀恵は同期の中で一番成績がよく、麻里子はビリだった。それでも麻里子は魔法士資格を取得しているので、成績が悪すぎる、という訳ではなかった。


「持ってないよ。彼氏とか家庭とか、今はまりこ様の方がいいもの持ってるもんね」

「あれ? 許嫁の人とはどうなったの?」

「んー……色々あって未定だよ。今どき許嫁なんて変な話だもんね」


 魔法を使えるかどうかは遺伝によって決まるところが大きいらしく、魔法を使える家庭どうしで許嫁にするのはよくある話だった。しかし近年は自由恋愛主義であり、お見合いや許嫁といった過去の風習は廃れているのも事実だ。


「お仕事は? 大変?」

「フリーだから大したことないよ。嫌な依頼は拒否すればいいだけだし。魔法管理官の豪星くんの方が絶対、大変だよ」


 麻里子は結婚後、主婦になった。魔法士資格は定期的に更新が必要だが、一応維持しているらしい。それでも主婦なのは、夫である豪星が魔法庁の魔法管理官という激務のチェアに就いているからだ。由紀恵がいつも報告している天原聖人と同じ仕事である。ただ一口に魔法管理官といっても、聖人のような魔法士を管理する仕事だけではなく、働き方は様々だ。


「豪星くんは今どこにいるんだっけ?」

「えっとねー、北海道のほうだって。場所は教えてくれないけど」

「ええー。超寒いじゃん」

「それがね、家の中は意外と温かいんだって。外は地獄だけど」

「そうだよね。私も東北とか北海道、何回か行ったからわかるよ。豪星くんは元九州男児だからきついよね」


 豪星の業務内容は、妻である麻里子にも明かされていないようだ。魔法管理官はこれが普通なのだが、麻里子は辛いだろうな、と由紀恵は思った。結婚する前からわかっていた事ではある。


「豪星くん、次はいつ帰ってくるの?」

「えっとね、上手くいけば出産する頃、都内の魔法庁本庁勤務になれるんだって」

「えー、すごいじゃん! 親の死に目にも会わせてくれないブラック官庁、っていう噂だったのに」

「最近は、働き方改革? が進んでるらしいよ。離職者も多いらしくて……」


 妻がいるのに単身赴任を強制する時点で、現代の感覚では十分ブラックなのだが。魔法管理官業界の感覚が狂っている。


「豪星くん、久々に会いたいな~。あの超硬い腹筋にパンチしたい。今度、戻ってきたら会いに行っていい?」

「えっ……? それは、わたしに許可取らなくても、会いたければ会ってもいいけど」


 麻里子が、急にすねたような表情になった。

 うわあ。この子、まだ昔のこと根に持ってるのか。

 由紀恵は女の勘でそう思った。普段は天然系でとても可愛らしい子なのに。こういう時はしっかり女なんだよな。人間って不思議だな。

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