第4章 五所川原

第1話

「さささささむむむむむいいいいい」


 二月の、大寒波が押し寄せている青森・五所川原駅にて。

由紀恵は汽車から降りると、身体を震わせながらそう呟いた。

朝一番の新幹線で東京を出て、新青森駅で降りた時から嫌な予感はしていた。東京も寒いが、この時期の東北の寒さは、全身を突き刺すようで、命の危険を感じるレベルだった。もともと南のほうの出身である由紀恵は、冷凍庫に入れられたような気分だった。

新青森駅からJR線を乗り継ぎ、五能線五所川原駅へたどり着いたあと、そこから津軽鉄道というローカル線に乗り換えて、終点の津軽中里駅を目指していた。

ところが、ダルマストーブの置かれた津軽鉄道の小さな改札口へ行ってみると、窓口は無人で、『除雪のため運転を見合わせています。運転再開の目処は立っていません』という、手書きの張り紙がされていた。


「ええ~」


 由紀恵は絶望した。

 ストーブ付きの待合所はあるし、いつかは運転再開するだろうから、ここで凍死するという可能性はない。しかし駅の周辺にはコンビニもなく、というか雪が凄すぎて駅から出る気にならなかったので、事実上ここに閉じ込められたようなものだった。

 交通費は魔法庁へ請求できるので、タクシーで向かってもいいのだが、駅前には一台も車が止まっていない。そもそもこんな、視界が真っ白な状況で車の運転ができるのか。雪国の人、半端ないな。

 こういう日に限って小腹が空いた時のための食料も持っておらず、為す術がなくなった由紀恵は、一人でダルマストーブの前に座り、うなだれた。昔見た『秒速5センチメートル』という映画で、大雪で電車が遅れる中、ヒロインが駅のストーブの前で一人主人公の到着を待っているシーンを思い出した。私、あの時の明里ちゃんみたいだな。いやでもアラサーで彼氏もいない私じゃ無理があるか。いや今はそんなこと考えても仕方ないから『明里ちゃんごっこ』に集中しよう。貴樹くんまだかな。ほうじ茶飲みたいな。

 そんなことを考えていたら、仕事用の携帯が鳴った。

 今回の依頼主からだった。携帯の番号は、事前に魔法庁から伝えられている。


『あっ、もしもし、魔法士さんですか』

「はーい、魔法士の日和佐由紀恵でーす」

『いま、汽車、止まってますよね? どのへんですか』

「えっと、五所川原駅で一人、汽車が動くまで待ってます」

『ええっ! 今日は雪がすごくて、汽車動くかどうかわからないですよ。あの、お母さんに言って、五所川原駅まで迎えに行きます』

「えっ、いいの?」

『はい! せっかく魔法士さんがこんなところまで来てくれたんですから』

「ありがとうございます~」


 思いがけず救われて、由紀恵は涙が出そうになった。

 それから約一時間、ひたすらスマホゲームで時間を潰していると、再度携帯が鳴り、駅前に到着したと連絡があった。

 車はトヨタ・RAV4だった。おそらく四駆だろう。さすが雪国。

 車の後部座席から、コートを着た女の子が出てきた。


「はじめまして。依頼させてもらった、杉森美結です」


 杉森美結と名乗ったその少女は、メガネをかけた地味そうな女の子だった。高校二年生で、部活は吹奏楽部。そこまでは魔法庁からの事前資料で知らされていた。ただ今は雪が凄いし、お互い着ぶくれしているので姿はよくわからなかった。


「とりあえず乗ってください」

「おじゃましま~す!」


 由紀恵はためらわずに車へ乗り込んだ。もともと車社会の地方都市出身である由紀恵は、他人の車で送り迎えしてもらうことに何のためらいもなかった。


「ごめんなさいね~、こんな寒い日に! うちの子がバカな依頼するから、二月の青森なんかに来てもらうことになって」


 運転席にいる美結の母親から声をかけられた。顔はよく見えなかったが、愛想の良さそうないいお母さんだった。


「いえいえ、仕事ですから、お構いなく」


 それから約一時間程度のドライブで杉森家へ向かったのだが、除雪されているとはいえ大雪の路面はかなり荒れていて、滑ったり雪の段差で揺れることが多く、雑談をしている状況ではなかった。

 杉森美結の家は、東京では大富豪が住むレベルの広さだった。ガレージに車を入れると、奥には農機具が大量に置かれていた。ああなるほど、と由紀恵は思った。農家は自分の所有する農地を家にするので、家を買う時に土地代がかからない。だから異様に家がでかい。昔、農家だった地元の友達からそう教えてもらったことがある。

 家の中は南国かと思うほど暖かかった。雪国では室内をめちゃくちゃ暖かくするので、外にでなければ寒くないのだ。ここまで来れば一安心だな、と由紀恵は思った。


「こっちの部屋にこたつあるんで、どうぞ」

「えっ、こたつ!? わあいこたつ! 魔法士さんこたつ大好き!」


 実家で昔使っていたもの以来のこたつだった。由紀恵はためらわず、六畳一間のリビングの真ん中にあるこたつへ突入した。


「ふへ~」


 あまりの気持ちよさに、思わず人に見せられないような緩んだ顔をしてしまった。

 こたつのテーブルの上には、みかんが置かれていた。青森だしりんごじゃないのか、と由紀恵は思った。さすがにりんごをこたつの上でつまむのは無理だな。

 みかんを見ていたら、まだ昼食をとっていなかった事もあり、お腹が鳴ってしまった。ちょうど美結がやって来たところで、由紀恵は恥ずかしくなった。


「魔法士さん、お昼ごはん食べてないですよね? うちのお昼のカレーが余ってるので食べます?」

「えっ、いいの?」

「はい、せっかくこんなところまで来てもらってるので」


 ここから自分で食料を調達する手段もないので、由紀恵はありがたくいただく事にした。日本全国どこで食べても手作りのカレーは美味しい。身体も温まる。


「本当、すみませんねえ。うちの娘がふざけた依頼したばっかりに」


 用意してくれたお母さんが、お皿を並べながら話した。カレーと、切り分けられたりんごを置いてくれた。五切れあったので、多分一個まるごとだ。


「あっ青森のりんご! 私、りんご食べたいなと思ってたんです」

「あらあら、りんごならいっぱいあるから持って帰りますか?」

「ありがとうございます~。でも重いからいいです」

「うちにあっても腐っちゃうだけですから、一個だけでも持って行ってくださいね」


 形が悪かったり、これ以上市場に出すと価格が下がる等の理由で、農家は農産物を自分の家にストックしている。これも地方出身の由紀恵はよく知っていることだ。

 熱々のカレーをいただき、りんごに手をつけ始めたところで美結が近くに来た。


「うちのりんご、美味しいですか? あんまり高級なやつじゃないんですけど」

「おいしいよ! こんなに甘いりんご初めて食べた」


 実際美味しかったので、由紀恵は満足していた。名産地で食べるものは例外なく美味しい。多分、味というより気分の問題なのだが。


「わたしのつまんない依頼でこんなところまで来てもらって、本当にすみません」

「いいんだよ! っていうか、全然つまんない依頼じゃないよね。女の子にとっては人生賭けた一大イベントだよね?」

「え、えへへ……」


 美結はりんごのように顔を赤くした。若いなあ。由紀恵はそう言いそうになったが、自分が若くないと認めることになるので、やめた。


「バレンタインの本命チョコ。頑張って作ろうね!」

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