第3話 株取引は自己責任

 俺が株取引を始めたのは7年ほど前のことだ。


 貯金の一部を投資に向けようと、100万限定のつもりで株投資を始めたのだ。


 きっかけはいろいろある。ネット証券が増えて手数料が飛躍的に安くなったこと。ネットでの株情報が入手しやすくなったこと。なによりスマホひとつでリアルタイム株価が分かり、そのまま取り引きができることなどだ。


 だが最大の理由は、社会人を10年ほどやって生活に余裕ができたことだ。


 36才独身。彼女はいないこんちくしょ。酒も飲まずギャンブルも女もやらない。人付き合いなどもってのほか。金のかかる道理がないのだ。おかげで貯金が1,000万を越えた。


 貯金していても金利なんかないに等しい。それなら、得意のネット情報調査力を生かして株式投資でもやろう。儲かったら会社なんか辞めてトレーダーでうはうは生活……。


 そんな甘い性根で始めて儲かるのなら、誰もがやっているだろう。だが自分だけは違う。失敗した連中の話はいっぱい聞いたし読んだ。あらかじめ知っていれば、失敗することなどないのだ。


 そんなふうに考えていた時期が俺にもありました。


 それがどういうわけか失敗続きだった。買う銘柄買う銘柄、そのほとんどが下がって行くのである。そんなはずはない、と思いナンピン(難平。下がった銘柄を買い増しすること。平均購買価格を下げられる)を入れる。すると、さらに株価は下がって損失が膨らむ。その繰り返しだった。


 下手なナンピン、すかんぴん。やかましいわ。


 そんなこんなで最初の3年は資産を減らすだけの月日だった。減った分は貯金やボーナスから補填した。そしてまた減って補填して、補填する先から減ってとうとう貯金の半分以上をつぎ込んだ。


 株価が下がったときにニュースでいわれるこんな言葉がある。


『今日の日経平均は利益確定売りに押され、マイナスでどうのこうの』


 あいつら(誰?)は利益を確定しているというのに、なんで俺は損失だけが膨らみ続けるのだ! とひとり憤慨していた。


 日本で負けてるのは俺ひとりかよ! などと真剣に考えた時期もあった。


 だがそれは株価が下がったときに使う、報道の常套句であった。


 視聴者に株は儲かるという錯覚を起こさせるため、マスコミ各社が行っている証券会社(手数料で儲けている)への忖度報道であることを知ったのは、ずいぶんあとのことだった。


 そして株の取引口座を開設してから3年後。それはやってきた。「信用口座を開けますよー」という連絡だ。


 信用口座が開けると、信用売り・信用買いができるようになる。特に信用売りに俺は注目した。


 いままで買った株が下がり続けたのだから、それを信用売りすれば儲かるんじゃね? という単純思考である。


 相場というのは流れがある。日経平均が下げ続けているときに、上がる銘柄はそんなにない。逆に日経平均が上げ続けているのなら、よほどおかしな銘柄を選ばない限り、だいたいどんなものでも釣られて上がるのだ。アベノミクスが良い例だ。


 それが投資歴3年で得た実感である。


 さて、ここで信用取引とはなにか、について解説しておこう。それが分からないと、俺が資産を3,000万にも増やした理由も、その資産をわずか数日で失った理由も説明できないのだ。



 信用取引には最大3.3倍のレバレッジ(てこの意味)が付く(その理屈は後述する)。100万円の現金があれば、330万円の取り引き(株が売買できる)ができるのである。


 ただし担保率が80%と設定されていれば、実質2.64倍が上限となる。その場合は100万円の現金で264万円分の取り引きができることになる。


 100万で株を買って、それが10%値上がりすれば通常なら10万の利益である。ところがレバレッジをかける(信用買いをする)と、264万円分の株を買うことができる。

 同じ上昇率で、利益は26.4万円に跳ね上がるのだ。その誘惑に負けた人が信用買いをするのである。


 株は上がることもあれば下がることもある。下がれば同じ比率で損失となる。そういう危険な取り引きなのである。


 ここで、レバレッジの理屈について説明しておこう。


 まず、現金100万円で株を買う。そして次に、この100万円分の株を担保に80万円(上記の担保率の場合)を借りる。そして80万円分の株を買う。そして借金で買った80万円分の株を担保に64万円を借りる。さらに64万円分の株を買う……それを繰り返すのだ。


 例を挙げて説明しよう。株価は1万円、投資金額は100万円とする。


   現金    株    総資産

   100万    0    100万  初期

    0万   100    100万  株を買った


 ここまでが通常の取り引きである。ここで買った株100万円分を担保に80万円を借りる。


   現金    株    総資産

    80万   100    180万  100株を担保に80万の借金

    0万   180    180万  借金で株を買った

    64万   180    244万  80株を担保に64万借金

    0万   244    244万  借金で株を買った

    51万   244    295万  64株を担保に51万借金

    0万   295    295万  借金で株を買った


 これで(だいたい)レバレッジ3倍が達成する。


 現金は100万円しかないのに、総資産がどんどん膨らんで行く理屈がお分かりいただけることであろう。


 これがレバレッジである。


 ただし、担保率は現金と株では異なり、さらに証券会社によっても異なる(ネット証券では低目に設定されている)。数字は目安と考えていただきたい。


 この担保率を変えることで、最終的に使える金額をいくらでも変えることができるのだ。


 10倍でも100倍でも可能である。アメリカのFX(外国為替取引)では3,000倍なんていう非常識な取り引きを可能にしている証券会社もあるらしい。


 さて、信用取引にとってもうひとつ重大な指標がある。信用保証金維持率というものだ。通常30%以上と定められている。


 300万の取り引きをしたのなら、90万円分の担保(現金+持ち株評価額)が必要ということである。


 信用取引をする場合は、この率を下回ると証券会社は黙っていない。


 俺の場合は、その損失が信用保証金維持率を大きく下回ったのだ。そのぐらい株価がいきなり下がったのである。二階建てという、やってはならないことをやっていたことがその暴落に拍車をかけた。(二階建てとはどこかの政治家の話ではない。これについてはいずれまた)。


 さて、担保にしている株が下がった場合、しなければならない選択肢はふたつしかない。


・担保にしている株を売却して信用保証金維持率(30%以上)を確保する

・現金を入金して、信用保証金維持率を確保する。


 これは追証(おいしょう)と呼ばれ、これをしないと強制的に証券会社が株を売却してしまうのだ。


 だが今回の場合、売れればまだ良かったのだ。それなら損失を被っただけで済んだ。だがその株は連日のストップ安となり、売ろうにも売れない状態となったのだ。


 理由は粉飾決算である。最初に発表された決算では約50億円の利益となっていた。それほど多くはないが株価が暴落するような数値ではなかった。


 しかし、のちにそれが粉飾であったことが発覚し(実は赤字が100億円以上であった)売り手が殺到した。


 市場は売り手一色となり、値段が付かなかった(買い手がいないからである)。


 日本証券取引市場では、株価の暴落や高騰を抑える目的で「値幅制限」というルールが設定されている。


 1万円の株なら下落率は1日で最大30%、5,000円なら20%と決められている。それをストップ安という。


 俺の持ち株は、粉飾決算が発覚した日に当然のようにストップ安で引けた。その時点で俺の追証が確定した。

 さらにその株は、次の日も次の日もストップ安を繰り返し、追証を入れることも売却することもできないまま資産は大幅にマイナスとなった。そして今日、俺の口座は凍結(取り引き停止)された。



 少し先走りすぎたので話を戻す。


 信用口座を開いてからの俺の資産は増え続けた。3年の経験で、俺は株価に「あるクセ」があることに気がついていた。下がる株には大きく下がる前に前兆があるが、上がる株にはそれがないということだ。


 それなら。


 下がる株で儲ければ良いじゃないか。それができるのが信用口座というものだ。それは、空売りと呼ばれ株が下がるほどに儲かる取り引きだ。


 これは儲かった。だいたいにおいて株というものは、上がるときはやんわりとだが、下がるときは一気に下がるのだ。もちろん例外はあるが、そこは見極めということになる。


 空売りを覚えた俺は、その年から資産を増やし続けた。現金では現物を買い、それを担保に空売りをしかける、という単純な作戦だ。

 それは単純なだけに、あまり考える必要はなかった。下がりそうな銘柄を探せば良いだけなのだ。そしてそれは、上がる株を探すよりは遥かに見つけやすいのだ。


 現金で買った株は基本売り買いはしない。長期で持ち、配当や優待をもらってふわふわしてればいい。それはそれでは悪くない。資産を増やす取り引きは信用売りである。


 そして負けを取り戻してなお俺の資産は増え続けた。100万が300万、500万、そして2,000万を越えるころには、俺は有頂天になっていた。


 有頂天になってもいいだろう。ただ問題は、そこで自分の行動を変えたことにある。


 売りで資産を増やしたのだから、それを堅持していれば良かったのだ。


 ああ、それなのにそれなのにそれなのに。


 有頂天となっていた俺は、信用口座で信用買いにも踏み出した。売りで儲かるのだから、買いもやればもっと儲かるんじゃないかと。


 資産が膨らんで使える枠(金)が増えたのも一因だ。せっかくある資金(って借金なのだが)を遊ばせておくのはもったいないと。


 そして信用売りと信用買いの両方を駆使して、しばらくの間は俺の資産は増え続けた。


 それが数日前、俺が上がると見込んで二階建て(買い)をしていた会社が、粉飾決算をしていたというニュースが流れて俺の人生は終わったのだ。


 その瞬間から、3,000万円近くあった俺の資産は3日と経たずにマイナスとなり、5日目には7,000万円の負債となったのである。ストップ安はいまだ続いており、さらに下がる(負債が増える)ことが予測されている。おそらくは億を超えるだろう。それも1億で収まらない。気の遠くなるような金額である。それが自分に降りかかっているのだ。


 ストップ安が続いていては売ることもできず、入金すべき金額も俺の貯金を遥かに超えてしまった。そのために、口座が凍結されたのである。


 信用取引の問題に二階建てという高リスク取り引き、そして粉飾決算という不正行為(こちらは俺の責任ではないが)が相乗効果となって発生した暴落である。


 こうなるとできる手段は自己破産ぐらいしか残されていない。


 多額の借金は「自己破産」という手続きでチャラにできることがある。俺はそれも検討してみた。


 ネットで無料相談をやっている司法書士に質問してみたのだ。俺の場合、二階建てというやってはならない(違法行為ではないが)をしていたために、自己破産が認められる公算は低い、とのことだった。


 株取引はすべて自己責任である。そんなことは分かっている。分かっているが、じゃあどうすりゃいいのだ?


 それがいまの俺の現実である。


「ふわぁぁああ。話は終わったモん?」

「お前は聞くきなしかよ!」

「終わったら、本編に戻るモん」

「第3話はいったいなんだったんだ……」

「株取引に興味ない人はすっとばしても良い回だモん」

「それを最後に言うのか!?」

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