013 ヒーロー活動



「……さん、兄さん。起きてください。時間ですよ」


 耳元で甘い声が聞こえて、俺は目を覚ました。


「珍しいですね。兄さんが寝坊するなんて、ふふっ……」


 小さく笑みをこぼすのは、神崎の妹の詩季だった。

 整った顔立ちがすぐ近くにあり、まじまじと観察してしまう。


「な、なんですか、そんなに見つめて。私の顔に何かついてます?」


 詩季は恥ずかしそうに身をよじり始めた。


「……カワイイな」


 ついそんな言葉が口から出てしまった。

 すると、詩季の顔が真っ赤になった。


「カワイイって、そんな~。なんですか急に? 変ですよ兄さん」

「ああ、ごめん。ちょっと寝ぼけてたみたいだ」


 俺は慌てて言い訳をする。今の俺は神崎仁なのだ。

 今回は神崎仁になりきって二日間を過ごすことになる。

 俺は一瞬で現状を把握した。

 桜木ひなた、渚鈴葉、そして神崎仁。三人目ともなれば多少は慣れる。


「…………」


 詩季は急に真顔になると、まじまじと俺を見つめてきた。


「どうした?」

「まさかとは思いますがあなた、兄さんではありませんね?」

「――――ッ!?」


 いきなり正体を看破されて言葉を失った。


「……どうして、そう思う?」

「ほら、その反応。分かりやすい。もし違うならそんなに動揺しません」


 これはもう完全に誤魔化せないと判断して、俺は諦めることにした。


「ああ、その通り。俺は神崎仁じゃない。中身は別人だ」

「……朝比奈海斗さん、ですよね?」

「そこまで分かるのか?」


 この時間軸では俺と詩季は出会ってもいないはず。それなのにどうして分かったのか?

 そして中身がバレたのにも関わらず短期ループが発生していないことも気になる。


「兄さんが予言をしていました。

 ですが、かなり確率は低いとも言っていました。万が一だと」


 詩季がスマホのメモ帳を見せる。

 そこには神崎が残した予言がびっしりと書かれていた。


「兄さん曰く、もしそうなったら朝比奈さんの指示にしたがってくれと言われています。

 私はどうしたらいいですか?」


 なぜ短期ループが発生しないのか、その理由が分かった。

 それは詩季が俺の正体を知っても、それによって行動を変えることがないからだ。

 なんだか神崎の手のひらで遊ばれているようで良い気はしないが、ここは素直にご厚意に甘えるとしよう。

 無駄に反抗しても面倒くさいだけなので……。


「いつも通りにしてくれ。

 俺が朝比奈海斗だからといって行動を変えるのは、やめて欲しい。

 なるべくいつも通りに。俺を神崎仁として扱ってくれると助かる」


 俺はオリジナルの神崎仁がとった行動をトレースする必要がある。

 そうしなければ短期ループが発生してしまう。


「了解です! それじゃあ、ヒーロー活動に行きますよ。兄さん」


 詩季に手を引かれて布団から引っ張り出された。






 始発の電車に乗って俺と詩季は移動する。

 そして、学校がある駅ではない良く分からない駅で降りた。

 俺は学生鞄とは別に小さめのスポーツバッグを持たされている。

 少し歩いて到着した場所は、何の変哲もない交差点だった。

 まだ時間が早いこともあり、交通量は少ない。


「ここで何かが起こるのか?」


 俺は隣の詩季に訊ねた。


「え? 分からなんですか?」


 詩季は驚いた表情を浮かべた。

 神崎仁は未来予知ができる。

 しかし、


「ああ、俺には未来予知の能力はないからな」


「……そう。だから兄さんは前もって、詳しい情報を私に残していたんですね。

 いつもはしないから少し変だと思っていました」


 詩季はスマホ画面を覗きながら、一人で納得していた。

 どうやら俺に未来予知の能力がなくても、スマホに前もって予言が残されているので問題はなさそうだ。


「ねえ、あの黒いきりみたいなものが見えますか?」


 詩季は交差点を見つめながら訊いてきた。

 変哲もない交差点だが、言われてみれば薄く霧が掛かっているように見える。

 普通の霧は白っぽいが、目の前の霧は黒い。なんだか不気味な感じだ。


「薄っすらと見えるけど、あれは何なんだ?」


「私たちは〝影〟って呼んでます。

 あれに触れると、悪念にとらわれて魔が差すような行動をとってしまうんです」


「魔が差す?」


 俺は訊き返した。


「例えば駅のプラットホームから線路に飛び込んだら、どうなるんだろうって考えたことありませんか?」

「まあ、あるけど。でも妄想するだけでやらないぞ」


「ほかにも高い場所から飛び降りたらとか。包丁で人を刺したらとか。

 つい妄想をしてしまう悪いことってありますよね?

 頭の中で考えはするけど、実際には行動しないようなこと。

 それをやってしまうんです。あれに触れると」


「え、めっちゃ危険じゃん」


 交差点の真ん中に影があり、そこを車が通過している。

 つまり運転手は魔が差す可能性があるってことだ。

 例えば、急にハンドルを切って対向車と正面衝突をしてしまったり……。


「あ、でも車は密閉されてるから平気か」


 車の窓が開いてさえいなければ、影に触れることはない。


「影には実体がありません。物を通り抜けます」

「え、じゃあ、防ぎようがないじゃん? どうすんの?」


 俺がそう言うと、詩季はため息を吐いて答える。


「……はあ、だから私たちがいるんですよ?」

「なるほど。そのためのヒーロー活動ってわけか」


 防ぎようのない影による事故を詩季がなんとかする。それがヒーロー活動。

 詩季は下ろしていた髪を一つに結ぶ。

 そして、俺の持っていたスポーツバッグから、猫のお面と、茶色のポンチョを取り出して装着した。

 猫のお面のおでこには黒いハートマークがある。それはシャントンのチャームポイントだ。


「これが噂のキャットテールか」


「な、なんですか。あんまりマジマジと見ないでください。

 兄さんはそんないやらしい顔をしませんよ! ちゃんと成りきってください」


 詩季は恥ずかしそうに身をよじった。


「悪い。本物を見れてちょっと感動しちゃって。

 それで俺は何をすれば良いんだ?」


「兄さんは何もせず、物陰で見ていてください」

「……了解」


 てっきり俺もヒーロー活動をするのかと思ったが、ただの荷物運び係らしい。

 まあ、やれと言われても無理だろうが……。


「……来ました」


 しばらく交差点を見つめていた詩季が突然に口を開いた。

 視線の先にはバスが道路を走っている。そして、その反対には大型トラック。

 ちょうど交差点付近で二台はすれ違う。

 もしぶつかることになれば、かなりの死傷者がでるだろう。


 詩季は物陰から飛び出して、二台の真ん中に立った。

 先に交差点に入ったのはトラックだ。

 トラックの運転手が影に触れると、意識を失ったように首がこくりと倒れた。

 その拍子にハンドルが大きく切られて、対向車線のバスに向かっていく。


 詩季は車線を外れるトラックに向かって走る。

 そしてトラックに手を当てると、トラックと詩季は空中にふわりと浮かび上がった。

 まるでトラックと詩季だけが宇宙空間にいるようにふわふわと飛んでいる。

 その間にバスが下を通り過ぎていく。

 無事に二台が衝突するのを防いだ。


 トラックの運転手が目覚めたようで、車内で慌てている。

 詩季はゆっくりとトラックを地上に戻して、俺の元へ帰ってきた。

 お面とポンチョを外して俺に渡す。

 俺はとんでもない光景を目の当たりにして興奮していた。

 詩季はマジもんのヒーローだ。こんなのを見せられたら巷で噂になっても不思議ではない。

 まあ、俺は噂に疎いので最近まで知らなかったけど……。


「めっちゃすごかったな。トラックを持ち上げるなんてマジで驚いた。詩季はすごいな!」


「兄さんはこれぐらいでは褒めませんよ。ですがとても良い気分です。

 もっと褒めてくれても良いんですよ?」


 詩季は期待するようにチラリと俺の様子を伺った。

 神崎はクールだから妹をあまり褒めないのだろう。

 甘やかしすぎるのは良くないが、褒めないのはもっと良くない。

 ここはひとつ神崎に代わって、俺が詩季を褒めてやろう。


「詩季はすごい。さすが俺の妹だ。こんな最高の妹を持つ俺は最高に幸せだ。神様ありがとう」


「ちょ、ちょっと大げさですよ。恥ずかしいのでそれぐらいに……」


 詩季は耳まで顔を赤くしていた。


「ほら、もう行きますよ」


 詩季は恥ずかしさを誤魔化すように俺を置いて歩き始めた。

 俺は小走りで追いついて詩季の横に並ぶ。

 こんなにカワイイ妹を持つ神崎はマジで幸せ者だ。

 このまま一生、神崎の姿で詩季を褒めて恥ずかしがる姿を永遠に眺めていたいと思った。


 駅から電車に乗り、学校の最寄り駅で降りる。

 学校に到着するが、まだ時間が早いため生徒の姿はほとんどない。

 詩季と並んで昇降口に向かっているところで、詩季がスマホを取り出してメッセージを見た。


「勇者様から。話があるって」


 スマホ画面を俺に見せながら詩季は言った。


「勇者様……。武藤のことか」

「裏庭で待ってるそうです」


 そう言って詩季は歩き出す。俺もその後に続いた。


「あ、そうだ。俺の中身が入れ替わってることは内緒にしてほしい」

「どうして?」


 詩季が聞き返す。


「実は俺、神崎の前にも二回、入れ替わりを体験してる。つまり、これが三回目。

 んで、その時に俺の中身がバレたり、俺が変な行動をしたことがある。

 そしたら必ず時間が巻き戻った。俺は短期ループって言ってる。

 時間を進めるためには、必ずオリジナルの行動と同じにしないとダメなんだ」


「すでに私にバレてますけど? 大丈夫なんですか?」


「バレたとしても、行動が変わらなければ平気っぽい。

 詩季は俺を神崎仁として扱ってくれてるから、短期ループは今のとこ発生してない」


「ふーん、そう。分かりました。なら秘密にしておいてあげます」

「助かるよ」


 そんなやり取りをしながら、俺たちは裏庭にやってきた。

 少しして武藤が姿を現した。


「勇者様、今日はお早いんですね?」

「最後の仕込みをしてきたところだ」

「桜木優太と渚琴菜、ですか?」

「ああ、二人の能力を覚醒させた。そして俺に協力をするよう約束を取り付けた」


 詩季と武藤の会話を俺は黙って聞いた。

 優太の『怪力ストレングス』、琴菜の『幽体離脱アストラルプロジェクション』そして、ずっと前には詩季の『無重力ゼログラビティ』を武藤は覚醒させている。


「ヒーロー活動を頑張ってるみたいだな」


 武藤は俺のスポーツバッグを見てつぶやいた。その中にはキャットテールの衣装が入っている。


「本来なら〝影〟の対応は俺がやるべきことだが……」


 武藤は申し訳なさそうに少しだけ目を伏せた。


「そういえば、あの〝影〟の正体って何なんですか?

 触れると魔が差すような行動を取るのは分かるんですが、どうしてあんな危険なものが……」


 俺は神崎の口調をまねて疑問を口にした。


「ん?」


 俺が疑問を口にすると、武藤の眉がピクリと動いた。


「あの〝影〟は魔王の手下が勇者を見つけるために作り出した罠です。前に聞きましたよ、兄さん。

 だから、私たちが代わりに対処する。

 勇者様が動くと敵に発見されてしまいますから」


 詩季が慌てた様子でフォローしてくれた。

 

「あ、そうでしたね。ド忘れしてました。あはは」


 俺が笑ってごまかすと、武藤は心配そうに見つめてきた。


「もしかして能力の使い過ぎで、記憶が混乱しているんじゃないか?」


 神崎の能力は未来予知。現在と未来を混同しているのでは? と武藤は危惧している。


「大丈夫です。そんな大層なものでは、ありませんから。早起きしたので寝ぼけているだけです」

「無理はするなよ。もし調子が悪いようなら潜入捜査を中止にしていいんだぞ?」


 ……潜入捜査? たしか今日の昼休みに神崎もあの部屋に現れていた。

 たぶん、そのことを言っている。


「自分の目で、しっかりと見極めたいので」


 それっぽいことを言って誤魔化す。


「そうか。気をつけろよ。といっても、お前なら心配ないな」


 武藤は神崎に対して信頼を寄せているようだ。。

 未来が分かる神崎に対して不意打ちは絶対不可能。敵に後れをとることはない。

 そんなところだろう。


「呼び出したのは、潜入捜査を本当に実行するかどうかの最終確認だ。

 俺の用は済んだ。他に話がないなら解散する」


 そう言って話し合いの場は解散された。

 校舎に戻る間に俺は詩季と少し話をした。


「武藤が何をするのか、すべて知ってるんだよな? これから死ぬことも覚悟はできているのか?」


 武藤の目的は3人の能力者の魂を異世界につれていくこと。

 しかし、そのままでは魂をつれていくことはできない。

 現実世界との繋がりを弱めて、魂の重量を軽くしなければならないらしい。

 そのためには能力者にとっての大切な人物の死を見せることが必要になる。

 武藤に協力をするということは、神崎詩季は死ぬということだ。


「何をいまさら、彼から能力をもらった時に覚悟はしたでしょ? 兄さん」


「いや、俺は神崎仁の記憶を継承してないから、そん時のこと知らない。

 良かったら教えてくれないか? 武藤、いや勇者との出会いを」


 俺が頼むと、詩季は一瞬だけ考えた後に口を開く。


「勇者様がこの世界に来たのが約一か月前。

 それと同じくして兄さんが未来予知の能力を目覚めさせました。

 勇者様いわく、この世界と異世界がつながったことによる影響らしいです。

 兄さんは最初、能力のことを私にも隠していました。

 しかし、頻繁に怪我をしたり服が汚れて帰ってくるので、私が問い詰めて聞き出しました。

 未来予知といっても未来すべてが見える万能なものではなく、人や大型の生物に限られます。

 対象を見ると、対象の未来の出来事が頭の中にイメージとして高速に流れる。

 だから、会ってもいない人が未来で事故にあうとしても、それを知ることはできません。

 助けられる者は前もって見た者だけ。

 兄さんは街に出向いて事故に会う人を探しては助けていたんです。

 ……兄さんの力を知った後は、私もそれのお手伝いをしていました」


「なるほど」


 ……未来予知という言葉から、神様みたいに未来の出来事を知ってるのかと思ったけれど、違ったらしい。

 それでもかなり強力な能力なのは間違いない。


「人助けといっても最初のうちは、ちょっとした事故を防ぐ程度です。

 そして、すぐに〝影〟と出会うことになりました。

 初めて見たときは〝影〟がなんなのか良く分かりませんでした。

 だけど〝影〟がある場所で大きな事件や事故が発生するのを何度か見て、次第に〝影〟が悪さをしているんだと分かりました。

 大きな事件や事故は起きると分かっていても、普通の高校生ではどうしようもありません。

 下手に手出しをすれば、ただ巻き添えになるだけですし。

 だから〝影〟が関わる事故は手出しをしないことにしたんです」


「…………」


「悔しい思いで〝影〟を見ていた私たちに、武藤さんが声を掛けてきました。

 異世界からやってきた勇者だということ。〝影〟の正体は魔王が勇者をおびき出す罠だということを聞かされました。

 半信半疑でしたが、彼と取引をすることにしました。

 そして彼の作戦に協力する代わりに、私は無重力を作り出す力を得ました。

 この力を使えば大きな事件や事故も防ぐことができます。

 しかし、能力を使って人助けができるのも日数が限られている。

 作戦に協力をするということは、私と兄さんは死ぬ。残りの2組も……。

 合わせて6人がこの世界から消えます。

 だから、それ以上に人助けをしようって決めたんです。

 たとえ異世界の話が嘘でも、それまでに6人以上の人を助けられれば元はとれますから」


「……そういうことか」


 自分たちの命を犠牲に、見ず知らずの他人の命を救う。

 もし俺だったら、その選択をするだろうか?

 ……よく分からないが、普通の人間は自分の命を優先するに違いない。

 しかし神崎と詩季のその考えに、俺は感動している。

 二人は超能力がなくても間違いなくヒーローだ。尊敬する。

 それが明日、失われてしまうのは、すごく残念だ。

 二人の消失は、この世界の大きな損失になる。


「……感想はありますか? 私たちのこと、バカだって思ってくれても構いませんから」


「まあ、バカだって思う奴もいるだろうな。

 他人を助けて自分が死ぬなんて馬鹿げてるって。今時、珍しいぐらいのお人よしだ。

 でも、俺は尊敬する。すげぇって思う。マジで」


「……ふーん、そう。……ありがと、褒めてくれて」


 詩季は照れくさそうにすると、そっぽを向いて歩き始める。

 そのまま並んで歩き昇降口に到着。そこで詩季と別れた。


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