幕間:リンダの酒場


 ――バレット王国。


 この地域の人間たちの国の名前だ。


 その王都バレッタは街全体が城壁で囲われ、中心には王城がそびえている。


 城では多くの兵士が働いており、王に忠節を尽くす彼らは日々研鑽を積み、真摯に務めを果たしていた。


 だが、そんな彼らにも息抜きというものは必要である。


 息抜きと言えば酒だ。


 酒を飲み、仲間と語らい合うのが一番である。


 とりわけ城下にある『リンダの酒場』は、城の兵士たちがもっとも愛する憩いの場であった。


 ガヤガヤ……


 店ではその日も多くの兵士が酒をあおっては笑っている。


(ふふふ。私の店、今日もなかなかの盛況じゃないか)


 と、女店主のリンダは心中でそうつぶやいた。


 彼女は自分の店でいかめしい男たちがガハハと酒を飲み、肩を組んで騒いでいるのを見るのが大好きだった。


 そんなリンダは兵士たちからの信頼も厚い。


 店で殴り合いのケンカが起こっても彼女の一喝で静まり、人生相談や恋愛相談まで受けることもままあった。


 カランカラン……


 さて、それはいつものような一夜のこと。


 ドアのベルが、客の来店を告げる。


 客は鉄仮面の女騎士だった。


「あ、あの。お客さま」


 しかし、店員のバットが即座に入店を制止する。


「なんだ?」


「当店はフルフェイス鉄兜を着用でのご入店はお断りしております」


「……む」


 客の騎士は鉄仮面の目穴から店員のバットを覗きながら、色めきだったように勇ましく胸を張り、乳房型の胸の装甲をキラリと光らせる。


「そうか……」


 が、おとなしく従うようだ。


 女騎士が兜を取ると美しい目鼻立ちが露出し、長い銀髪は扇のように舞った。


 ここからでもすばらしい香りが店内に立ち込めるのがわかる。


「これでよろしいか」


 バットが一礼すると、客は鉄兜を脇に抱えカウンターの方に向けて店の中央を歩んで来る。


 店の男兵たちはふいにざわめいた。


「おい。ゼーダ様だぞ」


「へえ、真面目なあの人が酒場にいらっしゃるなんてめずらしいな」


「グリーン・ドラゴンの討伐に成功されたのだろう。それにしても……あいかわらずイイ身体してやがるぜ」


「よせよ。ぶっ殺されるって」


 白パンツのようなアーマーは彼女の鍛え上げられた尻に沿ってその縫い目を貼り付かせ、露出した膝の裏や太ももはその肉体の健康で精強なるを主張しているかのように生々しい。


 ゴクリ……


 と、兵士たちは生唾を呑む。


 ――その尻をムギュっと撫でまわしてやりたい。酔った勢いで、あるいは冗談めかして……


 その場のみんなが夢想しているようだった。


 しかし、実際は誰にもそんなことはできない。


 なにしろ、この薔薇ととげ騎士団の団長ゼーダ・ルゼ・フィオナーレはこの場の誰よりも強いのだから。


「やあ、ゼーダ。ずいぶん久しぶりじゃないか」


 リンダが迎えると、ゼーダはカウンターの席へぷりっと尻を乗せる。


「……今日は飲みたい気分なんだ」


 そう言って長い銀髪をサっと払うと、


「いつもの」


 とだけ言う。


(なんだか様子がおかしいね)


 リンダはそう思いながらも、グラスにオレンジジュースを注ぐ。


「はいよ」


「うむ」


 ゼーダは鉄兜を隣の席へ置くと、グラスを手に取りあおった。


「あれ。アンタ、また鉄兜を新調したのかい?」


 と、リンダは気づく。


「先月、買い換えたばかりだろうに。やっぱり稼いでいる騎士様は違うのかねえ」


「む、仕方あるまい。あれは壊れてしまったのだ」


「ああ。そう言えば『ゼーダがグリーン・ドラゴンの討伐へ行く』って他の兵士がウワサしてたっけ」


 グリーン・ドラゴンを単独で討伐できるのは精強なバレット兵の中でもゼーダくらいだ。


 そんな彼女でもやはりドラゴン戦をこなせばただでは済まないのだろう……と思ったのだが。


「いいや、グリーン・ドラゴン戦はなんなくすんだのだ。しかし……」


 ふいにゼーダはほおを紅潮させる。


「めずらしいね!? あんたが頬を赤らめるなんて」


「ち、違う。これはその……少し酔ってしまったのだ」


「どこの世界にオレンジジュースで酔っぱらうヤツがいるんだい? アタシの目はごまかせないよ」


「う……」


 言葉を失った騎士は柄にもなくモジモジとして目をそらす。


「ねえ、親友のアタシにも言えないのかい?」


 まどろっこしく思い、殺し文句で詰め寄ると、


「実は……グリーン・ドラゴンの討伐へ行く道で、あるお方とすれちがってな」


 と語り始めた。


「一目見た瞬間、私はすぐわかった。このお方はただものではないと」


「ただものではないって、どーゆーふうに?」


「私は全力で槍を突いた。奥の手の必殺技も使った。それでも通じず、むしろ風の刃を跳ね返してきたのだ。今思い出しても胸がキュっと締めつけられるようで……息切れがしてくるッ……はぁはぁはぁ♡」


「!?……ほー」


 リンダは、股間をモジモジさせるゼーダを見てピーンときた。


「おまけに私がそのひょうしで顔を切ってしまうと、目にも止まらぬ速さで間合いをつめ、いつのまにか回復魔法をかけていたのだ」


「へえ。やさしい人じゃないか」


「うむ。そのときから、あのお方のことが頭から離れないのだ……」


「うんうん。そうだろうねえ」


 なんだか聞いているこっちが照れてしまうほど情熱的である。


「きっともう一度お会いして、今度こそ戦って決着をつけねば!」


「うんうん……って、え?」


「もう一度あのお方と斬り合うことを考えると胸がドキドキして……♡♡」


「ちょ、ちょいとまちなよ! そいつはおかしいよ!」


「……おかしい?」


 フリーズするゼーダ。


「ったく……薔薇ととげ騎士団長として恐れられているアンタも、女としちゃあまだまだ尻の青い小娘なんだねえ」


「なにい! そなたに私のなにがわかるの言うのだ!!」


「ふっ。アタシくらいの女になるとあんたみたいな小娘の心なんて簡単にわかっちまうんだよ」


 リンダは腰に手をあて、30がらみの生活感あふれる乳房をぷるんとゆらして言った。


「いいかい? よく聞きな! あんたはねえ。そのお方に恋してるのさ」


「……こ……い?」


 銀髪の女騎士ゼーダはきょとんと首をかしげて青い瞳をぱちくりさせた。


 相手のお方の『姿』でも思い出しているのだろう。


「しかし……いくらなんでも、あのお方に対してそれは……だって、スラ……」


「だってもへったくれもないよ! アンタがしなくちゃいけないのはもう一度会って戦うことじゃない。そのお方へ自分の想いを告げることさ。そうだろ?」


 リンダは姉貴分として、女騎士の実際は少女と呼んでよい年ごろの可愛らしい頬を、両手で包みこんでやりさとす。


「そ、そうか。これが恋……」


 ゼーダは自分の胸の上にしゃなりと両手を重ね、ひとりつぶやいていた。


(やれやれ、世話が焼けるね)


 リンダの酒場は今日も盛況である。


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