第一章 君に囚われた心

1.ドイツに行く準備

 俺は小さい頃からヒーローが好きだ。

 アメコミや少年漫画などに出てくる敵に向かって挑むヒーローが好きだ。

 胸が踊らされるバトルとか見ていていつも緊張しながらも次のページを捲るのが好きだ。あっという間に本を読破した後にはベットに沈んで面白いな、楽しかったなって頭の中で物語を繰り返すのもたまらなく好きだった。

 そんないつまでもありきたりな夢に浸って生活する日々だと思っていた。

 しかし――御崎翔太みざきしょうたは、風呂上りに牛乳瓶を片手に持ってリビングへとやって来る。中肉中背気味の体躯をした童顔の彼は、父がリビングの部屋でくつろいでいるのが視界に入る。


「父さん、何見てるの?」

「ん? 録画した奴」

「ああ、いつものあれ」


 映像は、当時の太平洋に大穴があった映像が流れる。

 落ち着いた声の女性ナレーターの声を耳にする。


『西暦1950年、太平洋の中心に大きな大穴がありました。それを人々は死の空間、デット・スペースと称されるようになりました』

「……またやってたんだ、この番組」

「おう」


 茶色な短髪をタオルで拭きながら翔太の視線はテレビに注がれる。

 テレビの録画された映像にタイトルは翔太は知っている。題して『大海原に産まれ消えた奈落』という番組名は、聞き覚えのない人間なんてほとんどいないだろう。

 1950年のとある日、大海原でできた穴のことをたくさんの人たちがデット・スペースと呼んで恐れていた。デット・スペースなんて元々は建築用語だとされていたのに、あの奈落が消え去るまではそっちの意味で多用されていたそうだ。


『デット・スペースが出現した頃、世界には世界大震災せかいだいしんさいが起き、数多の世界遺産や自然遺産がなくなったのも忘れてはならない出来事です。そして、忘れてはならないもう一つが湧界者ゆうかいしゃたちの存在が現れだしたのもこの時期とされています』


 翔太は牛乳瓶を一口、二口と飲む。

 湧界者……ほとんどは大概見た目が人外で、宇宙人説が根強い存在だよな。音だけなら誘拐者だけど、それ以外に適切な表現って当時なかったのだろうか。


『当時は人々と湧界者たちの間にわだかまりがありましたが、アメリカが最初の友好国として湧界者たちの代表であるブモプベリ・ロベロンロ・ガーティケッター氏との握手は歴史の教科書にも載っていますね』


 場面が切り替わり、映像は当時に名の知れたアメリカの大統領と顔にたくさんの赤い目玉がある人型に近い宇宙人が固い握手を交わす様は、父さんが言うにはファンタジー系の作家の内容が実は実話だった並みに驚いたって言ってたっけ。


「おい、翔太。そろそろ寝ないと身体に響くだろ」

「俺、もう20歳だよ? 大丈夫だって……ニートなんだし」

「それもそっか」


 父さんはいつも通りに笑う……この日常って、いつまで続けられるんだろう。

 父さんがいつか死ぬまで、なのかな。きっと俺が生活保護を受けたとしても、基本は孤独死するのは確定だろうけど。

 あ、っと父さんは言うと思い出したように口にした。


「翔太ー! ドイツ出張決まったからお前も行くからなー」


 ――父さんのたったその一言で、変わるとは思いもしなかった。


「ッブゥッッフゥ!!」


 翔太は夕食を済ませた後、お風呂上りに牛乳を飲みながらバラエティー番組を見ていた時に父の昇太こうたが急にそう言い出した。

 翔太は驚きのあまり、口に含んでいた牛乳を吹き出した。


「げほ、げほ! ……ド、ドイツ!? なんで海外!? というか、いつ決まったのそれ!?」


 父さんは呆れた視線を投げてくる。

 爆弾発言したのそっちでしょ!? と胸の中でツッコミを仕舞い、吹き出して口から零れた牛乳を手で拭う。

 瓶を持ったまま、父さんを睨んだ。


「まさか今日とかだったりしないよね!? 聞いてないよ!!」


 翔太は声を荒げる。

 父は医者で俺が尊敬すべき存在だ。唐突に言ってくる無茶難題をなんとなく聞いてきたが今回はいつもの言う無茶と違う。

 好きなアメコミのあるアメリカに行けるならもっと喜んだが、海外出勤だからって俺を連れて行く理由になるのか? と、疑念が拭えない。


「何々、嘆くんじゃない! 父さんと母さんの新婚旅行もドイツだったんだぞー」

「いいよ。そこについては!! なんで俺も!?」

「お前を一人家に残せるわけないだろー? 再度言うが異論は聞かん」

「……何言って、」

「新しい環境で何かを始めるのも悪くないだろ? お前、走ることは好きだったじゃないか。何事も経験が物を言うんだぞー? アメリカじゃないからって拗ねるなよ。流石の父さんも出張先は選べんわ」


父さんはテレビをじっと眺めながら俺に視線を合わせずに言った。

……走ること自体は元々好きだったけど、それと関連するのはズルい。


「別に毒吐いた覚えはないよ! ……アメリカなら、勇気を出して行こうかなって思ったけど、俺ドイツのこと詳しく知らないし、そんな横暴な……」

「とにかく、身支度の準備をしておくこと! 一週間後に行くからな」

「え!? 一週間後!?」


 翔太はカレンダーを確認すれば、日付に赤ペンで丸と書かれたのを確認する。

 俺が拒否したくてもできないように事前に組んでいたというのか……!?

 俺は驚きを隠せず、ぽかんとしていると父さんはククッと喉を鳴らす。


「親なりの愛情表現だ、しっかりと受け取れー?」 


 悪い顔で笑い飛ばす父さんは、悪役に似た凶悪の笑みを浮かべた。

 医者がする顔!? と、言いたくなる。

 ……父さんが、俺に愛情とか言わないでほしいんだけどな。


「なんか、寒いよ父さん」

「なんだと!? 親の愛を馬鹿にする息子に、ならなおさらニート生活謳歌させてやらん!! 来ないなら生活費もなしだ!!」

「えー!?」

「お前がやるゲームの難易度がハードモードなら人生もハードモードだ、簡単な道どりなんざ他人が用意してくれたレールの上を渡っているに過ぎないんだよ」


 父は翔太の痛いところを突きながら軽いノリでそう言った。

 あ、余計な言葉を言ってさらに状況悪化させてしまった。


「っぐ、そうですよ人生ハードモードでプレイ中の息子さまです! 余計なお世話だからマジ人の心抉るなよ、このイジワル親父! 仕送りだって別によくない!?」

 

 結構重要そうなことはずなのに簡単に言ってくる言葉に翔太は頭を悩まされる。

 俺がドイツに行くって、今までと違う環境になるわけで。

 でもはっきり言って海外出張ってだけなのに俺連れていくことなくない? と思うのは学生時代では真面目に働くサラリーマンを目標にしていた俺から甘言を吐いてる弱者ニートだと笑われるだろうか。


「カップ麺ばっかで一生を終わらせようとしてる息子にそんな不健康な生活をいつまでもさせると思うか? いつまでもゲームに課金して好き勝手遊べる日常を過ごせると思うなよ」

「ぐ、なぜバレた!?」

「それはお前の親だからだわアホ」


 翔太は、父の言葉に虚しく床に手をついてうなだれる。

 ……そうだった、常に自分の都合押し切るスタイルの親でした。そうやって勉強のことでいっつも店の中でテストの赤点とか普通にバラす親だったよね、本当もう嫌だこんな親。


「まあ、準備しておけよ、漫画とかゲームとかはダメだからな」

「え? 嘘でしょ!?」

「そしてぇ? 飛行機のチケットとパスポートはもう既に入手済みだ、残念だったな!!」


 堂々と俺の目の前にパスポートとチケットを置いた父。

 今のセリフがあまりにも二次元で好きなキャラクターの死んだシーンのように悲しい現実を突きつけられた場面を眺めているかのようだ。


「ちなみに俺たちが住む場所はアーテムシュタットだ! 昔ほどじゃないかもしれないが結構日本人が住んでて、まあいるんだよこれが」

「アーテムシュタットって、父さんが産まれる前のドイツではどこに当たるの?」

「大地震前でいうならノルトライン=ヴェストファーレン州にあるデュッセルドルフのカールシュタット付近だなぁ。ちなみにドイツのデュッセルドルフは日本でいうところの愛知県みたいなところだな」

「ノルンライ? ヴァ、ファー?」

「……お前に小さい頃からドイツ語を覚えさせるべきだったわ」


 頭を抱える父さんに俺はイラっとしながら、俺は二階へと上がって行くために階段前へと歩いて行く。


「うるさいなー! 行くからには準備はするよ、部屋に戻る!」

「おー」


 リビングを出て、俺いつもの部屋へ向かう階段を上がる。

 真っ直ぐ自室のベットにダイブする。

 心の中で父に思いつく限りの罵倒の言葉を吐きながら布団に心の毒を染み込ませるために小さく言葉を呟く。


「……唐突なんだよな、父さんは」


 俺のことを思ってる、なんて言ったことなかったくせに。

 翔太は残り一週間後で見えなくなる天井をじっと眺めた。


「……ドイツかぁ……ドイツって、一体どんな感じのとこなんだろ」

 

 ぼやく自分の声が、虚しく部屋に響いたような気がした。しばらく読めなくなるアメコミや少年漫画とはしばしの間だけ別れを告げなくてはならない。

 その物悲しさは、きっと好きな作品がある奴にとっては重要事項で。

 新しい環境なんて、なんでわざわざ変えなきゃいけないんだろうとかそんな心の愚痴が、たくさん胸の中を占める。


「あー……でも残念でならないなぁ、なんで漫画とゲーム持ってっちゃダメなんだよぉーもう! 俺の心の癒しだってのにぃ!!」


 残念でならない話だが、父の命令ならしかたがない。

 バタバタと足を振りながら壁にあるコルクボードに画鋲で刺さった写真たちを見つめる。数枚の写真の中で陸上のインターハイで優勝した時の写真に目を止めた。

 笑顔でピースしながら金メダルを首にかけていて、なんだか学生のあの頃が懐かしいと思ってしまう。

 そこでいつも父がカッコつけて言っていたある言葉を思い出す。


『前に進むというのはそれ相応の覚悟がいる。君が未来で抱くであろう栄光は素晴らしい、自分が歩み進めて得た力なのだから。だがそれに囚われて動けなくなってしまってはそれはただの足枷に過ぎない』


 ……って、父さんの好きな小説のセリフだったっけ。

 父さんが好きだった小説の言葉を覚えている俺も俺だな。

 父がお気に入りのそのセリフを教訓とし朝と夜のジョギングは欠かさずやっている。もう卒業してしまったのだからもうやらなくても、と高校を卒業してから最初に沸いたその感情はじわりじわりと心の葉を青虫みたいなものに蝕われていくような感覚を常に抱いていた。

 ……でも、変えるとするなら。

 今の自分を変えられるきっかけが、ドイツに行くことなのなら。

 もし、ドイツで違う環境で新しく友達や、恋人だって作れたなら。

 大嫌いな今の俺を、変えられるきっかけかもしれないというのなら。


「……だから、父さんは一緒に行くぞって言ってくれたのかな」


 翔太はすっと体を起き上がらせる。

 ……この機会を逃したら、後悔するのはたぶん自分だ。

 もう決定事項なのだ、なら最低限の準備は済ませておかないと。

 前向き、前向きに、前向きにいないと。

 そうならなかったから、俺はみんなにきっといじめられたんだから……よし。


「もう、いいところじゃないなら本当に怨むからなー!?」


 消灯スイッチを押す前に机に置かれたお気に入りのの日記を開く。シャーペンで今日の出来事を書き込んで、スイッチを押してからベットに再度潜り込んだ。


「ドイツ、楽しい場所だったらいいなぁ」


 ゆっくりと瞼を閉じて訪れるであろう朝に備えて最後、本にしおりを挟むように言葉を残してから眠る。そう、一週間後のその日から俺の運命が劇的に変わるだなんてことを予想なんてしてなかった。

 想像もしていない俺の日常が始まるなんて、考えてもなかったんだ。

 今から振り返っても昨日のことのように思い出せる話が濃いエピソード満載の日常に浸ってしまったからだろうと悟って。

 初めて触れる刺激的で心の底から高揚感を覚える世界に連れてこられたような感覚。こんなにも魅せられる居場所を見つけたのはきっと、あの人のおかげだ。

 そしてこれは、俺なりの未来を一歩一歩進んでいく……そんな、物語だ。

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