猛暑と、アイスを
月輪雫
猛暑と、アイスを
夏。暑い。そう、驚くほどの暑さを今私は感じている。35℃を越える猛暑日の中、私は一人、取引先からの帰り道を急いでいた。滴る汗をハンカチでそっと押さえながら、なるべく日陰を進む。直射日光は肌の敵だ。が、カンカン照りの本日は地面からの照り返しも強く、日陰とはいえ涼を感じる場所ではない。そして一番の問題はこのパンツスーツである。営業職のスーツは戦闘服。しかし、このむせ返るような暑さの中で、それは自分の首を絞める枷と同じだ。へばりつくワイシャツもほつれた髪も、うだるような暑さと相まっていつもの倍は鬱陶しい。
そんなストレスに晒された思考回路はとある答えを導き出す。
(アイス、食べたい)
そう思うが速いか、私は会社への直行を断念した。先ほどまであんなに気にしていた直射日光も歩道の照り返しも意に介さず、会社近くのコンビニへと急ぐ。
幸いもうすぐお昼時間だ。一足早くコンビニに向かっても上司は怒るまい。それに私は暑さ+うまくいった商談=で求められる答えを今は「アイス」しか持ち合わせていなかった。
コンビニに到着したのは十一時五十分。十分のフライングも虚しく店内には昼ご飯を求める企業戦士たちと涼を求める人々で溢れかえっていた。空いていれば休もうと思ったイートインスペースもすでに満席だ。
人の間を縫うようにして店内を進む。店の奥側のアイスコーナーで、狙うのはクーリッシュのベルギーチョコ味だ。SNSで知り合いがおすすめしていたのにまんまとやられ、今や私の中でアイスと言えばベルギーチョコ、みたいな変な方程式が生まれている。
(あった!)
冷凍ケースの中に残るアイスの数は全体的に少ない。そして私が狙うベルギーチョコは最後の1個。それに手を伸ばそうとした時だ。
ヒョイ、と自分の前からアイスのパウチがフェードアウトする。あれ、なんて間抜けな声を上げつつフェードアウトした方向に視線を持っていくと
「なーにしてんの」
なんとも愉快そうな笑みを浮かべたスーツ姿の見覚えのある顔。
「た、田崎主任……」
「会社外まで主任なんて付けないでよ。同期なんだし」
同期入社の中で一番最初に主任に昇進した男がこの田崎と言う男である。
「そうは言っても田崎さん年上ですし、主任ですし」
「年上ったって2つじゃないか」
人当たりもよく清潔感も◎。スタイルも悪くないので、取引先のお姉さま方を骨抜きにしているとかいないとか。噂はさておき、その営業力は本人の見た目を抜きにしても高い。営業成績で言えば、田崎が1位で私は2位。目の上のたんこぶが、こうして今度は私のアイスまでかっさらって手をひらひらさせている。別に悪人という訳ではないのだが、なんだかこう癇に障るのだ。
「……主任こそ何してるんですか。まだお昼前ですよ」
「いやぁ?取引先との商談も良い感じにまとまったし、十分ぐらいのフライングは部長だって怒んないでしょ」
クソ、考えることまでちょっと近いのがムカつくところでもある。
「これ、食べたかったヤツじゃない?大丈夫?」
「大丈夫です、別に他のでもいいですし……」
「あんなに目キラキラさせて手伸ばしてたのに?」
うっ、痛いところをついてくる人である。そう、確かに食べたいアイスだったし、何なら既にベルギーチョコの口にこちとらなっている。
「ま、あげないんだけど」
そして、もしかしたら譲ってくれるかも、なんて淡い期待を抱いた自分をひっぱたきたい。落としそうになった肩を、何とか持ちこたえさせて努めて冷静を装う。ついでにほつれていた前髪もピンで留め直す。
「別にそのアイスじゃなきゃダメなわけじゃないですし。それじゃお疲れさまです」
そう言ってアイスコーナーを後にする。ドリンクコーナーに差し掛かったあたりでこっそりアイスコーナーを振り返るが、田崎と共にベルギーチョコは無くなっていた。
(あの野郎~……!)
今度こそ目にモノ見せてやる。営業成績だって抜いてやるし、奴に「すげぇじゃん」の一言でも言わせてやらぁ、と言う謎の対抗心がメラメラと燃えだしていた。
結局買ったのは、スポーツドリンクとお昼用のお茶、おにぎりとサラダに唐揚げだ。外に出ると再びむせ返るような暑さに巻かれて、せっかく引いた汗が噴き出てくる。
「お、やっと出てきた」
と言う声が聞こえたのは店の前にある喫煙所だ。
「おせーぞ。一本吸い終わっちまった」
声がする方を向けば田崎が吸い終わった煙草を灰皿に放り込むところだった。
「何してんですか、このクソ暑い中」
「何って……ほれよ」
そう言って何かが私に向かって投げられる。ギョッとしつつも飛んできたものをキャッチするとひんやりとした心地よい冷たさが伝わってきた。
「冷たっ、ってベルギーチョコ!?」
ふわりと孤を描いて飛んできたのは、先ほど店内で田崎がかっさらって行ったクーリッシュのベルギーチョコだ。
「今日の取引、上手くいったんだろ?お疲れさん」
そう言って田崎は二本目の煙草に火をつける。すぅ、と上がった紫煙が猛暑の中にほどけて消えていった。
「な、なんでそのこと」
「部長から連絡来てたんだよ『村田の商談が上手くいって、向こうの常務さんが大層ご機嫌だった』ってさ」
「流石部長お耳が早い……と言うか、なんで部長は本人の私じゃなくて田崎主任に連絡いれてるんですか?」
「……んな事、俺は分かんねぇよ。と言うか、ほれ、早く食わないと液体になっちまうぞ」
「あ、えっと、ありがとうございました。それでは遠慮なくいただきます。お先します」
そう言って私はクーリッシュの食べ口を開けて、噛り付きながら会社へと歩き出した。謎に燃えていた対抗心も口に含んだアイスのおかげか少し落ち着いている。
(……なんか悔しいけど、美味しいから今日は許す)
そんなことを私は思っていた。
ところ戻ってコンビニ前。喫煙所である。
(あいつ自分の癖、気が付いてないんだな)
村田結子。営業課所属。新卒で入社し、メキメキと売り上げを伸ばしている稀代のホープ。その癖は『嘘を付いているときに髪に触れる』と言うもの。まぁ、ほとんど社内にいるときに嘘を付くようなシーンは見たことがないが、アイツは大丈夫ですって言いながら髪を留め直し、遅くまで結局残業してたりする。もしかしたらと思っていたが、どうやら正解らしい。
(てか、よほど食いたかったんだろうな)
あの冷静で仕事のできる村田が、目を輝かせながらアイスに手を伸ばしているものだから、そう、このからかいは出来心と言うものだ。
(俺も今度買ってみるか、あのアイス)
そう言いながら夏空に煙を吐き出す。遠くの入道雲は間もなく夕立を連れてくるだろう。午後の外回りで雨に降られなければいいな、と誰の事を想っているのかわからないが、そんな心配をしているのであった。
猛暑と、アイスを 月輪雫 @tukinowaguma
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