似ている
葛城さん? 頭の中に黒縁メガネをかけた所長の顔が浮かぶ。
こんなところまでどうしたのだろうか。カルチャーセンターで何かあったのだろうか。あるいは典子さんに何か? 嫌な予感を感じつつ慌てて受話器を受け取る。
「もしもし?」
「小夜子! お前なあ!」
すぐに小爆発のような怒号が聞こえてきた。瞬間的に事情を察する。そうか、葛城は葛城でも、葛城
「ちょ、ちょっと、もっと静かに言って」
思わず受話器を耳から離しながら言うと、永遠の舌打ちが聞こえた。
「静かにって……クソ、お前、馬鹿かよ。家にもいえねえし、携帯は通じねえし……俺は連絡待ってたんだぞ? どうしてかけてこねえんだよ」
確かに、永遠の怒りはもっともだった。所長の車を無断で借りて施設に向かったのが数日前。永遠は勇太に阻まれて一人で帰り、そして私は住居棟の二階で父と瀬能が指導されるのを目の当たりにした。
あれから私は永遠を避けていた。カルチャーセンターのバイトを休んだのも、永遠と顔を合わせたくなかったからだ。
「聞いて、永遠……いろいろ事情があってね」
あの日の出来事について、そして父や瀬能が受けた指導について、永遠が納得するように説明する自信はない。
それに、今は状況が輪をかけて複雑になっている。
瀬能の母や宝木たちとの問題、小駒の提案でオウルに来ていること。私たち自身にも理解が追いつかないような、予想外の出来事が立て続けに起こっているのだ。
「はあ? なんだよ事情ってよ」
「だから──」
話を続けようとして、思わず口をつぐむ。
昔からの知り合いだと言っても、永遠が外部の人間であることに変わりはない。宝木たちの目を逃れるため夜逃げ同然に姿をくらませた私と父は、ここに匿われていることを知られてはまずいのだ。
いや、今更遅いのかもしれない。既に私がここにいることはバレてしまっているのだから。
思わず黙った私を、しかし永遠が追及してくることはなかった。永遠は小さく咳払いし、妙に真剣な口調になる。
「いや、とにかく、そんなことより今は言わなきゃいけねえことがあるんだ。いいか、冷静に聞いてくれよ?」
「な、何よ……」
私は周囲の目を気にしながら、受話器を持ち直す。受話器の向こうで、永遠がつばを飲み込む音がする。
「俺、親父のとこで働いてるって言ったよな。雑誌記者の手伝いだ。で、最近は書庫っていう本とか新聞とか雑誌が並んでるとこで、資料を集めてる」
「ああ……うん。何かそんなこと言ってたよね」
話を続けず切ってしまった方がいいのだろうか。そんなことを考えながら話を合わせる。いや、しかし、永遠は何度だって掛け直してくるだろう。場合によっては、ここに乗り込んでくる可能性もある。
それに私自身、永遠が何を言うのか気になっていた。言わなきゃいけないこととは、一体なんなのか。
「それで……それがどうかしたの?」
「ああ、そこでいろいろな記事を読んでたらな、偶然見つけたんだよ。何年か前に発売されたゴシップ誌だ。親父が原稿を書いてる雑誌だから在庫がたくさんあって……まあそんなことはどうでもいいんだ。いいか、記事のタイトル読むぞ。恐怖! 半年で一億円を売り上げた訪問販売業者は、恐喝・詐欺・監禁当たり前の犯罪集団だった!?」
「……は? 何?」
思わず聞き返す。
「だから、要するにな、悪いビジネスをしてた会社の告発記事だ。その会社、羽毛布団とか中古パソコンとか、いろんなもんを訪問販売で売ってたらしい。だけど実態は詐欺、恐喝、暴行なんでもござれの犯罪集団だ。客に対してはそれなりの態度を取ってたらしいが、社内はひどいもんだ。営業成績の悪い社員を何日も監禁したり──」
「ちょ、ちょっと待って。あんた何言ってんの? まったく意味がわからいんだけど」
そう言ったが、永遠は興奮したように話を続ける。
「とにかく、ヤベえ会社があったってことだ。結局証拠不十分で不起訴になってるんだけどな、重要なのはそこじゃねえ。いいか、その記事の中にな、社員たちの集合写真が載ってんだ。モザイクっていうか、目線のとこは黒く隠された写真なんだけどな、そのまん中にいる社長がな……似てるんだよ」
「似てる? 似てるって、誰に」
「──小駒だよ」
永遠の言葉に、カッと頭に血がのぼるのを感じた。思わず奥歯を噛む。永遠はそんなことには気づかず続ける。
「間違いねえ。そうだろ? あの夜、俺は小駒に会ってる。顔を知ってるんだよ。絶対にそうだ。いいか小夜子、あの小駒って野郎は犯罪者だ。そういうおっかねえ男なんだよ!」
私は目を閉じ、さらに奥歯を強く噛み締め、耐えた。そうしなければ、オウルの職員が大勢いるここで大声をあげてしまいそうだったからだ。
「おい、聞いてんのか!? お前、あの野郎に騙されてるんだよ!」
再会してからの永遠は、毎回こうだった。自分の考えに支配され、思い込みだけで相手を否定する。何も知らない小駒のことを怪しいと言い放った時もそうだ。小駒が私たちを救おうとどれだけの事をしてくれていると思っているのか。
私はゆっくりと目を開けた。
「──いい加減にしてよ」
自分でも驚くほど冷たい声が出た。怒りが全身に行き渡っていき、冷たく定着する。
「騙されてる? そっちこそ現実を見なさいよ。何が似てる、よ。目元が隠された写真見て勝手なこと言ってんじゃないわよ。何も知らないくせに」
「いや、本当なんだよ、テキトー言ってんじゃねえ。マジでそうなんだって。目をさませよ、小夜子」
大きく息を吸い、ゆっくりと吐く。
そうだ、考えてみれば永遠は何も知らないのだ。瀬能と父の件を多少話しただけだ。私がここで小駒とどんな気持ちで働いているのか、どんなビジョンを抱いているのか、そして今、私たちがどんな風にサポートしてもらっているのか。
知らないのだから、仕方がないのだ。
電話の向こうでまだ喚いている永遠に、私は努めて冷静に、諭すような気持ちで言った。
「永遠、私は大丈夫。何も問題ないから、もう放っておいて」
そして私は、永遠の返事を待たず受話器を置いた。
掛け直してくるだろうか、と一応その場で待った。
最後の言葉が本心だった。永遠が何を考えているのかはわからないが、今はとにかく放っておいてもらいたかった。余計なことをして、小駒を邪魔するようなことがあってはならない。
こちらの想いが伝わったのか、しばらく待っても着信音が鳴ることはなかった。
ほっとして振り返った瞬間、私はひっと小さく悲鳴を上げた。
真後ろに、本島が立っていた。
爬虫類のような顔をした不気味な職員。表情のないその顔が、私をじっと見つめていた。
「あ……あの……すみません。ちょっと電話を借りてて──」
いつからそこにいたのだろう。永遠との会話を聞いていたのだろうか? だが本島は私の言葉には何も反応しようとしない。
「……じ、じゃあ、失礼します」
とにかくこの場を離れようと、会釈をして本島の脇を抜けた。扉はすぐそこだ。外に出てPCルームに戻るのだ。
だが私の手が施設奥へと続く扉の取っ手に触れそうになった時、後ろから「先生」と声をかけられた。喉が締め付けられ、反射的に足が止まる。
「……はい、何でしょう」
ゆっくり振り返る。本島は、滑るような独特の歩き方で私に近づいてきた。のっぺりした顔。無表情。本島はそのままの顔で、言った。
「夕方五時になったら、ロッジに行ってください。小駒さんが、夕食を食べながら打ち合わせを、と」
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