青雲春人の青春(短編版)

燕鳥高度

本編

 小学校での魔法実習の時間。自分に魔法の才能があると先生は言った。同級生の誰より早く生活魔法が使えるようになったし、扱いもクラスで一番上手かった。保有魔力量も多く、出力機能も高いらしい。高校から魔法高校に通うことが決まった。

 両親は一般家庭の生まれで、魔法の才は無い。稀にある突然変異的なものらしかった。両親は喜んでくれたし、一つ上の姉もそれで僕を妬んだり、いじわるしたりすることがなかったのは、今にして思えば幸運だった。応援してくれた家族には感謝しているし、期待に応えたいとも思っている。

 中学は地元だった。都会の私立には魔法科のある中学もあるらしいが、地元にはなかったし、学費のことを考えると現実的ではなかったようだ。両親はその話をしてくれたし、僕も別段興味はなかった。


 代わりに、というわけではないが、県の魔法管理課の職員さんが、週一度魔法についての個別指導を行ってくれた。別段ボランティアというわけではなく、地域ごとに魔法高校に通う予定の中学生を集めて行う国の施策だ。僕のほかにも何人かいて、曜日ごとに別の子を見ているようだった。

 個別指導ではまず、小中で学ぶ基本知識の確認と、私的利用・暴発についての規則と罰則を叩き込まれた。罰則については散々脅されて、当時はもう辟易して嫌になっていたが、社会的には必要な指導ではある。魔法は危険な力だ。物理的事象を素手で最小限の準備で行える。犯罪への利用法はいくらでも思いつくし、人だって簡単に殺せる。中学の僕は嫌気がさしながらも、決して悪くは使うまい、と心に決めた。


 しばらくすると、個別指導のもう一つの目的へと移行した。使える魔法種の特定だ。

 魔法は完全に個人に依存した才能である。人によって使える魔法は異なり、一人は一つの魔法しか使えない。火が起こせる人は水を出せないし、咥えた煙草に火をつけられる人が手のひらに火を出せるとも限らない。何ができるのかを特定しなければ、指導も特訓もできないので、高校入学前に大雑把にでも特定するのが職員さんの仕事だ。

 ちなみに、個人に依存しているといっても、遺伝的継承はある。親が魔法を使えれば子供が魔法を使える可能性は高まるし、親と子は似た系統の魔法を使用できることが多い。親が火を扱うなら火を、水を扱うなら水を、といった具合に。

 ここで大きな問題が職員さんと僕の前に立ちはだかった。僕の両親は魔法が使えない。そう、つまり僕の魔法は遺伝的特性から推測することができないのである!

 まあ、方法がないわけではない。稀といっても百年に一人とかではないし、僕の周りにはいなかったが、全国を見れば同年代にも何人かはいるらしい。全国で何人ぽっちかよ、とその時の僕は思ったが、人類種が魔法使用という進化を遂げて数百年。ノウハウは蓄積されているし、マニュアルもある。なんとかなるでしょう、と職員さんは言ったし、このしちめんどくさい作業のために僕の個別指導はマンツーマンだった。


 まず職員さんがやったのは、家系図を何代も何代もさかのぼって、血族に魔法使用者がいないかを探すことだった。突然変異と言ったが、先祖返りのパターンもある。うすーいうすーい血が僕の中で目覚めた可能性もあるし、役所はそのためにあるんだよ、と言っていた。探すと、ひいひいばあちゃんが弱い岩系魔法を使えた記録が残っていた。とおーい親戚の名前も知らない誰かは岩系魔法を使えるらしいので、まずそれを試すことになった。

 ひいひいばあちゃんはある程度の大きさがある石を飛ばすことができたらしい。動かせる石のサイズも小さければ、動かすスピード、距離も大したことはなく、魔法関係の職に就いたり、魔法の大家に嫁いだりすることもなかったようだ。


 ところで、そもそも魔法ってなんだ、という話なのだが、魔法とはイメージを具現化する力であるとされている。ステップを簡略化すると、魔力を込める、使う魔法・起こる事象をイメージする、魔力を放つ、魔法が発動する、といった具合だ。魔力ってなんだ、放つってどうするんだ、どこが才能の分岐点なんだ、といった疑問は今は置いておくが、重要なのはイメージだとされている。起こしたい事象をより鮮明に強くイメージすることが発動の要であり、ここが推定における最大の問題だった。

 本来個人の魔法――ほとんどの人が使える所謂生活魔法と区別して、固有魔法と呼ばれることが多い――は高校から本格的に指導が始まる。強いイメージと魔力の操作が幼い子どもには難しいからだ。それでも中学生の僕らが個別指導を受けるのは、何ができるか朧気にもわかっていた方が高校入学後の指導がスムーズだからだが、つまり中学生の僕は生活魔法を超えた魔法の訓練を受けていない。

 しかもイメージが根幹にあるということは、使使ということだ。卵が先か鶏が先か、証明できる奴はいない。僕がある魔法を発動できなかった時、それが魔法に適性がないからなのか、適性があってもイメージが不完全だからなのかがわからないのである。

 職員さんはいろんな岩系魔法の使用映像を見せてくれたし、時には岩系魔法が使える人をわざわざ招いてくれた。実際に人が使っている場面を目の前で見た方がイメージがわきやすい、ということらしく、僕も必死に見たものをイメージして試してみたが、結局発動することはできなかった。

 半年ほど岩系魔法の発動を試みてみたところで、職員さんは先祖返りではない、という結論を出した。申し訳なさそうにする僕を、むしろよく頑張ってくれた、と慰めてくれた職員さんは良い人だった。


 さて、本当に突然変異だと仮定したところで、固有魔法の特定は次の段階に移った。といってもここからはマニュアルなんてあってないようなものである。やることはシンプルで膨大な作業、そう、虱潰しだ。

 遺伝的継承や岩系魔法といった言葉からも想像がつく様に、固有魔法といっても種類・系統があり、使用者数には偏りがある。使用者の多いポピュラーな魔法種もあれば、世界に使用者が数名しかいないような、本当の意味での属人的な魔法もある。僕らはまずポピュラーな魔法から試していくことになった。

 とはいえ、岩系魔法の発動可否の推定にも半年かかった。イメージを固めるにも時間がかかるし、強いイメージを込めるには気力も使う。職員さんはここからは正直運だ、気楽にやろう、と言ってくれた。高校の入学条件に固有魔法の特定があるわけでもないし、両親に難航していることを話せば、入学してしばらく経っても固有魔法が使えなくて、春人が嫌になったら転校してもいいんだし、とも言ってくれた。ちょっと気持ちが楽になった僕は、高校入学までの残り二年弱、職員さんと魔法の特定に勤しんだ。

 火を起こそうとしたり水を出そうとしたり風を起こそうとしたり宙に浮かぼうとしたり力を強くしようとしたり。とにかく色々やった。いろんな人が魔法を見せに来てくれたし、何度か県外に行ったりもした。たぶん、うまくいかないことにフラストレーションを溜めないようにと、気分転換も兼ねてのものだったのだろう。旅費も役所から出してくれたし、ご当地のグルメを巡ったりと、こればっかりは役得だな、と良い思い出になった。


 中学最後の冬。結局僕の固有魔法がなんなのかはわかっていなかった。固有魔法は一度も発動できなかったが、指導の過程で魔力を込めて放出することだけは上達した。もはや生活魔法の発動速度において僕に並ぶものはいない。まあ、一秒がゼロコンマ一秒になっただけで、便利かと言えばそうでもないのだが。

 僕らはポピュラーな魔法をあらかた試しきって、わりかし諦めムードになっていた。職員さんともすっかり親しくなり、指導というより遊びのようになっていた。その日、僕は中学校の美術の先生が授業の時間に見せてくれた、魔法アートについての話を職員さんにしていた。

 映像の中では、芸術家の人が真っ白な壁にペンキをぶちまけたかと思えば、壁に激突するまでの間に、まるでペンキが意志を持つように蠢き形を変え、何色かのペンキをぶちまけた後には、筆も使わず竜の絵が完成していた。詳細は公開されていないが、おそらく水系の魔法でペンキの中の水分を動かしたか、鉱物系の魔法で塗料の成分を動かしたかだろう、と職員さんと一緒に考えた。

 先週毛髪を動かす魔法を試し終わって、次に試す魔法を決めていなかったので、話に出たことだし、ペンキを操る魔法を試してみようということになった。さっきは水か成分か、という話をしたが、とりあえずペンキが動くかどうかがわかれば、何に作用しているかはそれこそ高校での話である。ペンキを用意するのは来週以降、ということにして、職員さんは僕の筆箱から水性ペンを取り出した。

 ペンのインクもそりゃ塗料ではあるが、インクが直接見えるわけではないので、なかなかイメージが難しい。職員さんはペンの構造を図解してイメージの助けをしようとしてくれていたが、難しさを訴えると紙に引いた方の塗料を動かしてみるよう提案してくる。このあたりは得意不得意があって、紙に引いた塗料を個別に動かすイメージができるかどうかは人による。インクを操る魔法が使える人がいたとして、紙と一体になってしまうように感じて動かせない人もいれば、形がはっきりと見えて容易になる人もいる。魔法はイメージ、というだけあって、アプローチは様々なのだ。

 紙にペンを走らせ、丸三角の記号や文字数字などを書いて、動くようイメージする。『大』の字って躍ってる人みたいだよな、などと思いつつイメージを繰り返す。象形文字に思考を飛ばしてイメージがおろそかになったりむしろ固まったりしながら時間が過ぎていく。

 職員さんとも長い付き合いだ。お互いもう慣れたもので、僕がイメージを試行錯誤している間はぶっちゃけ職員さんはすることがない。話しかけてイメージの邪魔をするわけにはいかないし、僕は助けてほしい時は遠慮なく話しかけることを知っているので、職員さんは部屋にノートパソコンを持ち込んで仕事をしている。

 一息ついて見れば、職員さんは何かの書類を脇に置いてキーボードを叩いている。書類に伸ばした手が目測を誤ったのか、一番上の紙がはらりと舞う。空気をうまくとらえたのか、宙をするりと滑って、机から離れた位置に着地した。僕は、その様に紙飛行機をペンを動かした。


 今までこの部屋では一度も捕まえられなかったある感覚。学校や家では何度も使い慣れ親しんだ感覚。

 生活魔法を発動した時の感覚に限りなく近いものが、僕の脳天から右手に迸った。

 魔力が通る。全身から集め胸の中心で固めた魔力が、脳を経由して右手に奔る。否、右手が放出点ではない。右手から先、手に持ったペン先、インクの溜まるそこが紙面に触れて、何かが形作られるような感触がして――

 ――形を取れず、霧散した。


「うげえ」

 その時の僕はさぞ変な顔をしていたと思う。手掛かりをようやく掴んだ喜びよりも、魔法発動がぎりぎりのところで失敗した気持ち悪さの方が勝っていたのだ。なんせ僕には魔法の才能があり、使える魔法を失敗したことなんて、それこそ最初の最初、数年前の一度くらいしかないのである。

 とはいえ、待ち望んだ前進である。消化不良の気持ち悪さを飲み込んで、職員さんに声をかけた。

「あのー、牧村さん?」

 落とした紙を拾ってちょうど上げられた顔がこちらへ向く。僕に個人指導をしてくれている、県の魔法管理課の牧村さんは、いつも通りの穏やかな表情で首を傾げた。

「どうしたの、春人はるとくん。今日はもう終わっとく?」

 指導開始から気づけば一時間たっていた。この時期は日も短いし、確かにそろそろ帰る時間でもある。

「あー、それがその、魔法、わかったかm」

「本当に!?やったじゃん春人くん!!!」

 言い切る前に返された。常に穏やかな職員さんにしては珍しい興奮具合だ。

「それでどんな魔法っぽいのかな!まさかインクが当たりだなんて!でも水系統はうまくいかなかったし、鉱石系もメジャーなところは試したから、よっぽど適用範囲が特異なのかな。高校入学まであとちょっとしかないけど、成分の特定とかまでできるといいね!」

 指導最初期散々脅された時を彷彿とされる詰め寄り具合である。まあ、その時とは違って喜色満面で悪い気はしない。職員さんに引っ張られて、僕もようやく喜びがじわじわと湧いてきた。長い三年だった。僕と同い年の子たちはとっくに固有魔法を特定して個別指導を終えている。三年どころか二年かかった子もいなかった。気にしないようにしていたが、焦りや不安、疑念は常にあった。職員さんの時間を無駄に使わせているんじゃないか、という申し訳なさも感じていた。やっと、やっとだ。肩の荷が下りる思いだった。


 とはいえ。

「ちょっと待って、牧村さん、落ち着いて。僕もまだよくわかってないっていうか、正確には魔法は発動できてなくて、できそうでできなかったというか…」

 そう、魔法は発動しなかった。まだ何ができるかはわかっていないのである。

「ふむ?つまりイメージ不足による不発、みたいな感じなのかな」

 さすがは職員さん。僕の要領を得ない説明でも、状況を理解してくれたようだ。

「じゃあ、その時考えていたことを思い出して、一緒に考えていこうか。何にどう作用したのか、イメージで足りなかった部分はなんなのか。とりあえず一つ発動できれば、あとは高校で思う存分学べるし!

 春人くん、ちょっとその辺思い出しておいてくれる?私、ご両親にちょっと長くなるかも、って連絡してくるから。こればっかりは後日ってわけにいかないしね」

「はい」

 そう、掴みかけたイメージがぼやける前に、早く形にしなければ。携帯を持って部屋を出る職員さんを見送りながら、さっきのことを思い返す。

 文字を動かそうとしてうまくいかなくて、一息ついて職員さんの方を見たら紙を落としていて、その紙がけっこう遠くまで飛んで、それが紙飛行機みたいだなと思って。

 紙飛行機、そう、紙飛行機だ。あの時イメージの根幹にあったのは紙飛行機だ。…だからなんだ?

「別にあの時紙を折ってたわけじゃないしなあ」

 浮遊は一度試したことがある。使用者は多くないが、イメージのしやすさとできたら面白そうだな、という遊び心で選んだ。浮遊に限らず一度にいろんな魔法が見れるから、と職員さんがサーカスに連れて行ってくれたのを思い出す。結局風船も浮かなかったが。

「どう?思い出せそう?」

 職員さんが電話を終えて戻ってきた。僕は思い出したこと、紙飛行機が主のイメージであることを伝える。

「お、そこまで思い出せたか。紙飛行機、紙飛行機ねえ…まあそれがわかってれば、あとは紙飛行機を軸に色々試せばいつか再現できるでしょう。折って飛ばしてみたり、手を触れずに折ってみたり、もしかしたら紙飛行機じゃなくて飛行機なのかもしれないし、紙なのかもしれないし。今日はいくつか試してみて、できたら良し、できなかったらまた来週、ってことにしようか」

 さすが職員さんpart2。紙飛行機って単語からの派生が早いなあ。僕も思いついたことがあったら書き出しておこうと決める。さて、とりあえず紙飛行機を折ってみるか。


 その日はもう一時間ほど粘ったが、結局魔法は発動できなかった。暗くなってきたから、と職員さんが家まで送ってくれた。帰り道、紙飛行機でできそうなことを話して、別れ際、今日はできなかったけど、大きな一歩だよ、と励ましてくれた。僕以上に喜んでくれていたのがわかって、それが嬉しかった。

 家族も大いに喜んでくれた。ほんとにバンザイすることあるかね。父さんの振り上げた左手が照明にぶち当たってほこりが落ちてきた。姉さんは明日ケーキを買ってきてくれるらしい。自分が食べたいだけじゃないのか、と憎まれ口をたたいた僕を、生意気だと言いながらも、笑顔で頭をなでてくれた。

 その日は今までで一番満ち足りた気持ちで、ぐっすりと眠った。



 一か月が経過した。

「紙飛行機へのアプローチはあらかた試したよね…地面から浮かそうとしたり、投げて距離を伸ばそうとしたり、そもそも手を触れずに折ろうとしたり…紙自体を浮かそうともしたし、コピー用紙に和紙に再生紙…飛行機かと思って模型を使ったり…うーーーん」

 難航していた。結局固有魔法の発動には至っていない。一緒になって首をひねるが、この一か月で本当にいろんなアプローチを試したと思う。職員さんはいろんな事例を調べたり他の職員さんに聞いてくれたりしたし、僕も朝から晩までずっと、授業中に至るまで考えているが、うまくいかない。

「だめだ、こういう時は初心に帰ろう。ちょっと紙飛行機に囚われすぎているかもしれない。紙飛行機は一旦おいて、あの時の状況を再現しよう」

 確かに、僕が『紙飛行機』というイメージを前面に押し出しすぎたのかもしれない。イメージの根幹にあったのは確かだが、発想を狭める要因でもあったか。


 あの日のことを思い出す。そもそもは、僕が魔法アートの話をしたのがスタートだった。インクを操って絵を描く芸術家の話をして、それを真似してみよう、という話になった。ペンキやインクの用意はできないから、とりあえずペンを使おうとして、ただペンの中のインクはうまくイメージできなくて。紙に書いてみて、字は動かなかった。

「で、そのあと私が紙を落として、それを見て紙飛行機をイメージしたと」

 その時魔法が発動しそうな気がして、発動しなかった。

「その時春人くんは何をしてたの?私その時仕事してたから、春人くんの方見れてなくて」

 そうだ、あの時僕は紙を見ていただけじゃない。紙はたまたま目に入っただけで、僕はさっきの続きをしようとして、

「ペンで何かを書こうとしていた…?」

「それだー‼」

「ひえっ」

 職員さんが僕のつぶやきを捕らえて声を上げる。

「春人くんは何かを書こうとしていて、その時紙飛行機をイメージしていたんだ。ということは、書くという行動+紙飛行機のイメージが魔法発動の鍵なのかもしれない!」

 職員さんに言われて思い出すものがある。あの時魔力は、右手を経てペン先に伝ったような感覚があった。

「そんな感覚まであるの⁉すごいよ春人くん、魔力が自分の体を伝っていく感覚がある人ってなかなかいないんだよ。大体の人は体全体の魔力をぼやっと捕らえてるだけで、発動する魔法のイメージに意識のほとんどを持っていかれてるから。

 とと、それは今はいいか。じゃあ、今回はペンで書く動作をしながら、紙飛行機のイメージをして魔法を発動してみようか。頑張れ、春人くん!」

 なんか地味に褒められたが、確かに今はそっちじゃない。言われた通り、ペンを持って、紙に相対しながら、紙飛行機をイメージする。ええい、いざ。

「飛べーっ!」

 魔力が集まる。胸から右手、ペン先へ。あの時の感覚が再び現れる。高まる体温を自覚しながら、紙にペンを置いて、魔力は霧散した。

「うえ」

 前回よりいくらかましなうめき声を上げる。前回と違ってまぬけな顔を職員さんに見られているが。

「どう、春人くん」

 期待に満ちた眼差しから目をそらしながら、バツ悪く答えた。

「失敗しました…前回と同じく」

 職員さんの顔が見れない。また失敗してしまった。さぞ職員さんもがっかりしているだろうとうつむいた僕の肩を、職員さんが掴む。意を決して顔を上げれば。

「やったね春人くん!やっぱり書く動作が必要なのは正解だったんだ。よく思い出してくれたよ!」

 職員さんはあの時よりいくらか落ち着いた、でも晴れやかな笑みをしていた。

「へ?」

「前回と同じ状況まで再現できたってことは、ここにもう一つ二つ何か足せばいいんだよ!まさかここまで具体的な動作が必要とは想像してなかったけど。この三年、イメージはひたすら磨いたし、そうなるとイメージ不足というよりは、いっそ動作が足りていないのかもしれないね」

 また流れるような言葉の波である。職員さん、普段は落ち着いた雰囲気の人だけど、興奮すると言葉があふれてくる人だということを、この三年の付き合いで知った。それくらいこの人は僕の成長を喜んでくれている。僕もうつむいている場合じゃない。なんとしても、僕の魔法を形にする。

「春人くん、紙には何も書いていないよね。見てた感じ、ペンを紙に置いて、そこで手が止まってた。それで失敗したってことは…」

 紙飛行機のイメージ、手にはペン、机には紙。動作を加える、つまり何かを書く?何を書く、いや描くのか?紙飛行機のイメージ、ならいっそ。

「紙飛行機の絵でも描いてみます?」

 職員さんは目を見開いて、僕の提案を一瞬吟味すると、

「いや悩む必要ないな、この三年春人くんがやってきたことを続けるだけだ。試行錯誤、とりあえずやってみる!数撃ちゃ当たる、それでいこう」

 笑顔のゴーサイン。僕も笑顔を返して、ペンを握る。紙飛行機のイメージ、魔力の至点はペン先じゃない、紙だ。手から離れて空を滑る紙飛行機をイメージしながら、僕は紙飛行機を紙上に描き上げた。


 ――ほう、と張りつめていた息を吐きだす。魔力が三度みたび霧散することはなかった。僕の魔力が紙に宿っていることがわかる。僕は顔を上げて、今度こそ職員さんに笑顔を向けた。

「「やったーー!!」」

 僕と職員さんの声が重なる。高揚感と達成感が体を突き動かす。父さん、本当にバンザイするもんだね。振り上げた手を職員さんの手と打ち合わす。パチン、と心地よい音が響いた。


「で、これどうなってるんだろう?」

 ひとしきり騒いでいたら向かいの会議室から出てきた年配のおじさんにお叱りと祝福を頂き、冷静になった僕らは今一度それと向き合っていた。

「そうなんですよねえ」

 魔法は発動したが、その魔法がなんなのかがまだわかっていない。なんせ、目の前には紙飛行機の絵が描かれた紙が置いてあるだけだ。ぱっと見では特に変化は起きていない。

「魔法はイメージと直結しているはずだし、春人くんは今回も紙飛行機をイメージしたんだよね。じゃあ…投げてみる?」

 なるほど確かに、紙飛行機は飛ばすものだ。僕のイメージは正確には空を飛ぶ紙飛行機だったし。

「じゃあいきますよ。…持ちにくいなこれ。

 せーの!」

 紙飛行機と違ってただの一枚紙なので持ち手がない。手のひらに乗せて、投げるというよりは押し出すように宙へ放つ。普通なら空気抵抗でへしゃげて落ちるか木の葉のように不規則に舞うだろうそれは、

「わあ!」

 まるで紙飛行機みたいにまっすぐ、ほとんど高度を落とさずに部屋を横断して、対面の壁に当たってぽとりと落ちた。

「きれいに飛んだねえ!つまり、春人くんの魔法は、紙を紙飛行機に変える魔法で決まりだね!」

 おおー…?魔法が発動したことは嬉しいし、この魔法で何ができるかはわかった。でも、なんていうか、魔法というには。

「しょぼくね?」

 職員さんが苦笑いする。僕も中学生の男子、かっこいいもの大好きなお年頃である。この三年の苦労でいくらか萎んだとはいえ、魔法が使えるという特別さに自尊心を大いにくすぐられてもきた。そりゃどんな魔法が使えるかは運だということは頭ではわかっているけど…紙飛行機て。

「まあまあ、春人くん。。それを狭めるか広げるかは君次第だ。これが君の魔法のすべてだと決まったわけでもない。言ったでしょう、インクを動かす魔法といっても、水を動かすのか塗料を動かすのかでは大違いだよ」

 職員さんが、僕でもわかる真摯な声で、しっかりと目線を合わせて語り掛けてくれる。

「君は春から、自分の魔法がどういう仕組みなのか、そしてその魔法で何ができるのか。それをそのための環境で学ぶんだ。ここみたいに、週一回一時間なんて時間じゃなく、私みたいな素人でもない。魔法のために整えられた施設で、毎日何時間も、専門の先生方が君を指導するんだ。君の魔法はここから始まるんだ」

 職員さんの言葉を噛みしめる。この三年間、ずっと僕と向き合ってくれた人。仕事だからかもしれない。それでも、一向に成果が出ない僕を励まし続け、一緒に考え続けてくれた、今や家族と同じくらい信頼している人。

「春人くん、おめでとう。三年間、本当によく頑張りました。私はあなたが誇らしいです。高校生活、楽しんでね」

 頭を撫でる温かな手に、柄にもなく僕は泣いてしまったのだった。



 靴ひもを結び、入学祝で買ってもらったボストンバッグと登校用のリュックを背負う。ちょっとサイズの大きい制服の上着、ボタンとえりを確かめて、玄関の扉を開ける。空は青くて、家の前には父さんが運転する車が止まっていて、横に立つおめかしした母さんが僕を待っている。忘れ物は無いかと問う母さんに生返事を返しながら、これからの生活に期待を膨らませる。

『魔法は可能性だよ』

 季節は春。恩師の言葉を胸に、魔法高校での青春が、始まる。

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