☆熱中症も恋情も大きく括ればどちらものぼせる病
比較的過ごしやすい季節が過ぎ去り、また夏本番ではないというのに、暑い日が続く季節。
気温は高いのに雨の日も多いため、蒸し暑さで肌に空気が纏わりついて煩わしい。
安定しない気候と
ここでもエスとエムは対照的だった。
エスは暑さと張り付く汗で煩わしくなったのか、上半身は何も纏わず、逞しい筋肉をさらけ出している。
暑い、暑い、と項垂れるエスに見苦しいっ!と眉を顰めながら、自身の上着を被せたエムは、いつもと同じかっちりとした服を崩すことなく、涼しい表情をしている。
「おい。半裸男。私の上着は脱ぐなよ?お前、仮にも騎士のトップだろうが。そんな格好でいるな。見るに堪えぬほど見苦しいぞ」
「だって暑いんだもん。下はきちんと着てるんだからいいじゃん!それよりエムこそ、よく、そんな格好してられるねぇ……暑くないの?」
「この格好が普通だろう。今はただの訓練中だが、これが王族の集まりなど大きな場であったら、そんな格好していたらいい恥さらしだ」
「今はただの訓練中だから問題ないでしょ?」
「お前の部下の騎士や私の所の魔導師がわんさか、この場にはいるだろう。そいつらの士気にも関わる大きな問題だ。お前が馬鹿な格好しているから、全員集中できていない。この訓練自体が時間の無駄になる」
眉を顰めるエムはため息まじりに、訓練中の騎士や魔導師たちを見やる。
彼らは、エスの逞しくも艶やかな肢体に、目が釘付けになっている。
エスの首から胸、臍に向かって流れる汗の一滴さえ
暑さとはまた違った理由で、著しく集中に欠いた彼らをエムが凍てついた瞳で睨めつけると、騎士も魔導師も例外なく怯えた表情で訓練に戻る。
彼らの様子を見たエムは、痛む頭を軽く手で押さえてから、自身の背後で、エムの目を盗んで服を脱ごうとしたエスの名を呼ぶ。
「エス。それを脱いだら、わかってるな?」
その声音は、静かな怒りが激流の如く
「……ごめんなさい」
エスは脱ぎかけた上着を静かに着直して、エムの横に立つ。
その立ち姿は、まるで飼い主に怒られた飼い犬が尻尾を垂らしているかのようだった。
しかし結局、訓練中の騎士たちも魔導師たちも、蒸し暑さにより、いつもよりも頭は回らず、誰も彼も緩慢な動きになってしまうので、外での訓練の中断を余儀なくされた。
城内を歩くエムは、他者から見ればいつもと変わらない、しっかりとした足運びだろう。
しかし、エムだって人間だ。
暑いものは暑い。
エスに暑くないのか?と問われた時に、暑くないとは返答しなかったのは、本当は暑かったからだ。
それでも他者に、弱った姿や恥ずかしい姿を晒したくないという意地だけで立っていたのが、実情だった。
そしてそれは今も。
部屋まで戻れば、身体を休められる。
それまでは、高貴な自身は、気高い立ち姿、家の名や自身の誇りに恥じない振る舞いをしていなければ気がすまない。
小さくふらつく足を懸命に奮い立たせ、自室に続く廊下まで歩いてきた。
部屋までもう少し。
その瞬間、ほんの少しの気の緩みが出たのかもしれない。
小さなふらつきではおさまらなくなった震えのせいで、大きく身体が傾いで、バランスを崩す。
倒れる……と思ったが、エムの身体は一切の衝撃もなく、倒れてもいない。
何かに支えられていることを悟ったエムは、緩慢な動きで横を見やれば、彼の見慣れた男が心配そうに顔を覗いてきた。
「エム、大丈夫!?どこも痛くない?」
エスの顔を見た瞬間、自身の力が安堵で抜けていくのを感じ、小さく呟いた。
「頭が痛い」
「頭!?頭が悪いの!?」
エスの言葉にエムは深く眉を寄せて、抗議した。
「おい、その言い方は語弊があるだろ。暑すぎて偏頭痛が出てるんだよ」
「やっぱりね。エムは暑さに強くないんだから、無理しちゃダメだよ」
「喧しい。お前の指図は受けない」
「とりあえず、部屋まで送るね」
「……おい。抱えるな。私は自分で歩ける」
エムの言葉などまるで無視で、エスは軽々とエムの身体をお姫様抱っこすると、エムの自室に向かって歩き出す。
「おい。下ろせ……こんなところ誰かに見られたら恥で死ねる」
「大丈夫だよ。ここはエムや俺の自室くらいしかないから。ここに来るのは俺たち以外だとエムのお付きの人くらいだから」
「従者にも見られたくないのだが?」
「じゃあ、ほら。きちんと掴まって顔を隠してな」
エスはエムに向けて軽く顔を近づけて、首に手を回すように言った。
それはそれで屈辱な気がしたが、他者に見られたくないという恥じらいが勝ったエムは、エスの首に腕を回して、彼の胸に顔を埋めた。
そして、未だエムの上着を着ているエスは、自身の肩にかけられた自分の上着でエムの身体も軽く覆った。
エスの歩く静かな振動と彼の胸に触れている耳元から伝わる鼓動の音、自分の上着に染み付いたエスの匂いがなんとも心地よく、静かに目を瞑った。
エムの自室にたどり着いたエスは、すぐにベッドにエムを横たえる。
先ほどよりも具合は悪そうで、目を瞑ったまま苦しげに眉を寄せて、吐き出す息も熱く荒々しい。
エスは、エムの胸元に手を伸ばし、かっちりと止められたボタンを外して衣服を緩める。
はだけたシャツから垣間見える胸元に滲む汗、頬だけでなく首まで紅潮している柔肌、整わない荒い息遣い、苦しげな表情、気怠げに薄く目を開く様までエムの全てが妖艶に映る。
不謹慎にもエスは
顔と下腹部に集中する熱にエスの鼓動は、煩いほどに早鐘を打ってしまう。
それでも体調の悪いエムを気遣おうとエスは、ゆっくり深呼吸をすると、自身が使っていたタオルを冷たい水で濡らして、エムの首元に当てる。
「……んっ……ぁ」
熱い肌に当てられた冷たい感触に反射的に漏らしたエム。
その声にエスのか細い理性の糸など、いとも簡単にプツリと切れた。
これは、手当てをしているだけ、介抱しているだけ。
理性が壊れながらも誰に向けたわけでもない言い訳を並べ連ねながら、エムの衣服を一つ一つ剥いでいく。
そしてエスは、冷たい水に触れて冷え切った自身の手をゆっくりエムの躰に這わせていく。
――あぁ、このまま閉じ込めてしまえたら……。
――この華奢で、ちょっと俺が力を込めて握ったら折れてしまいそうなほど細くて、弱々しい……こんな生き物を一人で外に出したら簡単に、不埒者に掴まって食われてしまうよ。
――俺が守ってあげる。俺だけが守れる、その権利がほしくて……俺は、ここまで来たんだよ。
ゆっくり、緩慢な動きでエスに背を向けて寝返るエムを見つめ、ゆっくりと顔を近づけていくエス。
エスが手をついたベッドが軋んで、ギシリと音を鳴らす。
――愛してる……俺のエム……。
エスの柔らかい唇がエムの額に触れた、その瞬間。
ガタガタッ……。
バサッ。
部屋の外から、物音がした。
誰かがこの部屋の前で立ち止まり、なにか布のようなものを乱暴に投げ置いたようだ。
それだけをして足早に立ち去ってゆく靴音は、少なくとも三人分、もしくはもう一人二人多いかもしれない。
エスはエムに覆いかぶさったまま冷静にそう分析してから、ため息を吐く。
せっかくエムの二人でいた時間を邪魔された憤りと、今から外を確認するためエムから離れなければいけない憂鬱さから漏れ出したエスのため息は、エムの柔らかい髪を
その髪の動きに、目を閉じたまま眉を寄せたエムを見つめエスは小さく微笑む。
そして名残惜しそうにエムの髪を撫でてから、廊下に向かうエスは扉を開けて、エムの自室を後にした。
一人残されたエムは、横たわったままパチリと目を開く。
エスが出ていった扉をちらりと見やってから、恥じらいともどかしさが入り混じった表情で眉を寄せていた。
一度冷え切ったはずの熱が、額にまた集まりだして紅潮した顔を隠すように、自身の手の甲で額をさすった。
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