遠征もピクニックも大きく括ればどちらもおでかけ
「なんで……こうなるんだ……っ!」
憎々しげなエムの横で、鼻歌を歌いながら晴れやかな表情をしているエス。
「仕方ないよぉ。魔物が暴れてるって報告が入っちゃったんだから」
「そんなもん、好きに暴れさせとけ」
「あ、こら!そんなこと言っちゃダメだよ!この近くの人は本当に困ってるんだから」
「困ってる割に、ここの領主、不在だったじゃないか。来いって言うからわざわざ休暇潰してこんな辺鄙な田舎に来てやったのに」
エムは、自身が放った不適切な言葉を窘めるエスをちらりと見やった後、今来た道を鋭い瞳で
「
「どっちでもいい。しかも魔物が出るって噂なのは町から離れてるこの平原だろう?困る人間なんて本当にいるか?」
「うーん。でも、上の人達からの命令だし、ちゃんと魔物を退けるなり、いないことを確認するなりしなくちゃいけないでしょう?報告が入っちゃったからには、上の人たちも動かないわけにいかないんだろうし……」
不機嫌を隠しもせず、平原の真ん中辺りまで歩みを進めるエムの後ろを、エスは多めの荷物を軽々と持って、にこやかについていく。
平原に咲く花々や、青い空を指さして軽やかに歩くエスの姿は、さながらピクニックしているよう。
エスが楽しげに言う。
「ねぇ、この辺でお昼にしない?」
「はっ!?」
正気か!?と言わんばかりに睨んでくるエムにエスは微笑みながら、自身が持っていたバスケットを見せる。
「俺、この間もらった服のお礼に、お弁当作ってきたんだ!」
「弁当?……お前の手作りか……」
眉を寄せるエムを見たエスは驚いて声を裏返しながら抗議する。
「なんでそんな嫌そうなのさっ!大丈夫だよ、俺、料理得意だし!ってか、俺の料理、食べたことあるでしょ!」
「持ってこられるから、致し方なくな。食べ物を無駄にするのは好かんしな」
「はいはい、じゃぁ、用意するから、そこにいて」
エスが敷物を広げて、その上でお弁当や飲み物の用意をしていく。
それをエムは横目で見ながら、少し上がっていく口角を誤魔化すように片手を口元にあてる。
エスは料理上手だ。
というより基本的な家事や裁縫などは、あらかた一通りできる。
特に料理や裁縫などの物作りを好んでやる。
好きこそものの上手なれ。
エスの料理の腕前は名店のシェフに並ぶ。
なのでエスのお弁当がとても美味しいことをエムは知っている。
しかしエムはそれを素直に言える人間ではない。
だから彼は、喜びを顔に出すことはなく、心の内でとどめている。
そしてエスもそんな彼のことに多少気づいていても、それをわざわざ言葉にする男ではないのだ。
「用意できたよ。魔物もまだ出てこないし、ここでゆっくり待とう?」
「致し方ないな。わかった」
そう言ってエムはエスの横に腰を下ろした。
「うん!じゃぁ、これ食べて!」
「はいはい。礼なら受け取らないと失礼だからな」
「うん、ありがと!」
頭上の雲と時間がゆっくりと流れていく。
澄んだ空気と柔らかく香る花々の香り、そしてエスが用意したお弁当やお菓子とお茶が、ここまでの道のりで疲れた体を癒やしてくれる。
穏やかな時間が過ぎるのはあっという間で、ほっとしたのも束の間の出来事。
――ギシャァァァァッッ!!
鋭く威嚇する魔物の声を耳にした二人は、すぐにそちらを見やる。
声がしたのは平原の中腹、彼らのいるところから数百メートル離れた場所。
二人が見やればそこには、中型の魔物がいた。
大きさはたしかに小型ではないが、比較的おとなしい魔物で、獣型の魔物の中でも獰猛種ではない。
しかし今は、なにかに気を立てているようで、魔物の全身から敵意を感じる。
そして後ろ足で土を蹴るこの動きは攻撃を繰り出す前兆だ。
すぐに二人は立ち上がり、魔物と相対する。
魔物の攻撃をサラリと躱し、エムは魔物を退けるため詠唱する。
背中に携えていた大剣を鞘から抜いたエスは、その時間稼ぎと言わんばかりに、相手に向かって近づき、大剣を駆使しながら、俊敏な動きで相手を
エムの詠唱によって繰り出された稲妻が、魔物近くを打つ。
驚き、
そして魔物は追い立てられるように、魔物の背後に広がる森に向かって逃げていった。
森は精霊王の領地。
故に、この魔物の飼い主である魔界の者が、魔物が森に侵入してしまう前に引き取っていくだろう。
実はこういう事は珍しくない。
だが、あのおとなしい魔物でこのような対処をさせられたのは、初めてのことだった。
比較的おとなしい種類の魔物などは、追い立てることなくもなく見逃すことも多い。
勝手に帰るのを待つことも多いのだが、わざわざ報告が入ったということは、あの魔物はなにかにずっと気が立っていて危険と判断されたのだろうか。
エムは眉をひそめ、そんなことを考えながら、逃げていく魔物の背中をみつめていた。
やはり、森の手前で、突如現れた黒い煙のような穴の中に、魔物は消えていった。
なにはともあれ、一件落着だと安堵したその時。
「……っエムっ!!!」
「っ……!」
先に気づいたのはエスだった。
エスはエムに向かって、ものすごい速さで駆け出す。
しかしそのエスより速い速度で、エムに向かっていくのは、突然現れた新たな魔物。
エムに向かう。
脇目も振らず、一目散に。
エスの方など歯牙にもかけず、真っ直ぐとエムを狙って突進している。
迫りくる魔物のスピードに、エムの詠唱が間に合うはずもない。
攻撃を受けることを覚悟したエムの体は、その場から誰かの強い力で引き剥がされる。
エムは肩を強い力で引かれた衝撃と右の頬にかすかの痛みを感じながら、足が地に着いていない自身の体は誰かに抱えられてることを悟る。
目を開けてみれば、そこにはエスの顔があった。
エムを抱えているエスは、心配そうに彼の顔を覗き込む。
このまま走っても間に合わないと判断したエスは、すぐに地面を強く蹴り飛ばし、跳んだ。
空中で魔物を追い越して、間一髪、魔物より先にエムにたどり着いたエスはエムの肩を強く掴んだ。
そして、そのままエムの体を抱き上げながら、魔物から距離を取り、自身の腕の中にいる彼を見る。
「エム!ケガはない!?」
「……っ、あぁ、大丈夫だ。大きなケガはない」
そう静かに答えたエムの右の頬に小さな切り傷ができていて、うっすらと血が滲んでいた。
エスは目を見開き、エムの頬に指を這わせる。
傷の痛みに顔を歪めたエムを見つめたエスは苦しげに静かに目を閉じてから、強く見開かれた瞳。
その瞳は怒りと狂気の色を強く纏わせて、まだこちらに向かってこようとする魔物をとらえた。
エムを体を支えながら立たせた、その次の瞬間にはもうそこにエスはいなかった。
飛び込むように魔物に向かっていき、その大きな体躯で大剣を力いっぱい振り下ろした。
魔物は間一髪で避けたが、それを見越したエスの蹴りをまともにくらう。
とんでもない脚力をもつエスに蹴り飛ばされた魔物は、思い切り吹っ飛んだ。
吹き飛ばされた魔物は、なすすべもなく近くの木に叩きつけられて、地面にドサリと力なく倒れる。
エスはそれを冷たい目で確認してから、エムの元に戻った。
「エム!ほっぺ、ケガしてる!大丈夫!?」
「あぁ、こんなのケガのうちに入らない」
ぐっ、とエムは右手で自身の頬からうすく滲み出てくる血を拭う。
「あ!こら、エム!だめだよっ!バイ菌が入ったら化膿しちゃうでしょ!?」
エスは慌ててエムの手を掴み、そう言った。
そして、そのままエムの手を引いて、敷物のところまで戻ると、柔らかなタオルを手渡して傷口に当てさせる。
エスは荷物から傷薬を出したが、エムは回復魔法で治せると首を横に振りながら言った。
「この程度の傷なら、わざわざ回復魔法すら使う必要もないんだがな」
「魔法で治さないなら、これを塗ったくるけど」
じろりとエスに見られて、エムはため息をついてから、おとなしく頬の傷を治す。
これで仕事は終わりだ、とエムが言うと、エスも頷いて荷物を片づけていく。
そんなエスを手伝うこともなく、ただ見つめながら待っているエム。
そんな二人は、自身たちのことを少し離れた木の上から見つめる瞳には気づかない。
そして、そんなエムとエスを強い怒りを帯びた瞳で睨めつける木の下で横たわる魔物が一匹。
魔物は力を振り絞って、自身から生成される毒の針を数本、二人にめがけて放つ。
そのことに気づいていない二人に当たるのは時間の問題だった。
しかし、その針はエスやエムに当たることはなかった。
突然、二人の目の前に舞い降りてきた男の登場に、エムもエスも驚きつつも身構える。
その男は二人に背を向けて、手を前にかざしていた。
かざされたその男の手の人差し指と中指の間には数本の針が挟まれていた。
そして、彼が何事か呟くと、遠くにいた魔物は黒い煙に包まれるように霧散した。
「大丈夫か?」
彼は顔を向けることなく、少し低めの声で端的に二人に問いかける。
「あぁ。どうやら、私たちは助けられたようだな。礼を言う」
「ありがとう!あの魔物、まだ動けたんだね……しくじったな」
じっ……と男の背中から目を離さず礼を口にするエムと、素直に礼の言葉を伝えてから忌々しそうに魔物のいた木を睨めつけるエス。
そんな二人の視線に気づいてるかは定かではないが、男はくるりと振り返る。
その男の美麗さに一瞬、エムは息を呑んだ。
「礼などいらない……あんたたちが無事ならそれでいい……」
美しい顔立ちに、抑揚はあまりないが耳障りの良い声音。
二人を見るその瞳は、穏やかな色をたたえていたが、魔物をなんの躊躇もなく消してしまう彼は、どこか空恐ろしかった。
「ほんとに助かったよぉ!ありがとねぇ!」
のほほんとした表情で笑いかけるエスをみつめながらエムは思う。
魔物を一瞬で消すなんて、相当の魔術の使い手だろうにこの顔は知らないし、あんな魔術……見たことがない……。
エスを自身の後ろに下げながら、エムは美しすぎる怪しげな男の前に立った。
美麗な男は、エムより少し背が高い。
そのためエムを見下ろすかたちなりながら、彼は二人をみつめてから、小さく喉を鳴らす程度に微笑った。
「まるで、子犬みたいだな……」
「はっ?」
予想だにしていなかった突然の男の発言に、びきりっと音が聞こえそうなほど強く、エムの額に筋が浮き出る。
機嫌を損ねたことを悟った男は、困ったように眉尻を下げて、言葉を重ねる。
「あ、すまない。決して悪い意味で言った訳では無い。飼い主を守ろうとする懸命さが愛らしいという意味で……」
「喧嘩を売っているのか?」
さらに額の筋を増やし、不機嫌になったエムは鋭い声音で問いかける。
「あ、いや……そういうわけでは……」
困ったように戸惑う
「こらこら、エム。助けてもらったんだから、そう敵意剥き出しにしないで」
「それとこれとは話が別だろう。よりにもよって私がお前の飼い犬だって侮辱されたんだぞ?」
「侮辱なんて大げさな……」
エスの言葉を待たず、エスは言い切った。
「お前が私の飼い猿だというのに」
「それこそ侮辱じゃない!?」
真っ直ぐな瞳で言い放つエムに、驚きながらそうツッコんだエス。
そんな二人を静かにみつめている美麗な男。
なにはともあれ、魔物は姿を消し、穏やかに戻った平原。
その平原に静かに咲く花や草木と少々騒がしい三人の髪を優しい風が揺らしていた。
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