飲み会も交換日記も大きく括ればどちらもコミュニケーション

 通常の訓練を終えたエスとエムは湯を浴び、汗や砂埃を落とし整えられた身なりで廊下を進む。

 そんな姿でさえ正反対の二人を城にいる者たちは遠巻きに眺める。

 長い髪をきっちりと結び、高貴な身の上を示す家紋入りの美しい服を身に纏い、他者の目が煩わしいとでも言わんばかりの表情で、眩しく磨かれた廊下をカツッ、コツッ、と大きな靴音を鳴らし、王の間に向かうエム。

 首元にまとわりつく髪をそのままに、王族に謁見しても失礼にならない最低限の服装で、周りの人に手まで振る勢いで、人懐っこい笑顔をふりまきながら、眩しく磨かれた廊下を、ゆっくりと靴音さえ聞こえないほど静かに、王の間に向かうエス。

 そんな対象的な二人の後ろ姿を見送ると周りの人間は好き勝手に騒ぎ始める。


「見た!?エム様の麗しさっ!!あの冴えた眼差しと高貴な出で立ちっ!!なんて素敵なのぉ!!」


「見たわ!!でも確かにエム様は麗しいけれど私は少し恐ろしいわ。それに比べてエス様のなんて穏やかな微笑み!逞しいお体なのに優しく穏やかな性格をお持ちなんて完璧ではなくて?」


 城のメイドたちがいつものようにかしましく囀っているが、あの二人を前にしては城に仕える男たちも黙ってはいられない。


「エム様は確かに強大な魔力と技術の持ち主だが同じ魔導師の俺でも恐ろしいし近寄り難い御方だよ。この間なんて国王陛下様の信任も厚い側近の方にも無礼な態度をとっていたらしいし。そんな方が俺たちの最高権力者だぞ。エス様を上司に持つ騎士の者たちが羨ましいよ」


「確かに。俺たちはエス様にお仕えできて幸せだよな。エム様の直属の部下になった魔導師連中ってどんどん辞めていくし。エム様は傲慢だし陰湿だって噂だし……なにより怖ぇよな」


「俺たちはまだ下っ端だから直接的には関わらないからやっていけてるけど昇格しようとすれば結果エム様に関わらないといけなくなるし。あぁー、八方塞がりだ。魔導師なんてならなきゃよかった……」


「……可哀想だな。俺たちは騎士で良かった」


 城にいる者たちにとって、良くも悪くも彼らは注目の的なのだ。



 王の間に揃ったエムとエスは次期国王と謳われる王子から直々に手渡された一冊のノートを暫し不思議そうな顔で見つめていた。


「なんですか?これは」


 沈黙を破ったのはエムだった。

 面倒くさい案件を押しつけられそうだと悟ったエムは、これでもかというほど嫌そうな表情を貼りつけて王子に問う。

 その表情には目もくれず、王子はにこやかな笑みのまま間髪入れずに答えた。


「日記帳だよ」


 エスが覗き見れば、表紙と思われる面には大きい字でダイアリーと書かれており、たしかに日記帳であることをこれでもかというほど主張していた。


「それはわかってます。そうじゃなくて、これを俺たちにどうしろと言うんですか?」


「書きなさい」


 またしても間髪入れずに王子は表情を一切崩さずにそう答えた。


「書く!?どっちが書くんですか!?俺、あんまり書き物は得意じゃなくて」


 エスがしどろもどろになりながら困った声音でそう訴える。

 その声音などには気に留めることもなく笑顔のまま王子は容赦なく言葉を続ける。


「エス、もちろんあなたも書くんですよ。当然エムもね。二人で書きなさい」


 その言葉の終わりとほぼ同時に、今度はエムが抗議の声を強くあげた。


「ならばもう一冊いるのでは?この日記帳はエスに書かせますので。用意がないならばこちらで調達致しますが」


 エムは忌々しそうにその日記帳に目を見やる。

 なんとも自分の好みではない可愛らしい見た目のそれをエスに放るように渡した。


「要りません。エム、エス、君たち二人で一冊の日記帳を書くんですよ。その日の出来事やお互いへの思いなどを交互に書いていって最後のページまで書いて完成させなさい」


 王子は優雅に日記帳を指差しながらそう言った。


「完成……?って何をですか?」


 エスはきょとんとした顔で問う。

 まだ事情を飲み込めていないエムも横でその答えを待つ。

 王子から告げられた答えは二人の想定から著しく外れたものだった。


「二人のメモリアルダイアリーをです」


「メモ……はぁっ!?」


 きょとんとした表情のままのエスと絶句しているエムを気に留めることもなく王子は言葉を続けた。


「あまりにも気が合わない君たちへの私からの贈り物です。甘んじて受け取りなさい」


 いまだ不思議そうな顔で日記帳をまじまじと見つめながらエスは呟きにも似た問いを王子に向けた。


「……この日記帳でエムと息が合うようになるんですか?」


「なります。交換日記にはそんな力があるです」


 間髪入れずに王子は答える。


「へぇー!!こんなどこにでも売っていそうなノートにそんな秘められた力があるんですね!」


「ないわっ!!騙されるな!バカ者!!」


 エスがすんなりと納得してしまったが、まだゴネているエム。

 そんな彼の姿にも気に留めず、言いたいことだけ言った王子は席から立ち上がり、軽やかな足取りで歩いていく。


「それでは二人ともよろしくね。もちろん書かなかったり、短すぎる文章だったりズルしたりはだめだからね。もちろん基本的には読まないけれど、たまに確認くらいはするから、覚悟してきちんと書きなさいね」


「なぜ交換日記?なぜに交換日記なんだ……。息を合わせるだけならば他にもやりようがあるでしょうが。……絶対遊ばれてるっ!!」


 嘆くエムの言葉が王子の耳には届いていないのか、エスやエムの方へ振り返ることない。

 しかし、その声音や足取りから、表情は明るく楽しげなことはわかる。

 面白がっているとも言える。

 王子は体も顔も、目すら二人に向けることなく、けれどどこか楽しげに言葉を残した。


「交換日記ならどんな人とでも仲良くなれる。秘密の魔法だよ?知らなかったのかい?」


「聞いたことないですよっ!!」


「ふふ、この日記帳の完成の日が楽しみだね。どんな二人になっていることやら」


 二人には王子がパタンと閉じた扉の音が、なんとも情けなく王の間に響いているように聞こえた。


「あれ?俺たち王子に遊ばれてるっ!?」


 少しの沈黙の後、エスはエムに向かって声を上げた。


「今ごろ気づいたのか馬鹿者。おそらくは私たちが仲悪いことで何か被害を被ったんだ。それの報復と当てつけと嫌がらせをされてる。絶対!」


 おそらくエムの推測は当たっている。

 エスは苦笑いを浮かべながら、どうにか場の雰囲気を取り持とうとエムに言う。


「あの方のことだから、何かお考えがあるんだろうね」


「あの方のことだから、何も考えてないだろ……」


 エスのどうにか絞り出した言葉に、さらりと返すエム。

 これまた、おそらくエムの言葉が正解である。

 静かな王の間に一冊の日記帳とともに残された二人は、ただただ項垂れていることしかできなかった。


「……今日、呑む?」


「……やめてお……いや、呑んだ方が気分も幾分かマシになるか……」


「やった!じゃあ、俺の行きつけに予約を……」


 意気揚々と飛び出そうとしたエスを、エムがピシャリと冷たい声を放って押し止める。


「行かない。お前の行きつけの酒場なんて、安くて不味い酒と、煩くて低俗な飲んだくれしかいないだろ!?」


「そんなことないよ!!みんな気のいい人たちばかりだし、お酒もおやっさんの作るご飯も美味しいよ!?そりゃあ、お城の料理とは違うけど」


「私は自室で呑む。来るなら勝手にしろ」


 そう言ったエムは、カツッ、コツッ、と靴音を立てて扉に向かう。

 少し肩を落としながら、エスがぼやく。


「エムのところって畏まってるものばかりで、美味しくお酒呑めないんだよなぁ」


「じゃあ、来るな」


「行く!行くけど!!」


 にべもなく冷たいエムの声を聞いたエスが慌てて前を歩く彼の背中を追う。

 次期国王から少し間をおいて、二人は、やいやいと騒ぎながら、この王の間を出ていった。

 がらんとした空気だけが取り残された王の間、その窓を外からみつめる影が庭の茂みを動かしたが、そのことに気づく者は誰一人としていなかった。





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