ある吸血鬼の後悔

石動 橋

ある吸血鬼の後悔

 冷たい雨が、私を打つ。

 普段なら鬱陶しいだけのこの雨も、今はこれさえ心地良い。

 指一本動かすことができずに倒れ伏した不格好だがしかし、この大往生の体勢さえどこか誇らしかった。

 私の周りには、いまや物言わぬものとなった者達の亡骸が転がっている。

 元々のこの地に住まう、村の住人達。

 首を切り飛ばし、心臓を抉り出されたにもかかわらず血の匂いが薄いのは、この天から降り注ぐ水玉達のせいだろうか。

 そう、全てわかっている。

 なにせ、この者達を全て殺しつくしたのは、他でもない私自身だから。

 彼等の手にしていた数々の得物は、かつて私に容赦なく振り降ろされ、腹を突き刺し、執拗に私の肉体に新たな傷跡を作っていたものだ。

 嗚呼、糞。

 もはや、立ち上がる元気さえない。

 どこからだろうか。

 私のこの様は、どこから始まってしまったのだろうか。

「―――――考える、までもないか」

 口から思わず洩れる。

 全て、わかっているのだから。

 そう、あの日。

 あの日だ。

 私のこの人生は、あの日からおかしかった。

 あの、小さな少女を拾ってしまったときから、私の運命の歯車は狂い始めたんだ。





 私は、俗に吸血鬼と呼ばれる種族だ。

 夜霧一族と名乗っている我々吸血一族は、この村の地主として繁栄していた一族だった。

 だった、というのは文字通りで、いまや生きている夜霧の者は私しかいない。

 他は全員死に絶え、私だけが生き残った。

 正確には把握している限り、という意味だが、まあ同じことだろう。

 滅んだ理由なんぞ様々だし、今更考えたところでどうでもいいものではあるのだが。

「……」

 ため息とともに、屋敷の窓から眼下の村を見下ろす。

 青天井に照らされた小さな村は、小規模ながらも山で採れるきのこなどの特産品を売って生計を立てる者が多い。

 いい意味で自然豊かなこの土地だが、私は嫌いだ。

 いや、大嫌いだ。

 こんな湿気た村がなくなればいい、と吐き捨てるのほど忌み嫌っていることには理由がある。

 この村には、現代からは考えられない因習が残っているのだ。

 生贄。

 10年に一度、夜霧一族への捧げものとして、この村の若い娘を一人差し出す。

 まったく、一体何百年前の話だと思ってんだか。

 先祖代々から続く忌まわしい習わしだが、もはや一族最後の生き残りである私にとっては煩わしいものでしかない。

 ふと窓の下、この屋敷の玄関先に目をやる。

 そこで、見つけた。

 今年の生贄だ。

「……はあ」

 ため息をつきながら窓から離れ、階下へ歩む。

 もはや恒例となったものだ。

 本当、煩わしいものだ。

 こっちがどう考えているかなんて、考えこそしていないのだろう。

 まあ、どうでもいいことだ。

 やることは変わらないのだから。

 そう考えているうちに、目的地についていた。

 玄関を開けると、容赦なく照らす日差しが目に飛び込んでくる。

 大嫌いな太陽の光に目を細め、目的のそれに視線を落とした。

 まだ10に満たないほどの、ひどく怯えた目を向ける着物の少女。

 降ろせば長いであろう黒髪を後ろでまとめ、その髪と対照的な白い肌がよく映える。

 幼い顔立ちは恐怖に歪み、私が視線を送るだけでビクリと身を震わせた。

「……!」

 少女が僅かに、息をのむ。

 おそらく、これから自分の身に起こることに怯えているのだろう。

 無理もないことだ。

 そして私は溜息とともに、

「―――――そこ」

 指を指して告げた。

「その奥の獣道を、真っ直ぐ行け。そうすれば、隣村まで迷わずたどり着ける。そこには孤児院があるから、この手紙を見せろ。そうすれば、おまえの身は守ってもらえる」

 毎回言っている内容だからか、もはやただの棒読みだ。

 簡単な説明を一通りしてから、あらかじめしたためていた一枚の手紙を差し出す。

「……?」

 彼女の目が、パチパチと瞬きする。

 予想だにしない反応だったのだろうが、私には関係ない。

 背を向けて、再び屋敷に入ろうと足を動かした。

「……! まって……!?」

 背後から声が聞こえるが、知らん。

 だが、その声の後に聞こえた、いたっ、という悲鳴が、反射的に私の視線を動かした。

 つまずいたのか、突っ伏している彼女。

 そして、

 ぐぅ、と腹の虫のような音が聞こえる。

 どこから、いや、何から聞こえたのかは考えるまでもない。

「……」

 再び、ため息が漏れる。

 この少女を抱えて屋敷に入れたのは、一体何の気まぐれだったのやら。




「――――おいしかった!」

「……それはよかった」

 満面の笑みを浮かべてスープとパンを平らげたこの少女に呆れかえる。

 まったく、いい気なものだ。

 今日の夕飯の予定のスープがすっかりなくなってしまった。

「おいしいごはんありがとう! やさしいお兄さん!」

「……私はお兄さんではないし、私が村でどう呼ばれているのか、知らないわけじゃないだろう?」

 歳はおまえの何十倍もあるんだぞ。

「でも、お兄さんはあたしを助けてくれたでしょ?」

「どうかな? おまえを太らせて食べるためかもしれんぞ?」

「うそ! それなら、このお手紙わたしたりしないでしょ!」

 そう言って、私が書いた証拠物品を見せつける。

 嗚呼、今になって、あんなものを渡した過去の自分が恨めしい。

「……もういいだろう。ほら、さっさと出ていけ」

「いやよ! あたし帰りたくないもん!」

 なんて聞き分けのないガキだ。

 親の顔が見てみたい。

「何でだ? こんな所にいても楽しいことなんてないだろうに」

「あたし、まだあなたのこと知らないもの!」

「……は?」

 思わず出た言葉は、それだった。

 呆気にとられる、というのはこのことなんだろうか。

 私のことを、知りたい?

 家に帰りたいでも、両親に会いたいでもなく?

「私の、ことを?」

「ええ! あたし、あなたのこともっと知りたい! そして、お父さんお母さん、村のみんなに、あなたのこともっと知ってほしいもの!」

 あなたは、いけにえなんてこわいことしてる人じゃないんだもん、と。

 まるで私と正反対な、太陽のような笑顔を向けた。

 嗚呼、まぶしいな。

 目が眩みそうで、忌々しくて。

 そして、美しい。

 天真爛漫に宣うその姿が、私にはなぜか輝かしく映った。

「それじゃ、まずはこのお家のたんけんからするね!」

「お、おい!?」

 はしゃいで家の中を駆けまわるその娘を追いかけて、私も足を持ち上げる。

 だが何故だったか、その足はいつもよりも数段軽かったような気がした。




 お転婆娘が疲れて眠りについたのは、すっかり夜の帳が降りた後だった。

 私の寝室のベッドを占領して寝息を立てる彼女を、外から差し込む月明かりが照らしている。

 まったく、何ともふてぶてしいものだ。

 書斎やキッチン、誰も使っていなかった客室さえも片端から荒らしまわったこの娘は、一体どんな教育を受けてきたんだか。

「……」

 だが、不思議な気分だ。

 ここまで気分の起伏が起こったのは、久しぶりだった。

 もともと吸血鬼としては三流で、極端に吸血をしなかった私達の一族。

 ただ存在することこそが罪であるとし、異端審問官たるエクソシストや、魔物を狩る賞金稼ぎから逃げ続けていた。

 この間にも何人もの仲間が、家族が殺された。

 人間でないというだけで、異端というだけで。

 私達が一体、何をしたというのか。

 そうして逃れて逃れて、行きついた先がこの村だ。

 来た当初から閉鎖的だったこの村は、外部に情報が漏れにくく、隠れ潜むには打ってつけだった。

 だが、村人への接触は全くしなかった。

 あのおぞましい、私達を殺さんと向かってくる者達のことを思い出すと、どうしても彼らに会う気になれなかったのだ。

 なんとか残った財産を費やしてこの屋敷を建てて籠るように生きてきたが、気づけば最後に残っていたのは私だけ。

 それがいつしか、村の悪しき因習を産むことになってしまったのは、今でも失敗だと思う。

 送られてきた生贄が生きている事が露見すれば、この拒絶的な村人達はその娘達を迫害するだろう。

 だがそれでも、彼女達を密かに逃がしていたことは、間違っていないはずだ。

 形は違えど、かつての私達と変わらないのだから。

「……」

 眠る彼女の髪を、僅かに撫でる。

 私と違い、艶やかでサラサラとした、生気を感じる髪。

 肌もほんのりと温かく、本当に、私とは正反対だ。

 他人を信じようとするこの子と、人を拒む私。

 本当に対照的なのに、何故、こんなに心惹かれるものを感じるのだろうか。

「……」

 やはり、明日には彼女には出て行ってもらおう。

 ここにいても、いいことなどない。

「……ぅん?」

 くすぐったそうな声が、少女から漏れる。

 どうやら起こしてしまったらしい。

「起きたか?」

「……」

「? どうした?」

 娘が朧げな瞳で、私を見つめる。

「……お兄さん、きれいだね」

「……綺麗?」

「うん。お月さまが、とってもにあってる」

 すてきね、と少女は言う。

 そうなのか。

 気にしたことはなかったが、やはり死人のように肌が白いからか。

 はたまた、外から差し込んでくる月光が目に映ったのか。

「……それは、どうも」

「あ、ちょっと赤くなった」

「気のせいでは?」

「あ、かおそむけないで! もっとおかお見せて!」

 身を起こして再びはしゃぎ出すこの娘を、何とか抑える。

 決して。断じて。

 恥ずかしいわけではない。

「……やっぱり」

「?」

「やっぱり、お兄さん、いい人」

 こわい化けものなんかじゃ、ない。

 そうつぶやくと、少女はま再び目を閉じた。

「……」

 まったく、いい気なものだ。

 こんな私を、村人から生贄を押し付けられたやつを、化け物じゃない、とは。

 どんな神経を、どんな生き方をしたらそう見えるのやら。

 少し、ほんの少しだが。

 この娘が、私は羨ましい。




「……雨、かあ」

 露骨にがっかりした様子の少女から溜息が漏れる。

 彼女の出立の日には、確かに先行きが悪いとも言えるだろう。

 だが、そんなロケーションなど気にしてもいられない。

 今日で、この娘ともお別れだ。

「……最後に、言っておく」

「?」

 これだけは、最後に確認しておかないと。

「この先の獣道を真っ直ぐ行けば、隣村まで行ける。おまえに渡した手紙を孤児院の職員に渡せば―――――」

「ううん。行かない」

 迷いすらない、即答だった。

「だって、それだとお兄さん、ずっとこわい人のまんまでしょ? あたしが、村の人たちにそんなことないよっておしえてあげるんだ!」

「別に、私はそれでも構わないのだがな」

「もう、そんなこといって! そんなことじゃ、お友だちだってできないよ!」

「いや、それでもいいんだが……」

「いやよ! だって、それじゃ、あたしがお友だちっていえないでしょ!」

「――――――」

 言葉が、出なかった。

 同時に、僅かに苦笑してしまったのを、今でも覚えている。

 相も変わらずの天真爛漫な彼女から発せられた、自信とエゴに満ちた言葉。

 まったく、その前向きな根拠はどこから来るのか。

 だが、なぜか。

 なぜか、胸が温かかった。

「――――だから、それまでまっててね! あたし、むかえにくるから!」

 そう言って駆け出す少女を、私は静かに見送った。

 嗚呼、ここか。

 私がこの生涯、もっとも後悔したのは、ここに違いない。




 その時は、唐突に訪れた。

「おい! 出て来い化け物!」

 玄関先から怒鳴り声が響く。

 一体何事だというのか。

 あまりの騒々しさに、溜息をつきながら外に出る。

 屋敷の玄関は何度も打ち叩かれ、今にもぶち破らんばかりの勢いだった。

「……なんなんだ、一体」

 何が何だか、全くわからない。

 考えているうちに、扉が破られる。

 押し入ってきたのは、何人もの男達。

 その全員が怒りに満ちた表情で私を睨み、手にした大槌や槍を構える。

 その奥には女達も怯えた様子でこちらを見つめ、男達の背中に隠れていた。

 この場にいる全員に、見覚えがある。

 あの娘が向かったであろう、あの村の住人達だ。

「一体、何事ですか?」

「黙れ化け物! よくも! よくも俺達の娘を!」

 何が何だか、全くわからない。

 ただ、彼等が怒り狂っていることだけはわかる。

 どうやらただ事ではなさそうだ。

「何に怒っているのですか? 全く見当もつきませんが……」

「見当がつかない!? ふざけるな! 人の娘をたぶらして!」

 娘?

 まさか、あの少女のことか?

「娘とは、まさか、あの生贄でこの屋敷によこした女の子のことか?」

「ああ! 他に誰がいるんだ! 悪趣味なことしやがって!」

「お、おい、一体、何を言って……」

「とぼけるな!」


「あの娘に、『ほんとうはあのお兄さんはわるい人じゃない』なんて、あんなことを言わせるなんて!」


「……は?」

 私が、言わせた?

 何を、言っているんだ?

「生贄を欲しがるだけじゃ飽き足らず、こんな、こんな悪辣な真似を……!」

「お、おい! ち、違う! 私は何も……」

「うるさい!」

 激昂した男の、手にした槍が突き刺さる。

「――――――っ!?」

 衝撃とともに、熱が、そして激しい痛みが私を襲う。

 危なかった。

 意識だけは持っていかれないように、食いしばるのがやっとだ。

「へっ、化け物でも、血は赤いんだな」

「……あの、子は」

「あん?」

「あの、娘は、どうしてる?」

 何とか声を、絞り出す。

 声を出すことさえ辛い。

 だがそれでも、問わねばならない。

「娘? おまえが惑わせた、あの娘は、俺の娘は――――――」


「――――――今頃、磔になってるよ」


「―――――」

 言葉が、出ない。

 あの子が、磔?

「……お、まえ、正気、か? 自分の、娘、だろう?」

「うるせえ! 他に方法がねえんだ! こうすれば、娘も元に戻るはずだ! 村長が言ってたんだ! あとは、おまえを殺せば!」

「―――――」

 嗚呼、愚かな者だ。

 この男も、周りの村人達も。

 だが、誰よりも愚かだったのは。

 何も考えずにあの娘を送り出してしまった、この、私自身だ。

「――――――っ!」

 体に突き刺さる槍を掴む。

「お、おい! 今更抵抗したところで―――――」

 男が言い終わる前に、それは終わる。

 彼が手にした槍を、へし折った。

「―――――は?」

 男が間抜けな声を上げるが、その隙を逃さない。

 そのまま男の首を鷲掴み、握力だけで握りつぶす。

 弾けるように首が宙を舞い、鮮血をまき散らしながら地に落ちた。

「お、おい!?」

「源さん!?」

 周囲の男達の悲鳴が上がる。

「……」

 手に付く血を振り払う。

 いらん。

 こんな男の血なんて、絶対飲んでやらん。

「――――――ああ、そうだ」

 そうだ。

 そうだった。

 あの少女が来て、忘れていた。

 なぜ、私は追われていた?

 どうして、一族は殺された?

 嗚呼、そうだ。

 私は、化け物だったんだ。

「――――――さあ、来いよ人間ども」


「おまえ達が殺したがってた化け物は、ここにいるぞ」




 どれほど倒したか、わからない。

 どれだけ殺したか、わからない。

 向かい来る男を、突き刺した。

 泣き叫ぶ女を、捻りつぶした。

 歩きながらも屍山血河を作り上げ、歩いた後には音もない。

 ただただ無情な雨音だけが木霊する。

 私の身体には、ヤマアラシのように無数の槍や刀が突き刺さっている。

 ここまで来るのに、すでに片足を引きずっている。

 疲労や痛みは私の体をすでに蝕み、時折目の前が霞んで映る。

 それでもやらなければ、確かめなければと気力で歩き、湧き上がる怒りで戦った。

 村に入ってもなお、向かい来る村人は皆殺した。

 逃げる連中は、いちいち追わない。

 背を向ける相手など、どうでもいい。

 そんな奴らより、早く見つけないといけない。

 あの、まだ幼い、太陽のような少女を。

 ぬかるんだ土や泥を蹴り上げながら進み、村の入口にたどり着く。

 そして、見つけた。

 村の中心の、簡素な祭壇。

 広場になっているその中央に、丸太に括りつけられた一人の少女。

 雨に打たれ、飲まず食わずだったのか、最後に会った時よりも血色が悪い。

 早く降ろさないと。

「待って、いろ! 今……っ!」

 急にガクッと、膝をつく。

 ここにきて、体にガタが来出したらしい。

 これまでの出血と疲労感で、視界が白く霞んで見える。

「……まだ、だ」

 そう、まだだ。

 歯を食いしばって足を動かす。

 まだだ。

 まだ、倒れるわけにはいかない。

 動かないもう片方を引き摺りながら、少女の下へ急ぐ。

 彼女の近くにたどり着くと、少女の様子は予想以上に悪いらしい。

 一刻も早く、降ろさないと。

「―――――あああああ!」

 瞬間、衝撃とともに雄叫びが響く。

 声の主は、まだ子ども。

 磔にされた少女と同い年くらいの少年が、涙で顔を腫らせたその子が、私の横腹に包丁を突き刺したのだ。

「おまえが! お父とお母を! おまえ! おまえが!」

 叫びながら、包丁を握る手にさらに力を籠める少年。

 傷口が熱く、痛みとともに血を吐き出す。

 ああ、この子の家族が、私を殺しに来た大人達の中にいたのか。

「―――――すまない」

「……え?」

 私のつぶやきが聞こえたのか、目を見開いた少年が顔を上げる。

 心からの、謝罪の言葉だ。

 怒りに身を任せていたとはいえ、私がこの子の両親を殺した化け物であることは変わらない。

 少年のここ行動は、そんな私の罪への、罰だ。

「―――――あ、ああああ!?」

 少年が慌てた様子で、持っていた包丁から手を離した。

 やはり人を刺したのは、初めてか。

 だが、それでいい。

 まだこの子を人殺しにさせるわけにはいかない。

「……っ!」

 脇腹の包丁を引き抜く。

 その包丁で少女を縛る縄を断つと、少女が地面に落下した。

 痛みで意識が飛びそうになるのを耐え、少女の様子を見る。

 顔色が、かなり悪い。

 遠目ではわかりにくかったが、想像以上に容態は良くなさそうだ。

 この村の医者は、おそらく殺してしまった。

 隣村までは、この子の体力が持つかどうか。

「……」

 一つ。

 一つ、方法を知っている。

 今のこの子を救うことができる方法を。

 だが、その代償は大きい。

「……だが」

 他に、方法がない。

 あの時に見せてくれた、あの笑顔を失わせたくない。

 それが過ぎった瞬間、私の行動は早かった。

 ぐったりと力ない少女の喉元に、口元を近づける。

 そして、吸血鬼特有の、鋭利な牙を突き立てた。



 吸血鬼にとって、吸血行為とは何か。

 嗜虐? 栄養摂取?

 どれも違う。

 吸血とは、ある種の生殖だ。

 自身の能力を他者へ、一方的に植え付ける行為そのもの。

 何も知らない他人からしたら、確かに血を吸っているように見えるのかもしれない。

 だが、実際はその逆なのだ。

 これを行えば、目の前の弱った少女に、私の吸血鬼としての能力を与えることができる。

 体力や膂力だけでなく、村人達を屠った怪力やその他の能力でさえも。

 だが同時に、これは呪いでもある。

 これで彼女は、夜の住人の仲間入りだ。

 私がこの村に逃げてきたように、彼女もまた、異端審問官や魔物討伐の賞金稼ぎから狙われることになるかもしれない。

 もう二度と、日の当たる場所を歩けなくなるかもしれない。

「―――――っ」

 だが、それでも。

 私は、彼女に生きてほしいのだ。

 あの日私に見せてくれた、純真で、太陽のような笑顔を。

「―――――ハっ!」

 少女の喉から、口を離す。

 もはや血の気はないが、呼吸の乱れは落ち着いてきている。

 私の、吸血鬼特有の生命力がなじんできた証拠だ。

 この調子なら、彼女は、大丈夫だ。

「少年」

 私の言葉に、少年の身が震える。

「この娘を、隣村の、医者の、下へ、届けて、くれ。そして、今日、見た、ことは、全て忘れ、ろ」

「……え? えっと……」

「早く! 行け!」

 私の声に慌てて彼は少女を背負って走り出した。

 ああ、そうだ。

 それで、いい。

「……」

 一気に力が抜け、その場に倒れる。

 体中の血が抜けていく感覚がする。

 気のせいか、見てる空が白いな。

 雨粒が当たる感覚させ、なくなってきている。

 嗚呼、本当に、散々な日だ。

 妙な娘か来るわ、村人の襲撃を受けるわ。

 そして何より、こうして今、この人生を終えようとしているわ。

 本当に、散々な日だ。

 だが、何故だろうか。

 この数日感じた、奇妙な感覚。

 何とも迷惑で、騒がしくて、二度とごめんな出来事の連続。

 だけれど、何故だろう。

 とても、悪くない気分だった。

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ある吸血鬼の後悔 石動 橋 @isurugi

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