第24話

 ラヴィが気を利かせて、父上と二人きりで会話する時間を取ってくれた。

 父上とは常々話し合うべきだと考えていた。その機会を作ってくれたラヴィには感謝しかない。彼女の想いを無駄にしないためにも、私は父から逃げず、本心を話すべきだ。

 と、頭ではそう考えているものの。


「………」


「………」


 どうしよう。会話の切り出し方がわからない。

 よく突っかかってくる職場の同僚から助けてくれた父上だが、私が礼を言うと黙りこくってしまった。いつものように眉間に皺を寄せ、難しい顔で何かを考えている。私は気まずさを誤魔化すため、ウェイターから飲み物を取りグラスに口を付けた。私達の間の沈黙に、周囲がひそひそと囁く。


「見て、グレード公爵家のお二人。あそこだけまるで戦場のような雰囲気だわ」


「きっと彼らにしかわからない、大事なお話をしているんだ。怖いから近づかないでおこう」


 そうやって的外れな推測をし、私達から距離を取っていた。話ができていたら楽なのだが、と緊張で乾く口を潤すため、私は無意味に果実酒を胃に流し込んだ。


「……ウィステリア、今日のことだが」


 父上が重く口を開く。


「最初に謝罪しよう。すまない、私はお前のことを見くびっていた。合格だ。ラヴァンダ嬢との婚約は認める」


 私は目を見開いた。驚きのあまり、咄嗟に声が出ない。思わずグラスを落としかねて、慌てて持ち堪える。


「あ……ありがとうございます。父上」


 じわじわと嬉しさが胸に広がっていく。浮かれそうだ。私は父上に歩み寄れたのではないかと、浮かれそうだった。

 だが、まだ前に進み切っていない。


「父上。私は、今まで人と関わるのを避けてきました」


「……ああ。そうだな」


「同年代の令息に比べれば、私の対人能力などまだまだでしょう。ですから――」


 私はステムを持ち直し、父上と向き合った。


「今後も、ご指導お願いします」


 父上は一度目を伏せた後、ふっと笑った。

 幼い頃は何度も見た、父の優しい笑顔だった。


「私は厳しいぞ」


「ええ。覚悟の上です」


「今日だけで山ほど課題を見つけた。問題点を指摘するだけで一夜が空けるな」


「……やはりほどほどにお願いします」


 ククク、と父上は私を見上げ、笑い声を零した。ああ、いつの間に父の身長を越していたのか。こんなことにも気づかなかったなんて。もっと早く向き合っていればと考えて、かぶりを振った。

 遠回りばかりだったが、それでも前へ進めたのだ。ならば、否定ではなく肯定を。他人にとっては無駄な時間でも、私にとっては必要な過去だった。だから、考えるより前に、口が動いた。


「今度、母上の墓参りに、グレード領に戻ってもよろしいでしょうか」


 父上はやはり、優しく笑うのだ。


「実家を訪ねるのに、私の許可など必要ないだろう。いつでも帰ってきなさい」


「……ありがとうございます。舞踏会が終わったら、ラヴィと一緒に帰ります」


 大好きだった母にも愛しい人を紹介したい。今の私があるのは、全て彼女のおかげなのだから。


「そろそろ戻るとしよう。ラヴァンダ嬢をいつまでも放ってはおけないからな」


 父上が外に顔を向けた直後、わずかに眉を顰めた。私もつられてバルコニーを見る。


「ラヴィ……?」


 バルコニーにいるラヴィが、三人の女性に囲まれていた。



******



「うふふ、驚いて声も出ませんか。それも仕方がありませんわ。純情なラヴァンダ様には少々刺激が強いかしら」


 仕立て屋で働いていたときですらこれほどの典型的な新人いびりはありませんでした。まるで物語のような展開に思わず感動していると、勘違いされたようです。キャロル様はふふんと鼻を鳴らして、生き生きとその噂とやらを教えてくださいます。


「気を確かに持ってくださいね。ウィステリア様には――ラヴァンダ様との婚約前から、愛人がいらっしゃるのよ」


「ウィステリア様に愛人……?」


 何故か脳裏に『カメちゃんに指を噛まれた』としょんぼりしているウィステリア様が浮かんできました。あの天然氷時代のウィステリア様に愛人……? 無理がありますね……。

 噂に詳しいキャロル様とそのご友人方は、得意げな顔をして続けます。


「絶世の美女を複数侍らせておりますの。なんと、十人もいるだとか」


「十人!?」


 いや盛りすぎですってそれ!! 天然云々を差し置いても常人には不可能な数ですよ!!


「その中にはなんと他国の王女もいるだとか」


「王女!?」


 国際問題!! 国際問題が発生しています!! 他国の王女に手を出していたら流石のウィステリア様だって無傷では済みませんよ!!


「そして、そんな愛人達と毎晩屋敷で酒池肉林を行っているらしいですわ」


「毎晩酒池肉林!?」


 公爵家を何だと思っているんですか!! そもそも屋敷を訪問してくる方なんてグレード公爵のお客様しかいませんよ!? ウィステリア様と私の交友関係の狭さを舐めないでください!!


 どこから訂正すればいいのかわからず、私は頭を抱えました。根も葉もないどころか土すら存在していない、もはや風評被害を起こすための作り話としか考えられません。こんな噂ばかり流されたら誰だって嫌になります。ウィステリア様も苦労なさっているんですね。帰ったら労わってあげなくては。


 私が返答できないのをいいことに、キャロル様は開いていた扇を閉じました。


「――これはラヴァンダ様のためを思って、厳しいことをあえて言うのですが」


 彼女の目が弧を描きます。


「ウィステリア様との結婚は、お考えになった方がよろしいのでは。不釣り合いですもの、ラヴァンダ様とは」


 なんと直球な悪意でしょう。言葉だけなので実害がないのが救いです。ワインをかけられないだけマシだと思いましょう。

 そうは言っても、下手に刺激すれば悪化するのは事実。そして見下されたままでもダメ。ウィステリア様ですら失礼なことを言われても、平和にいなしていたのですから。私もそれくらいはできなくてはいけませんね。


「キャロル様、シェリーン様、へスタリア様。とても素敵なドレスを着ていらっしゃいますね」


 なので私は、見覚えのあるデザインのドレスを見て


「店主のマリアも喜んでいるでしょう。『シャルエル』の元店員として、鼻が高いですわ」


 なけなしの人脈を使うことに決めました。

 キャロル様が訝し気な顔をします。


「あら、ラヴァンダ様は針子でございましたの? 侯爵令嬢でありながら、庶民のように労働するなんて――」


「バーベンハイム伯爵夫人はお元気ですか? 働いている頃よく贔屓してもらっていたのです。いつも世間話に花を咲かせてしまって。私を可愛がってくださいましたわ。そういえば、今年はまだ一度もお店にいらっしゃらなかったのですが、もしかして、他の店に移ってしまいましたか? それだったら残念です」


 最初だけでは伝わらなかったので、わかりやすい言葉を選んでキャロル様にわざとらしくお伝えします。今度は私の真意に気づいてくださったようです。彼女の顔がさっと青ざめました。


「――っ、母がどの店を選ぼうと、あなたには関係のないことでしょう」


「そうですか。自慢ですが、シャルエルは今王都で一位二位を争うほど人気ですから。伯爵夫人には是非ともシャルエルのドレスを着てほしかったですわ」


 人気店なだけあって、その分、お値段が張ってしまいますが。最後に作った夫人のドレスの予算から考えると、バーベンハイム伯爵家の懐具合は少々厳しいようですね。

 口には出さず心の中で付け加えて、私は他の二人にも忠告しておきます。


「失礼ですが、シェリーン様はダミア伯爵、へスタリア様はウォルシー伯爵のご令嬢でお間違いないでしょうか」


「……なぜ、私達の姓を知っているのですか?」


「顧客の名前は全て覚えています。名前を教えてもらったときもしかして、と思ったのです。同じくお二人のお母様方がシャルエルを贔屓してくださっていましたから。残念ながら担当は私ではありませんでしたが、同僚とは仲が良いので、よくお話をお聞きしましたわ」


 主に対抗心が強いお二人に挟まれて辛い、といった愚痴でしたけど。お話を聞いたという言葉は事実です。嘘は吐いておりません。母親同士の仲が悪いのは知っているのか、シェリーン様とへスタリア様はそれ以上何も言ってきませんでした。


「キャロル様の仰せの通り、私は新参者で噂には疎いので」


 私の性格の悪さを十分披露したところで、


「どうぞ、これからも仲良くしてくださいね」


 そう言って話を〆れば、三人は顔を顰めました。ですが、すぐに皆さん笑顔になり、「もちろん」と鷹揚に返してくださいます。


「ごめんなさい。ラヴァンダ様を誤解していたようだわ」


「よろしかったら、今度お茶会にでもいらっしゃって」


「それでは、私達はこれで。ごきげんよう」


 茶番を繰り広げて、三人はそそくさとバルコニーから去っていきました。私は彼女らから見えないように、こっそりため息を吐きます。

 休憩していたはずなのに疲れてしまいましたわ。あー、嫌です嫌です。先ほどのようなじめっとした駆け引きは嫌いです。やはり、社交界は私の性に合いませんわ。華やかな世界であっても、その裏側まで綺麗だとは限りませんから。


「ラヴィ」


 憂鬱になっていると、不意に名前を呼ばれました。顔を上げれば、ウィステリア様がバルコニーにいらっしゃっていました。いつの間に。もしかしたら、嫌なところを見られてしまったかもしれませんね。


「ウィステリア様。グレート公爵とのお話は終わったのですか?」


「ああ。気を遣わせてしまったな。ありがとう、ラヴィ」


 そう仰るウィステリア様は、確かに憂いが晴れた様子でした。どうやら公爵との仲直りは上手くいったようです。私も嬉しくなって、つい笑ってしまいました。


「ふふ。良かったです。私も、公爵を説得した甲斐がありました」


「――ラヴィ」


 ウィステリア様は私の手を取ると、そっと甲に口付けをしました。


「う、ウィステリア様。ここは外でございます」


「なに、父上が婚約を認めてくれたのだ。これくらい、大目に見てくれるさ」


 ウィステリア様は甲から唇を離し、私と向き合います。


「ラヴィの幸福のためならば、私は何だってしよう。だが、一つだけ我儘を言わせてほしい」


 吸い込まれるほど美しい青い瞳が、私を優し気に見つめました。


「悲しい思いをしたのなら、どうか私を頼ってください。あなたの憂いを私の手で晴らさせてください。大切な人の心に寄り添えさせてもらえないのが、この世で一番の苦痛です」


 どうやら、落ち込んでいたことを見抜かれていたようです。ウィステリア様の真摯な眼差しに、私は肩の力を抜いて笑みを零しました。


「ありがとうございます。では、早速お願いが」


 私はウィステリア様に手を差し出しました。


「一緒に踊りましょう。あれだけ練習したのですから、披露しないと勿体ないですわ」


 ウィステリア様は私の手を取りました。


「ああ。もちろんだ。私の愛する人を、皆に教えよう」


 華やかな世界でシャンデリアに照らされるのは、正直苦手です。

 それでも、ウィステリア様と一緒なら悪くありません。どうせなら、やるだけやってみましょう。案外、楽しめるかもしれませんから。


 そうして、私と彼は一緒にバルコニーから会場へ戻りました。

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