第9話


「舞踏会に参加したい、だと?」


 翌日。治療の後、私はウィステリア様に思い切って提案してみました。事前に用意してくれたお湯で手を温めながら、理由を説明します。

 

「はい。やはり、新しい生活に慣れるには実践が一番です。舞踏会なら、人付き合いの経験も積めるのではと思いまして」

 

「いや、構わないが……随分、積極的だな。なにかあったのか?」

 

 ウィステリア様の疑問はもっともです。私は彼に向き直って、正直に言いました。

 

「実は先日、使用人の世間話を立ち聞きしてしまったのです。私とウィステリア様が、公爵家に相応しい社交ができるかどうかと、心配していました」


 ここで嘘を吐いても仕方がありません。偽装結婚とウィステリア様の体質がバレていた件は伏せて、話を続けます。


「使用人の方々が不安を抱くの仕方ありません。私は借金、ウィステリア様は体質のせいで、貴族らしい人付き合いができないでいましたから」


「……そうだな」


「ですから、私達二人で舞踏会に参加し、使用人を安心させる必要があると思います。結婚するかどうかおいといても、両者どちらにも利点があると思いますが、どうでしょうか」


 こういうのは下手に小細工などせず、王道を行くのが一番なのです。

 ウィステリア様は顎に手をやり、悩む素振りをしました。


「いい提案だ。だが、ラヴァンダ嬢。それなら、私も話さなくてはいけないことがある」


 なんでしょうか。真剣な顔をして。

 ハッ。まさか、実は彼には想い人がいて彼女意外とダンスを踊らないとかいうロマンチックな誓いを立てているとか――


「私はダンスが下手くそだ」


 なんと。斜め上の告白でした。

 

「体質が体質ゆえ、人肌は私にとって熱すぎるんだ。だから、幼少期からダンスを避け続けた結果、とんでもなく下手になった」


「まあ、そうだったのですか。私もダンスに慣れていませんし、二人で練習する時間も必要ですね」

 

 ただ、ウィステリア様はお忙しい方ですから、時間が取れるかどうか。この一週間ですら、屋敷に帰って来れない日もありましたし。今後の予定を尋ねようとしたら、ウィステリア様は意外そうな顔をして私を見ていました。


「嫌じゃないのか、ダンスをリードできない男なんて」


「えっ。人なんですから、苦手なことの一つや二つあるのは普通ではないでしょうか? 嫌がりなんかしませんよ、そんなことで」


 案外、ウィステリア様は見栄を気にするのでしょうか。問題を隠されるより、こうして話してもらった方が私的にはありがたいのですが。

 ウィステリア様は私から顔をそらして、「そうか」と呟きました。そして、急に立ち上がったかと思えば、私に手を差し伸べてきました。


「では、早速練習しよう。習うより慣れろとも言うしな」


 今からですか!?

 私は慌ててタオルで手を拭い、ウィステリア様の手を取りました。手袋越しでも、その手は冷たいです。温めたばかりですが、ウィステリア様が火傷をしないよう、私は自分の手を冷たくしました。そのことに気づいた彼が、「すまない」と謝ってきますが、気にしないでくださいと返します。こういうのも契約のうちですから。

 ウィステリア様の部屋は広いため、二人でステップの練習をできるぐらいの空間はあります。彼は私の背中に手を添え、右手を握りました。


「ラヴァンダ嬢、左手を私の右腕に。そして、もう少し背中の手にもたれかかってくれ」


「は、はい。こうでしょうか」


「そうだ。これが、基本の姿勢になる。次に、足の動きだが……ワルツの基本、ナチュラルターンから練習してみよう」


「わかりました」


「私がリズムを取るから、合わせてみてくれ」


 そう言って、ウィステリア様は「一、二、三」と三拍子を口にし、足を動かしました。私も彼のリズムに合わせて左足を後ろに動かします。

 そして、くるりと身体の向きを変えようとしたとき、互いの足が縺れて転びました。


「す、すまない。ラヴァンダ嬢、怪我はないか?」


「い、いえ、大丈夫です。こちらこそ申し訳ありません。もう一度、やりましょう」


 まさか一発目からこんな失敗するとは思いませんでした。私達は互いに謝罪をし、もう一度挑戦しました。

 そして、転びました。今度はターンするタイミングが合わず、態勢を崩してしまったのです。

 

「………」


「………」

 

 私達は無言で顔を合わせました。おそらく、今二人の心は一つになっています。

 あれ、私達予想以上にダンスが下手では、と。

 このままでは舞踏会以前の問題ではないか、と。


「ラヴァンダ嬢、今後、夜に予定はあるか?」


「問題ありません。ウィステリア様こそ、お仕事は大丈夫でしょうか」


「構わない。今は昔以上に下手になったダンスをなんとかするのが先決だ。では、明日以降、ダンスの練習を続行しよう」

 

 その日の夜、私達はひたすらナチュラルターンの練習をしました。

 二人の息が揃ってターンができたのは、満月が空高く上った、夜も更けた頃でした。

 

「できたぞ! ラヴァンダ嬢! 私達はついにやれたぞ!!」


「できましたわ! ウィステリア様! この調子なら、来月までにはワルツをマスターできますわ!!」


 ターンが成功した時、私達は手を取り合って喜び合いました。

 完全に疲労でハイテンションになっている私達を、夜更かししていたメイドが目撃して、「ウィステリア様とラヴァンダ様は夜な夜な怪しい儀式をしている」と噂が流れるのは、また別の話。

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