第6話

 グレード公爵家の屋敷を一言で表すなら、広い。とても広い。広すぎます。

 屋敷が広ければ広いほど良いことがあるのかと思うほど、一つ一つが大きいのです。

 ロビーも大きければ廊下も長い。通された部屋も一人で使うには十分すぎるほど広いですし、何より部屋数が多いのです。迷子になりそうです。というより先ほどなりかけました。ウィステリア様がすぐさま見つけてくださりましたけど。

 当然、これほど大きなお屋敷なら、当主の書斎もそれなりの広さを誇るわけです。

 私とウィステリア様は現グレード公爵――つまり、ウィステリア様のお父様に、挨拶をしに書斎に参りました。

 インクと古本の香りが漂う部屋の中で、ウィステリア様が私を紹介してくださります。


「父上。先日話したラヴァンダ嬢を連れて参りました」


 私は彼の横に立ち、頭を下げました。


「グレード公爵においてはご機嫌うるわしく。ラヴァンダ・ラ・ロシェルと申します。以降、お見知りおきを」


 あらかじめ決まっている挨拶を述べたら、私はウィステリア様の半歩後ろに下がりました。

 グレード公爵は書類から顔を上げ、鋭い目つきで私達をとらえます。私は緊張で額に冷や汗が浮かびました。

 

 なぜなら、ウィステリア様は公爵に嘘を吐いて、私を婚約者にしたからです。

 

 実は、馬車の中で事前に「父とは不仲のためこの体質について相談をしたくない。あなたの魔術については伏せておいてくれ」と彼から頼まれていました。

 ウィステリア様のお母様はすでに他界しておられます。それから父と二人で暮らしているが、あまり折り合いは良くないそうです。

 親と子の仲がよろしくないのは、ご家庭の事情なので深く関わりたくないのですが……二人の間に流れる雰囲気が重たすぎて、彼らに一体何があったのかと問いただしたくなります。場の圧力が半端ではありません。うぅ、お腹痛くなってきた。


「……本当に連れてくるとは」


 グレード公爵はペンを置き、ゆっくりとため息を吐きました。

 年齢は四十半ばから五十歳くらいでしょうか。ウィステリア様と同じく、銀髪と青い瞳をお持ちの方です。お手本のように美しい姿勢と落ち着いた所作は、立場相応の貫禄を感じさせました。

 公爵は眉間の皺を深くし、ウィステリア様に尋ねます。


「女性どころか友人関係すら危ういお前が、ラヴァンダ嬢に惚れた理由は一体なんだ?」


 もっともなご質問です。

 私はウィステリア様をちらりと伺いました。どうお答えするつもりなのでしょうか。

 ウィステリア様は迷うことなく言い切りました。


「一目惚れです」


 うわあ棒読み。しかも大嘘。

 一瞬の躊躇いもなく嘘を吐いたウィステリア様とその内容に、私は頬が引きつりました。

 突然女性を連れてきた理由としては不自然じゃないかもしれませんが、もう少しマシな嘘を考えてもよろしかったのではないでしょうか。これでは嘘だとすぐ見抜かれてしまいますよ。

 

「一目惚れ……」


 グレード公爵は私を見て、ウィステリア様の言葉を繰り返しました。


「一目惚れ……?」


 なぜ二度も言ったのですか、公爵?

 たしかに私の容姿は人並み程度でございますが、わざわざ二度も繰り返す必要はないのでは?


「何を疑っているのですか、父上。ラヴァンダ嬢は野に咲く花のように、素朴で可憐な女性ではありませんか。こんなに素晴らしい方に求婚をして何がおかしいというのです?」


 訝しげむ公爵に、ウィステリア様が反論してくださりました。それはそうともっと演技してください、ウィステリア様。大根役者よりも酷い棒読みです。

 グレード公爵は険しい顔をして、こめかみを押さえました。これ絶対嘘だってバレていますよウィステリア様。あんな下手な演技なら当たり前ですけど。やはり本当のことを話したほうがよろしいのではないでしょうか。

 私の心配とは裏腹に、公爵は顔を上げると「まあ、良い」と言いました。


「お前がそう言うなら信じよう。ラヴァンダ嬢は今日から一年間、この屋敷で花嫁修業をすると良い。ウィステリア、私は領地へ戻るため夕方にはここを発つ。後のことは任せるぞ」


「承知しました、父上」


「あ、ありがとうございます。グレード公爵」


 ウィステリア様が頭を下げるのと同時に、私も慌てて礼をしました。

 公爵は何か思うところがあるのでしょうか、ウィステリア様の嘘を理解したうえで話を承知してくれました。ウィステリア様は不仲だと仰っていましたが、少なくとも公爵は一人息子を嫌っている様子ではありませんでした。複雑な関係なのでしょうか。部外者の私は二人の問題を知る由もありませんが。

 ともあれ、大きな揉め事もなく挨拶も終わって良かったです。公爵の書斎から退出してようやく、私は肩の荷が軽くなりました。ついでにお腹も空いてきました。夕食の時間はいつでしょうか。ちょっと待ちきれませんわ。

 私がこっそり空腹と戦っていると、ウィステリア様が話しかけてきました。


「ラヴァンダ嬢。このあとは夕食まで一休みしたいと思っているが、食事の後に今後の話と、治療を頼みたい。私の部屋に一人で来れるか?」


「迷子になる自信しかありませんわ」


「わかった。なら、私が貴方の部屋を訪れよう。人払いを済ませておいてくれ」


「はい。かしこまりまし……ん?」


 ちょっと待ってください。

 ウィステリア様の言い方では、それは、


「二人きりで、ということですか?」


「? どういう意味だ?」


「私の部屋で、二人きりで集まるという意味です」


「当たり前だ。他の者に治療をわざわざ見せる必要もないだろう」


「えっ」



 えっ。

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