第3話
ウィステリア・ヴァン・グレード様は王国の有名人です。
目を見張る魔術の才能に、類稀なる美貌。特に神秘じみた銀髪と宝石のように美しい青い瞳はご令嬢達から絶大な支持を得ているらしく、その凄まじさは毎日縁談の手紙が彼に送られていると噂されるほど。
その上、ご本人は公爵家の跡取り。ロシェル侯爵家とは違って、きちんと事業も成功しているご家系です。
加えて、魔術師の中でもずば抜けて優秀な宮廷魔術師の一員。しかもまだ二十歳という若さで次期宮廷魔術師司令有力候補。要は宮廷魔術師の中でも出世頭というわけです。
顔良し血筋良し将来あり。
年頃のご令嬢が狙わない理由がありません。強すぎます。
しかし、女性に困らない彼が、成人を過ぎてもなお結婚はおろか恋人すらいないのは、まさに「氷の貴公子」だからです。
社交界が嫌いで舞踏会には滅多に参加せず、例え参加したとしても主催者と知人に挨拶をして一曲だけ踊ったらさっさと帰ってしまう徹底ぶり。もし話しかけることができたとしても、待ち受けているのは無表情無関心塩対応の三拍子。その余りの冷淡さに大半のご令嬢の心は折れ、泣く泣く彼への恋心を諦めるといいます。
その氷っぷりの逸話は舞踏会など参加したこともない私の耳にも届くほど。時には外国の王女に一目惚れされましたが、求婚を断って外交問題になったとかならなかったとか。
とはいえ、私はお客様や両親の話でしか彼を知りませんでした。当然、顔も見たことありません。彼が下を向いて膝立ちしていたせいで、噂の美貌が確認できなかったことも一因でしょう。
その当時の私は、ウィステリア様のことを「お金持ちな男性が苦しんでいる」としか認識していませんでした。私は慌てて彼に駆け寄り、声をかけました。
「だ、大丈夫ですか!? どこか具合が悪いのですか!?」
肩を揺さぶり、意識を確かめます。ウィステリア様がかすかに呻きながら、僅かに顔を上げました。
そのあまりの美貌に私は、
「うわあ! 美形!!」
と、思わずびっくりして、感想を述べてしまいました。緊急事態だということが頭から吹っ飛ぶほどの美形だったのです。
そんな私の奇行を気にせず、ウィステリア様は手袋越しに私の腕を掴み、熱っぽい顔をしながらボソボソと喋り始めました。小声すぎて一度で聞き取れなかった私は、彼の手をしっかりと掴み直し、聞き返します。
「どうしました、男前な方! どこか痛いのですか!?」
「……あ」
「あ!?」
「あつい……」
あつい。
先ほどから熱っぽい様子ですし、おそらく体温が上がって苦しいのでしょう。私は失礼ながらウィステリア様の額に手を添えました。
ふむふむ、確かにじんわりと手のひらに熱が――
「いや、冷たっ!?」
氷のように冷たい彼から、私は反射的に手を引っ込めました。手のひらを見れば、彼に触れた部分が赤くなっていました。少し痛みも感じます。雪に触れて、霜焼けができた時と似た感覚でした。
人の体温とはここまで下がるものなのでしょうか。だとしたら、目の前の彼はかなり危険な状態では……?
尋常ではない汗をかくウィステリア様を見て、私は助けを求めるため周囲を見渡しました。ですが、元々人気のない森の中。そう都合良く人がやってくることなどありませんでした。とにかく、医者まで運ばなくてはと彼の腕を肩に回し、立ち上がろうとした瞬間。
ばきん。
何かが割れた音と共に、彼の腕が取れました。
肩から、ぽっきりと。
「わああああああああ!? 取れたあああああああ!? 腕が取れたああああああ!!」
私は彼の左腕を持ったまま、完全に混乱してしまいました。
思い返せば、服ごと左腕が綺麗に取れるなんてこと普通ではあり得ませんのに、その時は人の命が掛かっている焦りと善意の行動が裏目に出てしまった結果に、私は正常な判断ができませんでした。
「ど、どうしましょう!? えっ! えっ!? どうすればいいのでしょうこれ!! くっつければ元に戻りますか!?」
またもや奇行に走ろうとする私を、ウィステリア様は弱々しく止めました。ぐったりした様子で何か言いたげです。私は彼の正面に回り、耳を澄ませました。
「と……」
「とっ!?」
「溶ける……」
「溶ける!?」
何が!? 腕が!? それとも彼そのものが!?
「わ、私に……」
「私に!?」
「な、にか……ひ、冷やす……ものを……」
「冷やす!? 冷やせばいいんですね!!」
それなら大得意です!!
混乱している中、明確な――それも、いつもの仕事内容と似た――指示が出て、ようやく私は少しだけ正気に戻りました。
そして、私は取れた左腕を脇に抱え、両手をウィステリア様の頬に添えたのです。じんじんと手のひらが痛くなるほど、彼は酷く冷たかったです。急に肌に触れたためか、とても驚いた顔をしています。無礼とは承知の上で、私は手のひらに魔力を集め、慎重に魔術を発動させました。
触れている頬が、どんどん冷たくなっていくのがわかります。おそらく、彼の体温も同様に低下していってるはず。人に対してこの魔術を使用するのは初めてだったので、私はウィステリア様の顔色を伺いながら、魔術の使用を続けました。
魔術師でない素人の私が唯一発動できる魔術。
それは、温度操作の魔術です。
手のひらで直接触れることさえできれば、どんな物でも、温めたり冷たくすることができるのです。
どれほど操作できるのか試したことありませんが、少なくとも、水を一瞬で沸騰させたり、氷にさせることができます。効果は短くて数秒、長くて三ヶ月、任意の温度に固定できます。
これを利用して、私はコルセットやドレスに魔術を付与し、夏は冷たく、冬は暖かくしています。そのおかげで、私は仕立て屋で働かせていただけているのです。ついでにお給料も弾んでもらっています。とても美味しいです。
ただし、当然ですが操作した温度は私の手にも伝わってしまいます。人肌程度なら問題ないのですが、お湯を沸かすと火傷をしたり、氷を作ると凍傷してしまうのが、少々不便でございます。
もちろん、今も手が凍えそうなほど冷たくなっています。
しかし、それでもまだウィステリア様の顔色は優れません。もう冬の外界の寒さほど体温を下げているのですが、彼の顔は僅かに頬の赤みと汗が引いた程度。私は緊張しながらもさらに彼の体温を下げていきました。
そうして、冷たさで手の感覚がなくなった頃、ようやく彼の顔から汗が引きました。顔色も正常でございます。体温は明らかに異常でございますが、とりあえず置いておきます。
「ふぅ。これでどうでしょうか!」
私はすっかり凍えた手を擦りながら、ウィステリア様に尋ねました。
彼は右手で自分の顔を確認するかのように触った後、驚いたように言いました。
「……ああ。大丈夫だ。助かったが……君は一体――」
ウィステリア様は途中、私の横を凝視し始めました。名乗るほどの者ではありません、とかっこよく立ち去ろうとしていた私は、気になったのでつられてそちらを見ました。
そういえば、なんだか右脇が妙に冷たいような……
「――あっ」
見れば、服の右半分は水浸しになっていました。ちょうど、ウィステリア様の取れた腕を抱えていた部分です。
その下の地面には、水溜りができています。その中には長袖部分と白手袋が落ちていました。
「………」
人の腕が水になるわけありません。
ということは、氷で出来た義手だったのでしょうか。そうなると、私は目の前の高貴な方の私物を壊したと同義で……。この場合、損害賠償を支払わなくてはならないということに……。
「………」
私は長袖と手袋を拾い、恐る恐る彼に伺いました。
「……あの。これ、冷やせば元に戻るでしょうか……?」
とりあえず、裁判だけはご勘弁ください。
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