氷の貴公子と呼ばれている婚約者が、私を愛しすぎている
瑠美るみ子
第1話
氷の貴公子とは。
貴族の若い男性の中でも、特に女性人気の高い冷淡な美形を指し示しています。類義語として「氷の王子」や「氷の騎士」も共に上げられます。
特徴は、一見大人びた性格で能力も高く仕事についても有能ですが、人当たりが悪い傾向もあり、他人との関わりを避けていることが多いです。お世辞にも社交性があるとは言えず、親しい知人や友人が少ないタイプです。常にお堅い態度を取っている澄ました男性、とも言えるでしょう。
また、異性に関しては特に顕著で、数多のご夫人ご令嬢からアプローチされるも恋人を作りたくないもしくは興味ないため、大抵は容姿に反して独り身です。一部の過激な行動に被害を受け、人嫌いと併発して女性嫌いを引き起こすこともあるとのこと。
「氷の貴公子」と自称する場合は少なく、周囲が勝手にあだ名として呼んでいるのが大半でございます。当の本人はそれを嫌がっているか、気にしていないかの二択。念のため、本人に直接あだ名で呼ぶのはやめておいたほうが懸命な判断でしょう。
職業も騎士なら副団長や参謀、魔術師なら氷系統など、智略や冷静な判断を求められたり、冷たい印象を持つ立場が多いです。社交性が低いのにある程度の人付き合いや部下のケアが必要な役職にどうして就くことが出来たのか、不思議でございます。家格と本人の処理能力が買われたと私は推測しておりますが、真実は謎のままです。
ともかく、氷の貴公子とは、人嫌い(女性嫌い)で性格は冷たいが高貴な身分で仕事もできるモテる青年、といった認識で間違いなでしょう。
「氷」というのはあくまでも比喩。最初に命名した方も冷淡な性格を揶揄したのであって、まさかその人物が氷であると本気で思っていないでしょう。
当然です。氷で出来ている人間など、聞いたこともありません。現実的に考えているはずがない。そんなことを想像するなど、どう考えても少数派でしょう。平凡な私は人並みな感性しか持っていませんから、「氷の貴公子」といえば冷淡な顔の良い男性のことだとしか思っていませんでした。
彼の婚約者になる前までは。
「――ええっと。ウィステリア様、これはどういう……」
突然のことに混乱している私は、引き攣った笑顔を浮かべてしまいました。
彼の屋敷の中庭。良い天気だから昼食は東屋で取ろうとと提案され、美味しいサンドイッチとデザートまで食べた後。
ウィステリア様は、私の隣に座ったかと思えば、肩に寄りかかってきたのです。
「見てわかるだろう、ラヴィ。甘えている」
その癖、照れる素振りすら見せず、淡々とこんな台詞を平気に吐くのです。
ウィステリア様はとても美しい人です。その美貌は、宗教画を思わせるほど神々しいものです。
腕の良い画家が人間の美しさを究極まで追い求め、計算し尽くしたと言わんばかりの美貌。その形も色も、人を魅了し、釘付けにする。指先から髪の毛一本に至るまで、彼は「美」のみで構成されている。
まさに人外じみた美貌の持ち主。そんな彼の顔が振り向けばすぐ近くにあるのです。ちょっと怖いです。とても心臓に悪い。
「あ、あ~……そう言う気分ですか。くっついて暑くありませんか? 今日は少し、気温が高いですから」
彼の銀髪に陽光が反射し鈍く光ります。群青の瞳が、ゆっくりと私を捉えました。
「君の熱で溶けて死ぬのも、悪くはないな」
優しい目をして、ウィステリア様は微笑しました。
私はもう心臓がばっくばっくです。彼の甘いセリフにときめいたからではありません。洒落になっていないからです。
なぜなら、ウィステリア様は本当に、
「わ、笑えない冗談は止してください。私はまだ獄中に入りたくありません。私のためにも生きてください」
「……冗談だ。ラヴィを罪人なんかにするわけないだろう。それに――」
ウィステリア様は私の髪を一束手に取り、口付けしました。
「もう私は、ラヴィ無しでは生きていけない。ずっとそばにいてくれ……嫌だと言っても、絶対に離さないが」
不穏な発言を隠すことすらせず、堂々と執着宣言をするウィステリア様。その額にはうっすらと、水滴が滲んでいます。汗ではありません。彼の顔が少し、溶けているのです。
どうしてこうなったのでしょう。数か月前の塩対応だった彼はどこにいったのやら。私は婚約した当時のウィステリア様に懐かしさを覚え、なんだか妙に恋しくなりました。あの時の、社交界で噂される「氷の貴公子」ぶりは一体何だったのでしょうか。
ウィステリア様の冷たい体温を肩に感じながら、あのあだ名もあながち間違いではありませんが、と私は遠い目をしました。
私の婚約者の名は、ウィステリア・ヴァン・グレード。
王国に五つある公爵家のうちの一つ、グレード公爵家の嫡子。年齢は今年で二十歳。魔術に長けており、その腕前は次期宮廷魔術師司令有力候補であり――
――文字通り、「氷」の貴公子でした。
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