第12話 娼館

 ある日の夕方、グラーツは都の中心からやや離れたところにあるアドラスの家を訪ねていた。アドラスとその妻が出迎える。


「まぁ、グラーツ様。お久しゅうございます。遠い任地からお帰りなさいませ」


「やあ、アデーレ。貴女こそ、久しぶりだと言うのに変わらぬ美しさだ。子供を産んで、なお輝き増したのでは?」


 と手にキスをする。花束と都で評判の焼き菓子を手渡した。


「嫌だわ、相変わらずお上手ですこと」


「おい、人の妻を口説くな。もちっと離れろお前は」


 中庭には酒宴の用意がしてある。アデーレの手料理だ。


「そう言えば、ベルントはどうした?こっちに帰ってから見てないぞ」


「ああ、あいつは今監査官で、領地周りに忙しいらしい。俺も中々会えなくてな」


 ワインの栓を抜きながら、アドラスは言った。


「で、どうなんだ『氷姫』とは?」


「何でお前が知ってるんだ」


「俺だってお前ほどじゃないが情報網ってのがあるんだ。警備隊長も伊達じゃないぞ」


 自分グラスにワインを注ぐと、瓶ごとグラーツに渡した。グラーツも手酌で並々とグラスをワインで満たす。


「で?どうやって口説き落としたんだ?」


「まだ口説いてもいねぇし、落としてもいねぇよ。ちょっと男避けと、引きこもり娘の社会復帰を手伝ってるだけだ」


「下っ端軍人がちょろちょろしてて、他の男が近づけないって苦情が来てるんだ。俺のとこの部下だが」


「へぇ、なら俺も少しはあのお嬢ちゃんの役に立ってるわけか」


「だよなぁ。お前の好みだと、後腐れない遊びか商売女だもんな。真面目な氷姫と付き合えるわけないか」


 色々と過去の遍歴を知られている分、反論もしづらい。いや、そもそも、別に付き合ってもいないのだから前提からして間違っているのだが。




 次の休みの日、グラーツは昼間から花街に繰り出していた。アドラスの言うとおり、最近ずっとリアリナにかまけて、とんとご無沙汰だったことを思い出したのだ。


 娼館で馴染みの女を呼ぶ。


「身請けされる?!」


 部屋に通され開口一番告げられた言葉に、ついグラーツも声をあげた。


「ええ、いけませんこと?」


「いや、悪がないが。その、急で驚いたな……」


 女はグラーツが珍しく取り乱しているのに気をよくしている。


「急ではありませんのよ。最近誰かさんはすーっかりご無沙汰でしたものね。氷姫にばかり夢中で」


「いや、もう本当にそれはすまないと思っている……」


 聞けば、妻を亡くした成金の後妻になるという。


「地方の別荘でのんびりと暮らしますわ」


「そうか……残念だな。寂しくなるよ」


「はいこれ。『お仕事』もこれが最後」


 と言い、女は小さなメモをグラーツに渡した。さっと目を通すと、グラーツはメモを火にくべた。懐から金の入った包みを渡す。娼館で娼妓に支払われるものより、はるかに多い。


 ソファーに行儀悪く転がりながら、グラーツはため息をついた。


「そうかぁ、いなくなるのかー。そいつは困ったなぁ。頼みたい『仕事』はまだあったんだが」


「もう私は協力できませんのよ。国1番の才色兼備の姫君にでも手伝ってもらったらいかが?」


 返答に詰まったグラーツを見て、女は楽しそうに笑った。


 別れ際、女は珍しく娼館の外の往来まで見送りに来た。


 女はグッと近づき、グラーツの耳元に口を寄せた。


「いい加減、ご自分の気持ちを誤魔化すのはおよしなさい」


「え…?」


 と、グラーツの頬に口付けをした。




 その日リアリナは別の施設へ本を届ける帰り道だった。夜は一人では通りづらい繁華街だが、日中は活気がある。グラーツと来たことのある店で焼き菓子を買い、少し足取りも軽くなる。


 すると、遠くに頭一つ飛び抜けた焦茶の髪。見覚えのある人の姿が見えた。グラーツだ。


 声をかけようかと思った瞬間、グラーツの頬に着飾った艶やかな女がキスをするのが見えた。腕を絡め親しげな様子で、ただの知り合いには見えない。そういえば、この辺りは花街でもあることを思い出す。


 リアリナは口を固く紡ぎ、足早にその場から離れていった。


 帰りを急ぎながら、リアリナは胸を抑える。なぜ動悸がするのか。なぜこんなにも泣きそうな気持ちなのか。自分でも説明が付かないくらい動揺している。頭がグチャグチャと混乱する。


 せっかく買った焼き菓子も、全く味がしなかった。

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