夜明けの王子様

霞(@tera1012)

第1話

”アンデルセン童話『人魚姫』における主人公の恋愛の成就可能性に関する検討”


 カーテンの外では、夜が明けているらしい。薄明るくなった1DKの室内の白壁に映し出された文字列を、私はぼんやりと眺める。


「題名、長くない?」

「突貫作業で作った資料だ、文句言うな」


 壁の文字列の隣で、こちらを向いた佑馬ゆうまは、いつも通りの無表情で眼鏡をくいっと上げた。


「お前は成長がなさすぎる。これから改善策について、童話モデルケースを基に分析、検討する」

「はあ」


 佑馬の口調は、完全にスイッチが入っている。電車が動く時間まで、もうちょっと寝てたかったな。私は大あくびをする。

 佑馬は表情を変えず、パッと、壁に映ったパワーポイントの画像が切り替わった。相変わらず、文字が多めのスライドだ。



 今日の、いや、日付が変わったから昨日の、になった、私の誕生日は、散々だった。

 1週間前に告白した、優しくて仕事のできる職場の先輩とディナーに行った。先輩は大人で、さりげないエスコートもスマートで、ご飯もとっても美味しかった。食後にホテルのバーラウンジに移動して、きれいな夜景を見ながら、先輩は、YESの返事をくれた。それから、隠し事はしたくないから、と、結婚予定の本命の彼女さんがいることを、話してくれた。


 マジで最悪。


 そこからは正直あまり良く覚えていないけど、気がついたら佑馬の部屋に転がり込んでいて、缶チューハイ片手にくだを巻いていた。佑馬は学会の発表が近いとかで、私に背を向けてひたすらPCを睨んでいた。


 その無反応な背中に向かって、王様の耳はロバの耳とばかりに愚痴るまでが、嫌なことがあった日のルーチンのワンセットだ。

 いつもと違ったのは、明け方に佑馬に揺り起こされたことだった。




「人魚姫は、目的達成への様々なプロセスで致命的なミスをしている。まず第一に、交渉力の欠如。唯一のコミュニケーション手段である音声言語と、一番のアピールポイントである美声を同時に失い、得るものが歩けない脚など、どう考えても等価ではない。第二に、リサーチ不足……」


 スライドが5枚ぐらい変わったところで、コホン、と、佑馬が咳払いをした。


「ところで、こう分析を進めてきたが、視点を変えてみよう。仮に人魚姫が王子に、私が命の恩人ですよ、と伝えることができたとする。それによって、果たして王子は人魚姫を愛したのか。俺は、その可能性は低いと推測する。何故なら、一目ぼれとは外見と状況の要因が並立して成り立つものであり……」


 そこから、スライドが5枚。

 最後であろうスライドが映し出された。


“結論 どう頑張っても、人魚姫は王子の一番にはなれない”


 そこまでぼんやりと移り変わるスライドを眺めていた私は、ふいに、抑えがたい笑いの発作に襲われた。

 小さいころから、佑馬は聡すぎて、周囲と軋轢が絶えなかった。人は、痛いところを突かれると逆上し相手を憎むものだ。でも、私に向けて、その鋭利すぎる知性のやいばが向けられたのは、初めてだった。

 今回かけた迷惑で、私は心底、佑馬に嫌われてしまったようだ。


「そうだよね。ハイスペ男子にいくらアピっても、初めから好みじゃない女が一番にはなれないよね。……ごめんね、大事な仕事の邪魔して。もう、ここには来ないから……」


 ふへへ、と笑う。さすがに、心はずだぼろだった。

 佑馬は微かに眉をひそめる。パワポの画面が切り替わった。


“解決策 勝てる勝負をする”


「……?」


 佑馬のプレゼンではあり得ないことに、論理が飛躍しているように思う。まばたきをする私に向かって、佑馬はいつもの淡々とした声で言う。


「人魚姫は、自分のフィールドで戦うべきだった。そこでは彼女は、初めから勝者だったのだ」

「……??」

「俺にしておけよ」

「……」


 とっさに、何を言われているのか分からなかった。


「え、……もしかして私、口説かれてる?」

「……そこを言語化するか……」


 相変わらず無表情だが、佑馬の耳のふちが赤くなっているのを、私は見逃さなかった。


「佑馬、私のこと、好きだったの?」

「……逆にどうして、今まで気づかないんだ」

「いや……分かんないよ、言語化してくれないと」


 すう、はあ、と、呼吸音。


「好きだ。好きだった、ずっと前から」


「……っ。何で、今、言うの……」


 私が長い片想いに見切りをつけようと決心して、佑馬のアパートに入り浸るのをやめて慣れない恋愛ごとに奮闘し始めたのは、1年前の誕生日からだった。


「できれば、もっといろいろ上手うまくやれる奴と、幸せになって欲しかった。でも1年経ってもお前は変わらないどころか、状況は悪くなってる。……もういいだろ、俺で」

「……」


 夜明けの光。どんどん明るくなっていく部屋の中で、パワポの文字と、私を見つめる佑馬の顔が、にじんでぼやけていく。


 こくりとうなずくと、涙が一粒、ポロリと落ちた。


 ああ、私、泡にならずに、済んだんだなあ。


 ゆっくりと近づいてくる佑馬の瞳を見つめながら、私はぼんやりと思っていた。

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