夜明けのマーメイド
ミドリ/緑虫@コミュ障騎士発売中
夜明けのマーメイド
月明かりが射し込む豪奢な寝室。
するりとベッドから抜け出すと、まだ少しあどけなさを残すユリウスの寝顔を見下ろす。
少しうねる金髪。日に焼けた小麦色の肌。
繋がったと同時に感じる喪失感に、シャナンの頬に涙が伝った。
彼はこの領地の領主の息子だ。毎年夏になると、海しかないこの地に避暑に訪れる。
見る度に凛々しくなる彼の姿を遠くから眺めるのが、シャナンの密かな楽しみだった。
シャナンたち人魚の間では、アレは我々の敵だから万が一甘い顔をされても気を許すなと言われていた。
日頃は静かな地に彼らが訪れると、仲間は深い海へと避難する。シャナンはいつもの様に夕日を眺めていたので、仲間たちがいないことに気付かなかった。
夕暮れ時の岩場。ここから眺める海に沈む夕日が綺麗で、いつも水面から肩だけ出し、沈み切って空が闇に侵食されるその瞬間まで眺めるのが好きだった。
その時、ふいに背後から声を掛けられる。
「君は誰?」
振り返ると、不安定な岩場に立っていたのはユリウスだ。遠くから眺めては心の中で「可愛いな」と思っていたけど、仲間の手前、口が裂けても言えなかった。
人間は人魚の敵だ。奴らは人魚の肉を「不老不死の薬」として食らう。そんな効果、ありはしないのに。
適合した者だけが傷が塞がりやすく病を得にくい身体となるだけで、適合しなければ嘔吐と下痢を繰り返した後、弱って死んでいく。
そんな諸刃の剣なのに、彼らは馬鹿な噂を信じては人魚を狩るのだ。
人魚の個体数は激減し、シャナンより若い人魚の個体は数える程度しかいない。元々繁殖力が強くなく、伴侶となるべき男が殆ど生まれないことにもその原因はあった。
男が生まれれば、大事に育てられる。シャナンや他の若い人魚は、唯一の男の人魚、セドと番うことが定められていた。
子孫を残さないと一族は絶えるのは分かってる。だけど、まるで群れの王の様に振る舞うセドが好きではなかった。
夕日を眺め始めたのもそれが原因だ。あそこにいると、皆がセドを男だからと褒め称える。
だから、巣に戻って寝る前にギリギリまで夕日を眺めるのが日課になった。セドは臆病だから、水面から出ない。太陽の光が水面上では揺れないことを、知ろうともしない。
「僕はユリウスだ。君の名前は?」
人間は近づいてはならない。甘い顔をして近寄ってきて、人魚の肉を欲するから。
でも、シャナンは答えてしまった。
「シャナン」と。
◇
その日は、そろそろ戻らないと執事がうるさいんだと言って去っていったので、それで終わった。
シャナンが巣に戻ると、誰もいない。深い海に潜ったのだと気付き、今から向かおうかと考えた。
――でも。
誰も見ていないなら、ユリウスと話が出来る。そう思い、シャナンはその場に残ることにした。
次の日も、鮮やかな夕日が見え始めた頃、シャナンは岩場に向かった。すると、そこには先客がいた。ユリウスだ。
ユリウスは、海の中に沈むシャナンの下半身が鮮やかな赤色をしているのを見ても、何も言わなかった。
「僕さ、話し相手が欲しかったんだ」
そう言って笑うユリウスに、元々彼に興味を持っていたシャナンに拒絶する理由はもうなく。
それからというもの、毎日この時間になると二人はここで逢瀬を繰り返した。
シャナンは、ユリウスに事実を伝えた。人魚を食べても不老不死などにならないと。元々は、人間に捕まった人魚が人間に擬態し、多少の傷なら即座に塞がる回復力を持つ人魚を見て勘違いしたのだろうと説明すると、ユリウスは俄然興味を示す。
「擬態? シャナン、人間の姿になれるの?」
会う度に熱を帯びてくるユリウスの瞳の意味を、シャナンは察していた。何故なら、自分も同じ目をしていたから。
「人間の血を摂取すれば、数時間の間は……」
「血はどれくらい?」
ユリウスが食い気味に尋ねる。少しでいいと思うと答えると、ユリウスはガリッと自分の唇を噛んだ。躊躇いもなくシャナンに口づける。
シャナンの口に広がる血の味。やがてユリウスが口を離すと、そこにいたのは全裸の人間の女性の姿となったシャナンだった。
◇
ユリウスはシャナンの身体を自分の上着で包むと腕に抱き、屋敷へと連れて行った。後先のことは考えられずに、二人は無我夢中で愛し合った。
ずっと傍にいて。ユリウスは何度も言った。その度にシャナンは微笑み、でも何も答えなかった。
ユリウスの本拠地は内陸にあるらしい。海のない土地で人魚が暮らしていくには、ずっと人間の血を摂取しなければならない。
人間の血がなければ陸で生きられない、人間の常識もない女だ。いずれ飽いて、人間の女を伴侶とするだろう。
そういう人魚を、何人も見てきたから。
だからせめて、彼がここにいる間だけ。
夜明けが近い空を眺める。腰の辺りから、徐々に鱗が浮き始めた。
ユリウスは、明日も岩場に来るだろうか。
来ないなら来ないで、自分はあの美しい夕日をひとり眺めよう。
そう考えながら、シャナンはひとり海へと戻っていった。
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