第44話 門
くそっ、勝手なことばっか言いやがって。
陽虎は足元に生えた草を蹴り飛ばした。
シャルロッテと関わって、いい事なんかなかった。むしろ最悪だった。
なにしろ出合い頭に首を刎ねられ、気付けば幽霊、そして哀れにも下僕の身だ。
本来関係ないはずの争いに巻き込まれ、さんざんな目に遭わされて、自分ばかりか櫻子の命さえ危うく失われるところだった。
シャルロッテに悪意はなかった。陽虎もそれは分っている。しかし悪意がなければいいというものではないし、せめて最後に頭の一つも下げてみせるかと思って、こうしてやって来たのだ。それなのに。
――永遠にシャルロッテの下僕だって? 冗談じゃない。
陽虎は自称主を強く睨みつけた。
宙空から抜き出した剣を構え、シャルロッテは極度の精神集中状態に入っている様子だった。シュリギアの刃が、蒼白い火花のような光を発している。今はもう普通の身の陽虎にさえ、内部に凄まじい量の霊気が凝縮しているのが感じ取れる。うっかり触れでもしたら、それだけで体がばらばらに引き裂かれてしまいそうなほどだ。
だが陽虎が後退りすることはない。大地を掴み締めるように足を踏ん張り前を向く。
一陣の疾風が吹き過ぎた。足元の草が大きく波打つさなか、シャルロッテはおもむろに天を仰ぐと、右手を剣の柄から放し、持っていた霊珠を頭上へと投げ上げた。
どこにでも転がっていそうな黒ずんだ丸石が、重力を無視して宙にとどまる。
「きゃっ!?」
「眩しっ……」
「くっ」
突如として放たれた極小の太陽さながらの輝きに、櫻子と晴日が悲鳴を上げる。そして陽虎が根性で正面を見据え続ける先で、シャルロッテは静かに霊剣を構え直した。
「しゃっ!」
裂帛の気合と同時、虹のような弧を描いた刃は周りに迸る光もろとも霊珠を縦一文字に断ち切った。中心を貫く線はさらに上下の空間にまで伸びていき、やがて出現した裂け目がゆっくりと左右に広がる。
その向こうには草原があった。今立っている場所とさして変わらぬ風景だ。
だが陽虎はそれがこの世界の別のどこかだとは一瞬たりとも思わなかった。
存在感の次元が違う。未だ距離を置いて眺めているだけなのに、空気の一粒一粒に触れられそうな気さえした。
あそこから、シャルロッテはやって来たのだ。
そして今また還ろうとしている。
シュリギアを
思わず握り締めた爪が掌に食い込み、生身ならではの尖った痛みに、陽虎は微かな呻きを洩らした。
まさか聞こえたわけではないだろう。
だが異世界へと通じる境界の手前、シャルロッテは忘れ物でも思い出したみたいに立ち止まり、振り返った。
ふいの強風で砂ぼこりが巻き上がる。陽虎は咄嗟に顔をしかめ、腕を上げて目元を庇う。
「じゃあな、陽虎」
シャルロッテは小さく笑った。陽虎は息を呑む。戦いのさなかには猛々しいまでに輝く瞳に、今浮かんでいる光は、まさか。
「え……あ」
しかし確かめるだけのいとまはなく、シャルロッテは前に向き直ると、迷う色を見せず門を越えた。
美しくも力強い背中は、未だ陽虎の視界の内にある。しかし既に異なる時空に移ったシャルロッテが再び振り返ることはない。本来交わるはずのなかった二人は、永遠の別れの際にいた。
「シャル……」
知らず、足が一歩前に出る。そして二歩目をさらに大きく踏み込んだ陽虎は、三歩目には強く地面を蹴った。
「シャルロッテ!!」
自分がどうするつもりなのかも分らないまま、全力で走り出す。
「よ、陽虎!?」
「おにぃ! 櫻子ちゃん!」
驚き慌てる声が後ろから追ってくる。けれど止まらない。止まれない。
空間に開いた門がだんだん狭くなっていく。もしあの道が失われてしまえば、もはや陽虎に為す術はない。
陽炎のように揺らめく境面めがけて精一杯手を伸ばす。指先が水に触れたような抵抗に遭うが無視してそのまま突っ込んだ。
大丈夫、死にはしない。それにたとえ死んだってまだ終わりじゃないのは身を以て知っている。
それにしても馬鹿なことをしている、と思う。
出会い頭に自分の首を斬り飛ばした相手を、違う世界にまで追い掛ける。全く正気の沙汰じゃないし、下手をしたら的外れな誤解だってされそうだ。
たとえば交尾をしたがってるんだとか。むしろ恨みを晴らしたがってるんだとか。実は吊り橋効果的なやつで、いつのまにかシャルロッテのことを……とか。
もちろん本当はそうじゃない。でもそれなら本当はどうなんだ。
答えの見つからない問いに惑い、門を越えようとする勢いが鈍くなる。
行ってどうする。この先は陽虎がいていい場所じゃないはずだ。シャルロッテとの日々は荒唐無稽な夢だった。そう思って全部忘れてしまうのが健全な判断というものだろう。
ゆっくりと、シャルロッテの後ろ姿が遠くなる。陽虎はそれ以上前に進むことをやめた。既に境界を越えていた手首から先を、こちら側に引き戻す。
「あれ……?」
もとい、引き戻そうとした。
「嘘だろ、抜けなっ」
単に抜けないばかりではない。じりじりと向こう側へ吸い込まれていっている。
まさか、この門は一方通行なのか。戦慄が背筋を駆け上る。
別の世界に行ったきり還れなくなるなんて、そんなのは絶対に駄目だ。
「陽虎! 待ちなさい、待って!」
「おにぃ、危ないことしたらいけません!」
なぜならこの世界には自分の大切なものがある。陽虎は全身全霊を挙げて門からの脱出を図った。もし何もしないで異界に流されたりしたら、きっと心が折れてしまう。
境界の拘束は強かった。引っ張り合いに耐えかねて、腕の細胞がぷちぷちと千切れていくような恐怖さえ覚える。しかしなおも陽虎は力は緩めない。
「くはっ」
そしてついにわずかな手応えを得た。計れば一ミリメートルに満たないかもしれない。だが間違いなく手首が自分の方に近付いた。
「ここだ! 行っくぞぉー!」
高らかに雄叫びを上げ、最後の一押しならぬ一引きに残る全ての力を注ぎ込む。確信があった。きっとあともうほんの少しでいける。自由を取り戻すことができる。そしてふっと手首の枷が外れるのを、まざまざと陽虎は感じた。
まさにその刹那だった。
「そしたらわたしも行くっ!」
「おわっ!?」
ほとんど体当りする勢いで、櫻子が陽虎の背中にしがみついた。ひとたまりもなく陽虎は重心を失って、櫻子ともども前のめりに転げて草原に突っ伏した。
「……痛ぇ。鼻の頭打った」
だが幸い血は出ていないようだ。背中で櫻子が身動ぎをする。
「んっ……ごめん陽虎、平気?」
「どうにかな。それより門はどうなって……」
陽虎は顔を上げ、周りを見回そうとした視線が一点で静止する。
女がいた。
長身だ。引き締まった肢体に黒革の上下の短衣を纏い、露出した肌は艶やかな黒褐色に照り輝いている。背中に垂れる癖のある蓬髪が翼のように翻り、女は振り返った。驚きとも呆れともつかぬふうに見開かれた瞳に、やがて強く猛々しいほどの光を瞬かせ、そしていとも楽しそうに。
「よく来たな、陽虎。ここがあたしの世界だぜ」
シャルロッテ・スピアーズは
(了)
異世界から転移してきた美少女剣士にいきなり首チョンパされたうえ下僕にされた件 しかも・かくの @sikamo
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