第14話 交渉

 櫻子は戸惑った。これまで特に気にしたこともない会社の名前をいきなり持ち出されても、どう考えていいのか分らない。

 晴日もはいそうですかとは納得しない。


「何か根拠はあるんですか? ポチがただ個人的にそう思っているというだけではお話になりませんよ。ちゃんと分るように教えてください」

「はっ、行き届かず申し訳ありません。俺が浅はかでした。かくなるうえはこの卑しき牡犬めに、どうかきついお仕置きをば」


「あとでしてあげます。まずは説明を」

「じゃあ細かいところは省いて、要点だけ」

「……え、あとでお仕置きとかするの? 本当に?」

 櫻子は恐る恐る呟いた。だがあとの二人は当り前のように本題に移る。


「陽虎君の遺体が奇妙な状態だったのは事実だ。もっとも俺は直接見たわけじゃないんだがな。詳しく検査すること自体は何も変じゃないとして、しかし所轄の捜査担当者に一言の断りもなく遺体を回収するってのはさすがに異常だ。そのうえ警察本部の施設じゃなく、外部の協力研究機関とやらに移送されたらしい。場所は部外秘だから俺には教えられないそうだ。てっきり俺は自分が内部の関係者のつもりでいたんだが、違ったらしい」


「……うーん、それってつまりどういうことなの?」

「ですね。矢部製薬との繋がりが全く不明です。ポチはまだわたし達に隠していることがありますね。飼い犬の分際で不届き千万です」

「実はそうだ」


 晴日の疑惑を蜷川はあっさり認めた。だが素直に秘密を白状するどころか、逆に圧力を掛けるように視線を強める。


「だけど隠し事はそっちも同じじゃないのか? ご主人様と、そのお友達さんよ」

「な、なんのことかしら? 全然意味分んないんですけど! だってわたし達は何も隠してなんか……ね、そうだよね晴日ちゃん」


「ふぅ」

 全力でため息をつかれてしまった。櫻子はしゅんとする。確かに、いくらなんでもわざとらし過ぎたと自分でも思う。


「どんまいです」

 晴日は櫻子をいたわると、刑事の方へ向き直った。蜷川は得意げに口の端を緩める。

「話してくれる気になったかい」


「わたし達が何を隠していると言うんです」

「さてな。ぶっちゃけ見当もつかない」

 お手上げという仕草をする。


「だが、さっき晴日ちゃんは『おにぃ』の命が懸かってると言った。しかし君の『おにぃ』、高水陽虎君はもう亡くなってる。死者の命の心配をするなんて妙な話だ。それになぜやたらと遺体にこだわってるんだ。故人を慕う余りというにしては、君達はさほど悲しそうでもない。疑うのが商売の刑事としては、矛盾を説明するような裏の事情があるんじゃないかって勘繰らずにはいられないよ」


 櫻子は一つの反論も思い付かなかった。蜷川の指摘は正しく的を射ていた。

 晴日はどう応じるつもりだろう。年上なのに甚だ情けないが、聡明な少女の機転に期待するしかできない。


 己の優位を確信して余裕綽々といった様子の蜷川に、晴日は手を伸ばした。

「ちゃんと気付きましたか。偉いですよポチ、褒めてあげます。よしよし」

「えへへ」


 頭を撫でてもらった蜷川がはにかんだ笑顔を浮かべる。三十は過ぎていそうなおっさんと、小六女子の絵面である。なかなかに脅威的だった。


 晴日が櫻子の瞳を窺う。

 さすがにキモいのでどうにかして、という救援要請ではなかった。

 陽虎と、そしてシャルロッテのことを明かしていいかと訊いているのだ。


 普通に考えるなら、ノーだ。あんなことを他の人間に、しかも刑事に話したところで、まともに取り合ってもらえるはずがない。事件のトラウマで頭が変になったと思われるのが落ちだろう。


 しかし櫻子は頷いた。毒を食らわば皿までだ。晴日がいいと思うのなら、ここはこのロリコ……もとい、晴日に好意的な刑事に賭けてみるべきだった。


 晴日は櫻子に頷きを返して、蜷川と相対した。

「ポチ、あなたのことを信じてもいいですか」

「もちろんだ」

 蜷川は即答した。晴日は刑事を凝視する。ちろりと舌を出して唇を湿すと、再び口を開いた。


「これからあなたをある場所に連れて行きます。そこで見るもの、聞くことは他の人には絶対に内緒です。約束できますね」


 今度は蜷川は間を置いた。思案する様子でこめかみに指を当てる。

「内容によるな。これでも警官の端くれだ。違法行為を見逃すような真似はできかねる」


「けど法は万能ではないです。きちんと裁けないような想定外の出来事だってあります。違いますか?」

「違わない。だけどそれを決めるのは君じゃない。違うか?」


 蜷川は鋭く切り返した。しかし晴日は怯まない。

「そしたら、あなたが自分の意思と責任において判断すればいいです。そのあとでどういう行動を取ろうと恨みはしません。ついてきてください」


 蜷川は本気で感心したように晴日を見つめると、言った。

「一生ついていきます」

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