第3章 廃校舎で隠れんぼ
第13話 怪異だらけの夜の学校
その学校は、宵闇に包まれていた。
一般的なコの字型の、四階建てのコンクリート製の校舎。古びた印象はあまりしないが、もう本来の用途では使用されていないのだろう、光源は非常口を示す緑色の照明だけが唯一だった。
非日常的な緑の光が照らし出す世界は、悪夢に迷い込んだ錯覚を強くさせる。あるいは、それは錯覚ではないのかもしれないけれど。
校門前で人気の無い校舎を見上げながら、まりあはごくりと喉元のものを嚥下した。
「病院もなかなかだったけど、夜の学校って、どうしてこんなに怖いんだろうね」
「うん、凄みがあるよね」シフォンが同意する。
掲げられた表札は、病院の時同様に摩耗して読み取れなくなっていた。〝□□□□□□学校〟……これでは小学校なのか中学校なのか高校なのかも分からない。
まりあは確認がてらクラウンに訊ねてみた。
「クラウンは、ここでわたしみたいに光ってる子を見たんだよね」
「そうだヨォ。確かにまりあチャンと同じ光り方だったと思うヨォ」
それならば、やはり自分以外にもこの世界に生きたまま迷い込んでしまった子が居るのかもしれない。
「早いところ見つけてあげなくちゃ」
たった一人でこんな暗くて怖い場所に居たら、不安で堪らないだろう。
自らを鼓舞して、まりあはおどろおどろしい雰囲気を放つ夜の学校の門を潜った。途端に、冷えた空気が身体に纏わりつく。門の内外で明らかに体感温度が異なる気がした。……単純にだだっ広い空間に風が吹きさらしている所為とも考えられるが。
(やだ、わたし変に意識しすぎかも)
歩を進める毎に足が重くなっていくような感覚を覚えていると、実際にズシン、ズシンと重量のある足音が聞こえてきたのだ。気の所為だろうと思っていたら、シフォンが「何の音?」と怪訝げな声を上げたので、どうやらそういう訳でもないらしい。
「みんなにも聞こえてるの?」
「うん、聞こえてるよ」
「ああ、これはアレだヨ」
まったりとした調子で、クラウンが校庭の方を指さす。緑の照明の届かないそちらは紅い満月の光だけが頼りとなるが、暗闇に目が慣れてしまったのか、不思議とその姿を捉えることが出来た。
歩く人影。本を片手に薪を背負った、古めかしい着物姿の全身色の無い男の子。
「に、二宮金次郎が歩いてる……」
勤勉の象徴として小学校などに建てられる銅像でお馴染みの彼だ。クラウンが感心したように顎を擦った。
「まりあチャンは知ってるんだネェ。今時の子はもう知らないんだと思ってたヨォ」
「危険はないの?」
「大丈夫だヨォ。彼はああして時折歩き回るケド、それだけで何の害もないカラ。銅像もたまには動かないと運動不足になっちゃうもんネェ」
「そういうものなの……?」
クラウンと話しているとどうにも緊張感が抜ける。こういう局面においては、むしろありがたいことかもしれないけれど。
「あの子も亡者なの?」
「ウウン。あの子は怪異カナ」
「怪異?」
「まりあチャンの学校にも無かっタ?『夜になると二宮金次郎像が動き出す』とかいう類の七不思議。ここではそういうのが全部実在してるんだヨネェ」
「えっ」
「ああ、そうか。この世界自体、住人達の記憶や想いの欠片で出来ているから、共通認識度の高い怪談話は全て具現化されているんだ」
得心がいったようにシフォンが言うが、まりあには今一分からなかった。
「つまり?」
「魂を持った亡者とは別に、魂を持たない怪談由来のおばけ、どっちも出るってこと」
「……おばけだらけで大変じゃない」
「そういうことだね」
「学校怪談だけに限らないけどネェ。てけてけとか口裂け女とかの都市伝説系も町の方ではちゃんと出るヨォ」
「出なくていいんだけど」
何だか先が思いやられる。
「でも、金次郎が居るってことは、ここは小学校かな」
改めて校庭を見回してみると、隅の方には
「どうだろうネ。小中高、全部混じってるカモ」
「とにかく、校舎の中に入ってみよう」
小首を傾げるクラウンを置いて、シフォンが音頭を取る。まりあが頷いて続こうとすると、クラウンがのんびりと引き止めた。
「あ、ちょっと待ってェ」
「うん?」
頭上から絹を引き裂くような甲高い悲鳴が響き渡った。
「きゃあああああああー~っ!!」
「!?」
ギョッとして振り向くと、まりあは校舎から落下する人の姿を目撃した。それなりに離れているのにハッキリと、やけにゆっくりその動作が目に焼き付く。
セーラー服の女生徒だった。頭を下にして、一直線に地面へと向かっていく。天を指して靡く黒髪。恐怖に見開かれた瞳、口。絶叫が迸る。
「まりあ、見ちゃ駄目だ!」
シフォンの忠告と同時に、大きな掌がまりあの両眼を後ろから覆った。直後、何かが叩き付けられるような鈍い破砕音だけが耳に届く。
沈黙が辺りを満たした。
「い、今の、音……」
まさか、と喘ぐように息をしていると、目隠しをしていた手がそっと外された。見てはいけないと思いつつも、視線が音のした方へと向いてしまう。どくどくと激しく主張する鼓動。干上がる喉。しかし、悪い予想に反して、そこには何も無かった。
「あれ?」
ホッとしたが肩透かしを食らったようで、まりあは鼻白んだ。すると、シフォンが鋭い声を飛ばす。
「あ、あそこ!」
彼の示した先、屋上に目を遣ると、なんと先程のセーラー服の女性徒の姿があった。フェンスの外側、遮るもののない空間に立ち、今にも飛び降りてしまいそうだ。
「あの人、何で? さっき、確かに……」
「『屋上から飛び降り自殺する女性徒の霊』……カナァ。大抵ああいうのって、死んでも死にきれなくて何度でも自殺の瞬間を繰り返すって言うしネェ」
クラウンがのほほんと推論を述べた。先程まりあの目を塞いだのは、言うまでもなく彼だ。
「校舎に近付こうとすると出るんだヨネェ。下手するとぶつかっちゃうカラ、タイミングを見て通ろうネ」
「何その嫌なアクションゲームみたいなの」
(ていうか、怪談の方のおばけ……なんだよね?)
ではなく、魂のある亡者の方だとしたら――。
(深くは考えない方がいいのかも)
まりあが努めて思考を放棄すると、程なくして先程と全く同じ、神経を逆撫でするような悲鳴が再度空気を裂いた。
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