第9話 遭遇
「あの……ちなみに、この病院でわたしみたいに光っているものは見ませんでしたか?」
まりあが訊ねてみると、包帯まみれの医者は復元の手を止めることなく言った。
「さぁな。俺はそれらしきものは見ていない。ナースくん、君はどうだ?」
問われたのは、ドクターの傍でアシストをしていたゾンビナースだ。ドクター程ではないが、頭から右目にかけてと腕や足の所々に包帯が巻かれている。一部異なる色の皮膚を継いで剥いだ痕も見受けられるが、よく見ると艶っぽい、綺麗な人だった。
まりあの方に視線を向けると、彼女は思案するような間の後にぽそりと零した。
「そういえば……」
「心当たりがあるの!?」
「何処かでそんな光を見たように思うのですが、何せ移動の途中に見かけたものですから……廊下だったかもしれません。あまり、ハッキリと何処とは申し上げられませんが」
「探してみてもいい?」
これに答えたのは、ドクターだった。
「構わないが、その光の意味に気付かれたら他の患者達に目を付けられないとも限らない。ナースくん、案内がてら付いててあげてくれ。こっちはもう大丈夫だから」
「分かりました」
「ボクはァ?」クラウンが自身を指さして首を傾げた。
「お前はここに居ろ。うろちょろするな」ドクターはにべもない。
「ハァイ。まりあチャン、シフォンくん、また後でネェ」
切断された腕を陽気にぶんぶん振るうクラウンを置いて、まりあ達は診察室を後にした。周囲を注意深く観察しながらナースに続く。
廊下は閑散として、冷気が凝っていた。
患者の多くはロビーで待機しているのだろう、奥の方には
「ここのお医者さんは、ドクターだけなの?」
「今は、そうですね。看護師も含めて、前はもう少し医療従事者が居たのですが、錯乱したり自我を失ったりで、ぽろぽろと欠員が出てしまい……」
「そうなんだ……」
予想以上に深刻な解答が来て、まりあは反応に困った。
誤魔化すように、問いを重ねる。
「どこに向かっているの?」
「入院病棟の方です。光を見たのはその辺りだったと思うので」
「入院している人が居るんだね」
「はい。生前に何らかの病だった方は、亡くなられた後もその症状が継続するようで……癒えることもなければ治療も不可能なのですが、習慣というものでしょうね。私共もですが、生前と同じルーティンを熟す癖が付いてしまっているのです」
「そうなんだ……」
無意味だと分かっているのに、同じことを繰り返すのか。
思うと、心が水を吸ったように重くなる。
会話が途絶えると、廊下には沈黙が落ちた。完全な静寂ではない。自分達の足音に混じり、時折何処からか呻き声や叫び声が漏れ聞こえてくる。
不気味な音声の中を
「ねぇ、まりあ。本当に大丈夫なのかな? この人に付いてきちゃって。変な所に連れて行かれたりとかしないよね?」
「その心配には及びません」
当のナースが先に返答を寄越してきたものだから、シフォンは「ぴゃっ」と飛び上がってしまった。ばっちり聞こえていたらしい。彼女は振り返ることなく告げた。
「そんなに警戒しなくても取って食いやしませんよ。私や先生は自殺組ですから。後悔もしていませんし、再びあちらの世界に戻りたいとも思わないので、生命の光には惹かれないのです」
「じさつって、自分、で? どうして……」
訊いてしまってから、まりあはハッとして口元を押えた。それはたぶん、訊かれたくないことだったのではないか。しかし、ナースは別段気分を害した風もなく普通に話してくれた。
「私は医療ミスで患者を死なせてしまい……
語るナースの口調は、途中から熱が入り、最後には
(ナースさん……もしかして)
急激な寒気がまりあを襲ったのは、その時だった。
肌を刺すような威圧感に煽られ前方に向き直ると、廊下の先に闇が
院内の暗がりよりも一段と濃く重く、大きな黒い
姿形は定まらず、ドライアイスのように常に流動しているが、見つめているとまりあは何故だか異様に不安な心持ちになった。
鼓動が厭に煩く主張し、首筋からじわりと冷や汗が伝う。胸が塞がって息苦しく、ぐわんぐわんと目眩がした。
徐々に身体の感覚が遠のいていくようで、握り締めた指先は震え、足は地面に張り付いたみたいに動けなくなってしまった。
「まりあ? どうしたの?」
シフォンが心配そうに問い掛ける。まりあが答えるよりも先に視線を辿り、彼女の見ているものを視認すると、彼は瞠目した。
「何だ? あれ……」
ナースも同様にそれを見て、怪訝げに眉を顰める。
「分かりません……私も初めて見ます」
亡者なのか、何かの現象なのか。正体の判然としない黒い影。一同が息を詰めて見守る前で、それはゆっくりと大きさを増していく。――近付いてきているのだ。
その事実に気が付くと、まりあの全身を戦慄が駆け抜けた。うぶ毛が一斉に逆立ち、鼓動が警鐘を鳴らす。
「いやっ! 来ないで!」
「まりあ!?」
まりあは衝動的に逃げ出した。彼女の突然の行動に驚きつつも、シフォンが後を追う。出遅れたナースが二人を呼ぶ声を背に、振り向きもせず
階段を上がり、目に付いた適当な扉を潜り抜けて、室内に転がり込む。中の様子を窺う余裕もないままに、ぴしゃりと閉ざした扉に張り付いて、外の気配に息を凝らした。
今にもあの黒い影が
「……もう、行った?」
小さく震える声を吐き出して、僅かに開いた扉の隙間から外を確認する。そこに何の姿もないことを見て取ると、ようやくまりあは人心地着いた。
「大丈夫みたいだよ」
シフォンも室外を覗き込んで言う。
「あれは何だったのかな、まりあ」
「分からない……でも、何だかすごく怖かったの」
自分でも上手く説明できないけれど、とにかくあれは良くないものだと直感が告げていた。今はそれも止んでいるが、すぐには廊下に出る気になれない。まりあがグズグズしていると、シフォンが慌てた声を出した。
「まりあ! まりあ、見て!」
促され、疑問符を浮かべながら振り向くと、改めて目にする室内の光景にまりあは息を呑んだ。
「これ……」
そこは、病室だった。小さめの個室だ。クリーム色のカーテンが、隅っこを長方形に区切っている。その内側から、キラキラと見覚えのある光が漏れていた。もしやとカーテンを捲ってみると、輝きが一層強くなる。発生源は予想通り、白い無機質なベッドだった。
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