まりあと不気味なおばけの国~Maria in spooky wonderland~

夜薙 実寿

第1章 悪夢の遊園地

第1話 迷い込んだ少女

 声が聞こえる。囁くように小さく。時折、叫ぶように高く。途切れそうにか細くて、けれど力強い声。


(――だぁれ?)


 誰かが自分の名を呼んでいる。よく知る愛おしい声。だけど、それが誰のものか何故だか思い出せない。発される言葉自体も自分の名だとは分かるのに、ノイズが掛かったみたいで上手く聞き取れなかった。

 張り裂けそうで、切羽詰まったような、聞く者の胸を抉る、ひどく切ない音色。


(わたしを呼ぶ、あなたは誰なの?)


「ねぇ、起きて!」


 耳朶を震わす大音量の声に、少女の意識は急速に覚醒へと引っ張られた。

 目が合う。ぱっちりとした黒いどんぐり眼。長いツーサイドアップテールの黒髪。齢十ばかりのあどけない容顔の女の子が、床に横たわってこちらを見ていた。

 小柄で華奢な身体に白いワンピースをまとったそれは、鏡に映る自分の姿だった。一つではない。背後の壁も鏡になっており、挟まれた少女の姿は反射して無限にえて見える。

 それに、何やら全身にキラキラと輝く光をまとっていた。ピーターパンの空飛ぶ魔法の粉こと妖精の鱗粉を塗りたくったような、そんな不思議な光だ。


(何だろう、これ……)


「ここよ、ここ」


 首を傾げていると、再び声がした。鈴を転がすような、愛らしいソプラノボイス。


(あれ? ずっと聞こえていたのは、こんな声だった?)


 違和感を覚えつつ、床から身体を起こす。音の出処を探ると、体長十五センチ程の小さな妖精が宙に浮いていた。ピンク色のふわふわとしたウェーブヘア。お花の形をしたスカートドレス。ちょうちょみたいなピンクの羽根で、少女の頭上をひらひらと舞っている。

 夢からめた気がしていたのに、まだ夢の中に居るようだと、少女は目を擦った。それでも妖精は消えず、しっかりとそこに存在している。


「わたしを呼んでいたのは、あなた?」


 問い掛けると、妖精は頷いた。


「私はフルール。花の妖精よ。貴女は?」

「わたしは」


 少女は答えようとして、詰まる。愕然とした。


「思い、出せない……」


 あろうことか、自分の名前が出てこない。姿は自認出来たのに、肝心な名前の記憶がすっぽり抜け落ちていた。それに、ここが何処だか、何故こんな所に居るのかも判然としない。思い出そうとすると頭にもやが掛かったようになって、全てが有耶無耶うやむやになってしまう。

 少女を気遣うように、妖精が優しい声音で告げた。


「あらまぁ、きっと迷子になって混乱しているのね。大丈夫、落ち着いたらすぐに思い出せるわ。とにかく、ここを出ましょう。案内するから付いてきて」


 ひらり身を翻し、妖精が前方へと飛んでいく。僅かな蛍光灯の明かりに照らされた狭い通路は、全て壁面が鏡で覆われた迷宮のようになっていた。はぐれたらそれこそ迷子になってしまいそうで、少女は慌てて妖精の後を追う。

 周囲は薄暗いが、少女自身の光が眩い為、視認性にはあまり問題が無い。もしかしたら、これは目の前の妖精の鱗粉なのでは……とも思ったが、フルールと名乗った妖精は別段光り輝いてはおらず、それだと整合性が取れない。


(やっぱり、わたし夢を見ているのかな)


 鏡の迷宮は荘厳で美しいが、前後不覚に陥る感覚は不安を煽る。八角形に鏡の配置された広間に出た時などは、万華鏡の内部に放り込まれたような気分になった。

 今は楽しむ余裕はない。少女は無言で、ただ只管ひたすらに歩いた。冷たく硬い鏡の床に素足の音だけがぺたぺたと反響して、増幅していく。まるで自分達以外にも誰かが居るような気がして、時折振り返っては背後を確認した。


 やがて終着点へと辿り着くと、少女は迷宮を抜けた安堵感から深く息を吐いた。出口の扉を押し開き、外に出る。途端、目をみはった。

 紫紺の空に、紅い満月。七色に輝く大きな観覧車。夜闇にほのかに浮かび上がるジェットコースターのレール。目前では等身大のオルゴールみたいなメリーゴーランドが、楽しげな音楽を鳴らし、くるくると回転していた。


「遊園地……」

「そう。ここは、ナイトメア・ワンダーランド」


 少女の呟きを拾って、妖精が説明を始める。


「楽しそうに見えるけど、貴女みたいな小さな女の子には、とても危険な場所よ。マスコットキャラクターのナイトベアは子供が大嫌いなの。着ぐるみの姿で子供を誘い込んで、殺してしまうのよ」

「え?」

「ナイトベアだけじゃないわ。クラウンっていうイカれたピエロも居るの。クラウンはナイトベアとは正反対で子供が大好きなんだけど、子供にひどいことをした大人を殺して回っていたんですって。いずれも、見つかったら何されるか分かったもんじゃないわよ」

「待って、全然分からないよ」


 急に物騒な話が次々と飛び出してきて、少女の理解は完全に置いてけぼりになった。しかし妖精は構わず、「とにかく、危険だからここから出なくちゃダメ」と訴える。


「私が安全な場所まで案内してあげるわ。付いてきて」


 再び妖精に促され、少女はそれに従った。見慣れない夜の遊園地には、まばらながら自分達以外にも客が居るようだった。初め、全身が毛むくじゃらの獣みたいな姿をした人や、三メートル以上は有りそうな長身の人物などとすれ違った時はギョッとしたが、随所に飾られたカボチャのランタンやおばけ型のバルーンを見て少女は納得した。


(今日は、ハロウィンなんだ)


 そういえば、お菓子の甘い香りが何処からか漂ってくる。それだと現在は十月後半ということになるが、少女はノースリーブの薄着なのに不思議と寒さを感じない。

 彼女の放つ光が目を引くのか、通り過ぎるおかしな恰好の人達は皆一様にまじまじと不躾な視線をぶつけてくる。落ち着かなくて顔を背けた先、赤いハート型の風船が枯れ木に引っ掛かっているのを見つけて、少女は首を傾げた。


 誰かがうっかり手放してしまったものだろうか。園内の他の風船は皆ハロウィン然としたモチーフをしている中で、あれだけテイストが違う。しかも、内部にライトでも仕込んであるのか、少女の纏う光とよく似た輝きを放っていた。

 気にはなったが立ち止まると妖精が煩いので、少女は努めて風船を意識の外に追いやり、先を急いだ。


 連れて行かれた先は、看板に〝フェアリー・ライド〟と記された子供向けのアトラクションだった。水の張られたコースの中を花型のボートで進みながら、飾られたオブジェを観賞する穏やかなものだ。


「この中なら安全よ」


 妖精は胸を張ってそう言うが、少女は困惑した。


「遊園地の外に出るんじゃないの?」

「外は外で色んなおばけが出るから、危ないのよ。ここに居た方が安全」

「でも……わたし、帰りたいよ」


 帰りたい。口にして、それから思う。――何処に?

 自分は、何処から来たのだっけ。


「帰るにしても、まずは自分のことを思い出さなくちゃでしょ。とにかく、一旦ここに入ってからじっくり考えましょう」


 妖精の言うことはもっともだったので、少女は頷くしかなかった。他に並んでいる人も居ないので、すぐにボートに乗り込む。誘導役の係員なども不在のようだったが、ここではそういうものなのかもしれない。

 程なくして、乗り物はレールの上をゆっくりと滑り出した。そのまま建物の内部へと到ると、少女の眼前に広がったのは幻想的な妖精の森だった。


「わぁ……!」


 少女から感嘆の息が漏れる。

 床から天井まで見上げる程の高さの木々が立ち並ぶ中、柔らかな木漏れ日に照らされて色とりどりの草花が咲き誇っていた。どれもファンタジー映画で見るような、少女の背丈ほどもある大きさだ。それらの間をフルールによく似た妖精達が、愉快げに歌いながら飛び交っている。

 甘い花の香りが塩素の淀んだ人工臭を掻き消し、まるで清らかな本物の小川の上に居るよう。

 少女は一時不安を忘れ、身を乗り出して景色に魅入った。妖精が誇らしげに笑う。


「素敵な所でしょう?」

「うん!」


 頭上から一際巨大なピンクの花が襲い掛かり、肉厚の花弁で少女をぱっくん、丸呑みした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る