第46話 ズール・サッカールの受難


「しっ、失敗しただと!」

「あのガキがまた現れたんです。いや、リアムまで一緒じゃあ、それこそ竜甲でも引っ張り出さないと勝てるはずありません!」


 役立たずの部下は俺に怒鳴られると同時に、転げるように部屋から出て行く。

 何がリバーワイズだ!

 何が弟子だ! それにリアムめ! クソ! クソ! 糞どもめが!


 腕を一本失って、挙げ句に若からは“頼りにならぬ奴”とでも言わんばかりの視線を浴びせかけられた。

 このままでは、時期を探って馘首クビになってもおかしくは無い。


 この地位に上がるまで、それなりに汚れ仕事もこなしてきた。

 男爵がこの土地を手にいれる事が出来たのも俺の手腕だろうに、このままでは切り捨てられかねん。

「う~!」


 思わずうめき声が出た時、ノックもせずに部屋に入ってきた奴がいた。

 怒鳴ろうとして、一瞬で声が止まる。


 それから、すぐに媚び売って機嫌を伺う。

 下手に出て損のある相手では無いのだ。

「出迎えも無く、失礼しました……」


 後で丸く結わえて垂らした茶色の長髪。口元の真っ赤なルージュ。

 紅いフレームの細身の眼鏡はどうやら伊達らしいが、その鈍い光の反射が切れ長の瞳を更に不気味に際立たせる。

 挙げ句、下着姿と見紛うような短いホットパンツに黒いレザービチェスが胸元を覆い、そのままでは何処かの娼婦にしか見えない。

 短めの白衣が、この女を特殊な仕事に就いている存在だと示すだけだ。

 いつかあのビチェスをむしり取ってやりたいとも思わんでも無いが、不気味さもあって、進んでの間柄を目指す気も無い。


 竜甲を初めとした様々な兵器や医療を一手に司るこの女、カルディアナ・リーンランド。

 世間では公然と『魔女』とも呼ばれる。


 一応に媚びてはいるが、実際の処、俺だって他の奴らと同じに、どうにもこの女は苦手だ。

 噂には、この女も竜人ドラゴニュートだとも言う。

 だが、女の豊満な胸元に奴隷印を見た者がいるなどと云う話も聞かない。


 人並み外れた様々な能力が、その様な噂を一人歩きさせて居るのだろうか。



「と、処で博士……。何故、ここに……?」


 呆けた様な俺の声とは対照的な、実に涼しげな言葉が魔女から返って来た。


「何故? 何を馬鹿な事を。私は元々医者だぞ。医者が病室にいて何がおかしい?」

「で、ですが、博士は、その、公爵殿からの大切な御客様であって、別段、我々の面倒を見る義務は御座いません」

「ほう、中々礼儀を知っているな。怪我の割にしっかりしたものだ」

「きょ、恐縮です」

「うん。その根性に免じて、私直々に貴様を見てやろう、と思ってな」

「は?」

「腕が欲しくは無いか? 貴様、このままではお役御免だぞ」


 嫌も応もなかった。

 けれど、その時、心の中で誰かが叫ぶ。

(止めておけ。この女は危険だ。何と言っても、あの女の子孫だぞ。

 確かに剣は持てなくなった。だが、指揮力そのものが衰えた訳でも無い。

 なら男爵家とて、俺を見放すにしても少しは迷うはずだ。

 第一、ファランギール準男爵の処刑が冤罪だと知っている人間を、そうそう無碍には出来ん、と考える事もできる)


 その心を読んだかの様に、この女、ドキリとする一言を投げかけてくる。


「なあ、あの男爵が信義を守るほどの人格者なら、これだけの財を手に入れる事は無かったとは思わんか?」


「な、何の事でございましょうか?」


「しらばっくれんでも良い。私は“そう云う事”に興味は無いよ。

 それより、新しい研究の成果を試して見たいだけなんだ」

 魔女はそう言って笑う。


「いえ、ご厚意は嬉しく思いますが、今回は遠慮させて頂きます」


 断固として言い切る。

 危ない処だった。

 フラフラと、この女の言葉に乗ってしまうところだった。

 だが、魔女はまるで表情を変えない。


 次の瞬間、ドアが開くと部下達が跳び込んできて、俺は身体を押さえ込まれる。

「な、何をする。貴様ら!」

 怒鳴り声もこいつらには全く聞こえていない様だ。

 黙々と俺を縛り上げていく。


 冷たい声が響いた。頬を人差し指が撫でていく。

 美女からの艶めかしい行為だが、嬉しさなど、まるで感じない。

 背筋が凍るだけだ。


 しばらくの沈黙の後、魔女の妖艶ようえんな唇が開かれる。

「なあ、ズール・サッカール。悪いが実は貴様に選択肢など、もとから“無い”

 カサンカの奴な、既に私に向かって『ズールぐらいなら好きにして下さい』と答えているんだよ」


 男爵の声色を真似てはニヤニヤと笑う魔女と反対に、自分の頬が引きつって行くのが分かる。


 あっけに取られたまま、右腕に針の痛みを感じると、俺はそのまま意識を失った。




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