フラグメント・イータ ~竜を倒す者~

@8812069

第1話 竜王の憂鬱

 ひとつの森を包み込む程に巨大な古代竜エルダー・ドラゴン

 彼は今、この地上から消え去ろうとしていた。


 彼は長く生き過ぎた。


 その力は千年の昔にはうに神々に並び、既に実体を持つ意味すら失われている。

 とはいえ、長らく連れ添ったこの身体と力は結構気に入っているのだ。

 たかが天界へ昇るだけの事で、地上に残す力を無為に失うのも惜しい。


 誰か地上での力を継いでくれる者が欲しいのだが、はてさて、神々はそれを許してくれそうにもない。


 一昔前の彼なら、その力の一部を使い大抵の神を黙らせる事を戸惑わなかった。

 軍勢で押し寄せたとしても一万年や二万年は楽に戦える。

 全力を使えば、それらの軍を相手にしても充分に勝てただろう。


 だが、今の彼にその様な暴虐と破壊、闘争の欲は一切ない。

 今から五千年前、二度目の眠りからの再生を済ませた時、何故か彼の力は無に等しかった。

 いずれは訪れる力の復活を待つ内に、奇妙な事に人間と関わる事になってしまったのが彼を変えた、と言って良い。

 

 力で抑え込まれた訳では無い。

 あの人間達を好きになっただけだ。

 だから、結局は進んでこの様な辺境に封じられてやったのだ。


 あの再生で初めて自分を省みる理性が生まれた。

 だからこそ神族への昇格も認められたのだと思えば、あの行動を決して悔やんでなど居ない。


 かつては遙か頭上から偉そうに我に命を下した存在にすら、これからは面と向かって格の違いを教えてやれるのだ。

 天界も決して住み心地は悪く無いだろう。


 しかし、それはそれで別の話だ。

 このまま地上を去るのでは、あの闘いの後、一体何の為に地上で力を増した事になるのだ、と少しばかり無念な気持ちがある。

 この力は結局、地上ではいらぬままに消え去るものなのか?

 ならば、何故この様な力が存在するのだ?

 天界を支える訳でもあるまいに!


 いつもの問を自分の中で繰り返しても、やはり答えは得られない。

 やむなく別の答を求めて、彼を迎えに来た天使に問い掛けた。


「なあ、【真理の樹のあるじ】は結局、認めてはくれぬかな?」


悠久ゆうきゅうには届かずとも、長きを生きた竜王よ。

 地上に残す“ごく一部の力”とはいえ、お主の力は強すぎる。

 この世界の人間達は未だ命の価値を安く見積もるばかりだ。

 自然と人の命を均等に計ろうとする者など、なかなか探せんだろう」


 天使の言葉を聞いて竜王は笑う。

「意味はたがえど、神にすら、その手の者は少ないからな」


「分かっているなら、もう諦めよ。この地もいずれは人が踏入ふみいって来るだろう。

 万一の場合、おぬしも余計な行動を取りかねん。

 そうなれば、せっかくの神格も失われるぞ」


「ふむ、確かにそれは困る。

 あの様に不快な気分を抱えたまま、またぞろ数千の年月を生きるのも面倒だ」


「ならば、そろそろ行こうでは無いか!」


 使いの天使が手を差し出すが、竜王は未練があるようだ。

 後、しばらく時間が欲しい、と言い出した。


「困ったな」

 天使がそう言って溜息を吐いた時、不意に天空から声が響く。


『竜王よ、地上で消え去るはずの“その力”、人に譲ることを認めようではないか』

 最高神である【真理の樹のあるじ】からの声である。


 その言葉の意味をとらえて天使は慌てふためいた。

「【真理の樹の主】よ。この力、何者が得てもろくな結果を生みませぬ!」


『お前の心配も分かるのだが、竜王に未練を残させたままでは本体が神格を得たとしても、地上に残った“残滓ざんし”が渦を巻いて、結局は別の彼が復活しかねんのだよ』


「復活した場合、どうなります?」


『原初の彼のままだ。いや、意識を持つ分、なお悪いやも知れぬ。

 目的もなく荒れ狂い、今度こそ天地の境にすら裂け目を生み出す事になるであろう』


「むぅ~。しかし、ならばこそ人には過ぎたる力でございます」


『この世界の者にならば、な』


「は?」


 続いての【真理の樹の主】からの言葉を聞いた天使は、あろう事か声を高めてしまう。

「それはすでに終わった事でございましょうに!」


『いや、だからこそ彼の“今の力”を少しだけでも残しておく必要があるのだよ』

 そうして更に【真理の樹の主】は言葉を続ける。

 全て聞き終えた天使は竜王を見て、呆けたように目を見開いたままだ。

 反面、竜王は何かを思い出したかの様に“ああっ!”と声を上げ、次いで大いに笑う。


 それから納得した様に頷くと、

「ならば、」

 との言葉と共に、神々の列に加わる為にその姿を虚空へと溶かし込んでいった。



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